幸せに慣れる→幸せになれない
おはようございます。ゐのせです。
今日は久しぶりに気持ちのいい天気ですね。梅雨に入ると晴れの日の素晴らしさを再確認できます。
「失って初めて気づく幸せ」みたいなことはよくあります。風邪で体調を崩したとき、ケガをして思うように動けなくなったとき、大切な人との別れが決定的になったとき…
以前の記事で「人は痛みに慣れる」ということについて書きましたが、他の感情についても同様のことが言えます。幸せだって過剰摂取すれば慣れて感じにくくなってしまうのです。まるで倦怠期のカップルのように。
今回は「幸せに慣れる」ことについて書きます。
どうして人は「幸せに慣れる」のか?
そもそも人が「幸せに慣れる」のはなぜでしょうか?
「痛みに慣れる」のは人は痛みにさらされ続けると心身ともに壊れてしまうからです。ただ「痛みに慣れる」ことによって自らのダメージに気づかないという危険性もあります。
一方で、「幸せに慣れる」というのは一見すると何のメリットもないように見えます。可能ならば幸せはずっと味わっていたいものです。そう考えると「幸せに慣れる」ことはマイナスになります。
しかし、「幸せに慣れる」というのは人類の発展に不可欠なメカニズムだと思います。というのは「幸せに慣れる」ことでさらに大きな「幸せ」を求めようとするためです。
幸せの追求を繰り返せばいずれ壁に突き当たります。それ以上は自分の力ではどうしようもない領域までやってきます。そこまで到達してしまうと「幸せ」は全く感じられなくなってしまうわけです。
だからといって「禁欲的に生活しなければならない」というのは極端だと思います。それはそれでまた別の問題が生じることになるでしょう。
それなら一体私たちはどうしたらいいのでしょうか?
非常に月並みな意見になってしまいますが、何事もほどほどにすることがベストだと思います。腹八分目でやめておく、ゲームは一時間まで、Netflix見すぎない。そうすることで「幸せに慣れる」ことを防げるでしょう。
ここでは「幸せとは何か」という話はしません。それは各々が自分で見つければいいものです。
幸せについて考え続ける
結局、幸せに関して「これが正解だ!」というところまでたどり着くことはないでしょう。人生はその答えを出すには短すぎます。
たくさんの人が幸せについて考えを述べていますが、それを鵜呑みにする必要はありません。もちろん私が書いたnoteの内容も。
自分なりに幸せについて考え続けることが大切です。その思考を繰り返すことが良い方向につながっていくと私は考えています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた明日。
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