役に立つ

 悪口を書き込んでいる人を見て、こいつらは何の役に立つのか、と書き込む人もまた同様の場合が多く、そしてこれを書いている自分もいつの間にかのマトリョーシカである。いつの間にかのマトリョーシカって語感がいいなと思いながら書くこの文章もまた同様であって、これ以上書くことはなく、以下はリュウジのバズレシピを無断転載した方がいくらか世の中の役に立つかもしれない。

 役に立つ立たないなどといちいち考えるのは資本主義社会が生み出した一種の脅迫観念であって、本来はどういう形であれ今日を生き延びられればよい。中途半端な知識を中途半端な知恵でこねくり回すために、参加しなくていいレースに自ら参加してしまっている。

 年齢を重ねてくると、知り合いそれぞれの人生にもいろいろなことが起こり、かつての自分を失ってしまって悲しい心持ちになっている人に会う。これは現代において本当に問題だと思う。社会とその空気が引き起こすものだと思うので、純粋で流されやすい人から調子が狂ってくるのだろう。少しくらいひねくれていた方が、長い目で見たら生きるのが楽しいと思う。

 人間は案外自分のためには生きられないのではないかと最近思う。結局人が喜んでくれるのが一番嬉しかったりする。個人の時代になって自分の権利を守ろうとするあまり、かえって心が貧しくなる。システムが発達したおかげで一人で生きていけるような気がしてくるが、この世から今他人が全員消えたら、自給自足できないのでほとんどの人が食べていかれない。自分が今インフルエンサーであったら、備蓄で食いつなげるぞとか、サバイバル術を覚えておけば大丈夫だとかいうクソリプがつくだろうが、そんな資本主義の残骸の城に立て籠って往生する意味がはたしてあるだろうか。

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