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27日目:「水頭症」とは我が子との絆(100日目に40歳になる猪瀬)

水頭症という言葉をご存知だろうか。脳脊髄液の循環がうまくいかずに大きくなった脳室が、頭蓋骨の内面に大脳を押しつけてしまうことで脳の障害を引き起こす病態だ。

そう聞いてもピンと来ない人が多いだろう、私もそうだった。馴染みのない言葉が並び、自分で調べなければわからなかったことばかり。普段の生活ではなかなか縁のない言葉だ。

我が子は水頭症だった。だからこそ調べて、悩んで、考えて、そして受け入れた。今回はそんな水頭症についてだ。

兆候に気づいたのは彼が生後4ヶ月目のころ、頭囲の大きさが母子手帳に載っている成長カーブから乖離していた。はじめての子育てで基準がわからず、これが普通なのかそうでないのか判断できずにいた。それでも、おでこ付近にある大泉門が開いていることは見て明らかだった。

この現実から目をそらしては行けない、何度もそう自分に言い聞かせながら一緒に病院に行こうと妻を誘ったのを覚えている。この頃の私は、妻を安心させるための言葉を毎日のように探していた。

世田谷区にある国立成育医療研究センターという小児専門のある病院を訪れるとすぐさま水頭症と判断された。いま思えばこの病院のおかげで彼の症状だけでなく私達家族の気持ちも救われた。

矢継ぎ早に治療方針が決まり、彼は生まれて6ヶ月目にして外科的な処置をしてもらうことになった。脳室とお腹をチューブでつなぎ、一定の圧力になると脳脊髄液をお腹に流し出すシャント手術と呼ばれるものだ。

私は目処がたったことにホッとしつつも、このとき自分ができることが何もないことを痛感した。父としてビジネスマンとして我が子を救うには無力だった。この敗北感は生涯忘れられないし、忘れてはいけないものだと思っている。

幸いにも無事に手術は成功し、その後も脳に大きな障害が生じることはなかった。予後に手術が原因で体調を崩すことはあったものの総じて元気だ。まもなく小学校にも進学する。毎日の食卓が賑やかなのは彼のおかげだ。

健やかに成長していく彼の姿を見て、私はいよいよ伝えなければならない日が近づいているのを感じている。


① 「水頭症」 とは

いつもの「新明解国語辞典」で引いてみたところ載っていなかった。医学用の辞典ではないのでそうだろう。検討違いなことをしている自覚はあるので今回ここはパスだ。


② 私の釈義

彼はまだ自分が水頭症であることを理解していない。

頭部の前頭葉あたりの位置から右耳の後ろにかけて、チューブによってできる盛り上がった流れがあるのは知っている。そしてその一部だけ一回りほど出っ張っている硬い部分があることも知っている。どちらも風呂場で頭を洗うときに両手が触れるからだ。

でもそれが脳脊髄液を流す管であったり、髄液を排出する圧力を調節するバルブであることを知らない。そして、当たり前のようにずっとあるその装置が実はお友だちにはついてないことを知らない。

私は彼に水頭症であることをいつか正しく伝えなければならない。そして、調節バルブに異常が起こらないように気をつけることや、体に通しているチューブや調節バルブに問題が生じたときの代表的な体調変化について、自分自身を守るために理解してもらわなければならない。

なによりも、水頭症と一生向き合っていく必要があることを、ゆっくりでもよいので前向きに受け入れられるよう対話を重ねてあげたい。

当事者ではない私ですら彼が水頭症であるとわかったときに動揺した。どうして我が子かそんなことになったのか信じられなかったし、なにがいけなかったのか自分のそれまでの行いを何度も問いただした。私ですらこうだったのだから本人ならばもっと深く、もっと長く苦悩するはずだ。

思春期になればきっと他人と違うその特徴にイラつくことがあるだろう。心無い人に馬鹿にされるようなことがあるかも知れない。それでも引け目を感じること無く堂々と胸を張って生きて欲しい。これは心からの願いだ。

すぐには受け入れることはできないだろうから泣きたくなったら私の胸を貸そう。愚痴りたくなったら耳を貸そう。どうしていいかわからないときは私の頭を貸そう。そして気分転換に一緒に公園を歩こう。

水頭症を治すことは私にはできなかったが一緒に寄り添うことならできる。

2014年の12月、私は愛する我が子のために全力で向き合うことにした。それはちょうど6年前のこの時期だ。

水頭症とは我が子との絆

■ 辞典は読み物!!


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