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23日目:「音楽」とは聴く魔剤(100日目に40歳になる猪瀬)

好きな音楽のジャンルを聞かれると返答にとても悩む。たくさんのヒロインに囲まれた主人公が本命を決められない気持ちがこのときばかりはよく分かる。都合がよすぎると自覚しつつもどれも好きで絞れないのだ。

そんなときは、最近よく聴いている音楽を答えるようにしているものの、私のことを理解しようと努めてこの質問をしてくれたときには、どうも私が答えをはぐらかしてしまったかのようで気まずさが漂う。好きが溢れて申し訳ない!

音楽はジャンル関係なくすべて好きだ。音楽の良し悪しを私は量ることができないので自分が好きな音楽を良い音楽だと思っている。そして、好きなものがあちこちに溢れているのでわざわざジャンルを絞るのはもったいない。シンプルな行動原理だ。

学校で習う音楽の授業が大変よくわからなかったおかげで、楽譜や楽器には苦手意識がある。だからそれらを自在に操るミュージシャンには尊敬の念が絶えない。目の前で歌い、演奏するライブやコンサートは大好物で、音がまさにいま紡がれている瞬間は感動そのものだ。あー、はやくコロナが終息して欲しい……。

今年はコロナの感染予防のために公演に行くのは自粛していたので一度も聴けなかった。再来年の年末には落ち着いてクラシック公演に行けるだろうか。終息を願ってやまない。

① 「音楽」 とは

目で見えないものをどう言葉で言い表すのか。そんな素朴な疑問を持って今回もいつもの辞典を引いた。頼むぜ、新明解国語辞典ッ!

おんがく【音楽】
■意味
心の高揚・自然の風物などを音に託し、その強弱・長短・高低や音色の組合せによって聴者の感動を求める芸術。ミュージック。
出典 :『新明解国語辞典(第8版)』(2020)三省堂

「聴者の感動を求める芸術」というのは痺れる説明。人の心を揺さぶり突き動かす強い衝動が作品には確かに必要だ。

眠気ニモマケズ
空腹ニモマケズ
感動ヲモタラス
百日ブンノノオトヲツヅル
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

② 私の釈義

勢いのある音楽を聴けば気持ちが高揚するし、切ない音楽を聴けば泣きたい自分を解放してくれる。

音楽とは聴く魔剤

レッドブルやモンスターエナジーが飲む魔剤なら音楽は聴く魔剤だ。飲む魔剤と一番違うところは喜怒哀楽のすべてに対応しているということ。毎回翼をくれなくてもいい。音楽はいまの気持ちに合わせて優しく寄り添ってくれる。

たとえば、作業に集中したいとき私は澤野弘之の音楽をよく聞いている。するとただの地味なコーディングが世界を救うために壮大な演算をしているような気分になるし、書き始めたばかりの事業計画書も世界を歓喜の渦に包む長編ドラマのシナリオに思えてくる。

音楽には力がある。そしてその力の源はミュージシャンたちの想いだ。楽譜にあるのはただの音符やリズムの集合体ではないし、発せられる歌詞はただの言葉遊びではない。どちらにも作詞、作曲した人の想いがある。魂の鼓動、魂の叫び、そんな言葉がぴったりだ。

以前、自分の人生の目的が定まっている人なら音楽の力が不要なのではないかと思っていた。音楽に頼らずとも、自ら立てた志が活動のドライブになっていると考えたからだ。

この仮説を検証してみようと、身近な友人に音楽の話をしたところわかったことは、むしろ私以上に音楽の力を活用していた。

リラックスしたいとき、集中したいとき、会話を楽しみたいとき。どんなときに自分の気持ちがどう感じるのかをよく理解していて、そんな感情のときの自分にフィットする音楽もよく理解していた。


感情をうまく飼いならして自分の目的を実現するためだという。これにはとても納得した。喜怒哀楽は誰にでもある。自分の思い通りになる時もあればそうでないときもあるのだから、どんなときでもうまく自分を扱えるようにしているのだ。

音楽は誰にでも力を与えてくれる。薬には副作用がつきものだが音楽にはない。もしあるのだとしたら、きっと音楽の副作用は幸せだ。

■ 辞典は読み物!!

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