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寒い日だった。熱いお風呂にじっくり浸かり、浴室を出てふと鏡を見て、驚く。肩からわき腹にかけて一面に、青い血管が枝分かれしながら鮮やかに浮き上がっていた。まるで人魚の鱗のようだと思った。うっとりするほど異様で、人間離れした光景だった。 嵐の夜には、赤い蝋燭を灯そうか。

    • 死について②

      波乱万丈の2020年においてとりわけ悲しかったニュースを、私は大好きな親友と思いきり楽しく遊んでいる時に知った。 俳優の三浦春馬さんが、7月に亡くなった。 享年30歳。あまりに早く、突然の死だった。 彼の主演ドラマ『サムライハイスクール』『ブラッディ・マンディ』はリアタイで観ていたし、彼は舞台やミュージカルでも盛んに活動していて、歌も演技も上手い人は好きなので、たまに出演作をチェックしていた。とても好きな俳優さんだった。 今年の秋冬には、芸能界に生きるあまりに多くの若

      • 死について①

        アルミトラは言った どうか死について話して下さい  彼はこたえた  死の秘密は生の只中に探し求めなくては みいだしえないものではなかろうか  くらやみに慣れた眼をもつふくろうは  明るさに盲いて、  光の神秘を明らかにすることができない もし死の精髄をほんとうに見たければ、 生のからだにむかって、心を広くひらきなさい なぜなら生と死は一つなのだ、 ちょうど川と海が一つであるように ~カリール・ジブラン著『預言者』(訳:神谷美恵子) コロナウイルスが世界的に蔓延し、人々は目

        • ”Emmie Bead" - 一羽のナイチンゲール

          人生においてなくてならない心の滋養。私にとって、それは歌である。嬉しい時も悲しい時も、疲れきって歩けない時も、目を閉じて耳をすませれば、音楽と言葉が私の心を活かしてくれる。 今日ここに綴りたいのは、先月の終わりに購入したアルバム ”Emmie Bead” の感想である。何度かライブにもお邪魔させて頂き、プライベートでもクイーンファンとして、また文学少女同志として可愛がっていただいている歌手、Emmie Bead さんの、満を持してのファーストアルバムが、ひと月ほど前についに

        寒い日だった。熱いお風呂にじっくり浸かり、浴室を出てふと鏡を見て、驚く。肩からわき腹にかけて一面に、青い血管が枝分かれしながら鮮やかに浮き上がっていた。まるで人魚の鱗のようだと思った。うっとりするほど異様で、人間離れした光景だった。 嵐の夜には、赤い蝋燭を灯そうか。

          少女よ旗を翻せ

          一目惚れだった。 モノクロの写真の中でも微かに発光しているかのような金色の泡立つブロンドに、完璧なボディラインを強調するぴったりしたドレスのデボラ・ハリー。その隣を歩く、黒ずくめの若い女性。肩の上で切り揃えた漆黒の髪、ピンやワッペンをじゃらじゃらつけたレザージャケット、年齢のあどけなさの残るふっくらした頬、伏せていても分かる強い光を宿した瞳。 彼女、ジョーン・ジェットを撮影した一枚の写真が、私の心臓を一直線に貫いた。 映画ボヘミアン・ラプソディを観てから、英国のロックバ

          少女よ旗を翻せ

          にちようび

          パンデミックの影響で、よかったことの一つ。日曜日の過ごし方が変わった。 私はクリスチャンホームに生まれ育っているので、物心ついた時から日曜日の午前中は教会の礼拝に出席するのが家族の習慣だった。これが何を意味するかというと、 日曜日だけど早く起きなきゃならない。 日曜日だけどぴしっとした格好で外出しなきゃならない。 しかも時間の拘束は午前中だけじゃない。礼拝の後に集会や話し合いがあったり、教会内のグループで何か係を担当していると、夕方まで教会で奉仕することも増えてくる。

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          人はみな

          みんなと同じでいなきゃ、と思ったことがない。 日本人の欠点の一つは、同調圧力が極めて強いことであるとしばしば言われてきた。私が子供の頃に比べると、国際化が進んでいるので多少は良くなってきたように思うが、「悪目立ちしてはいけない」とか「テンプレが存在するならそれに従うべき」といったような風潮は年代に関係なくまだまだ根強い。 これらのおかたい風潮の理由の一部は、日本が島国であること、国民の大多数が黒髪黒目のモンゴロイドであることではないかと私は思っている。ここ数年で海外に行く

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          夏のきらめきは物語の中

          暑い。あつい。毎日、サウナの中にいるみたいに、あ・つ・い。 四季の中で、夏が一番苦手だ。嫌いというのではない、苦手なのだ。湿気が多く足元から熱気がむわりとたちのぼってくる、日本の夏は、私のなけなしの体力を容赦なく削る。 夏の日差しも苦手だ。完璧な黄金色で、全てを輝かせてくれる夏の太陽が大好きだけれど、この身に直接受けるそれは、やっぱり私のか弱い身体には刺激が強すぎて、倦怠感や頭痛をよび起こす。(ちなみにこれに関しては、サングラスと麦藁帽子を装備することによって近年かなりの

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          飛翔する魂

           なんと半年ぶりに、note にログインできた。  どこをどう間違えたのか勝手にログアウトしてしまい、更にいくつか持っているアドレスのどれを使っているのかを忘れていたためログインできなくなり、そのまま放置していたのである。「後でいっか」のまま数か月過ごしてしまうという、何事につけ生じるこの怠惰さは、私の欠点の一つであると自覚している。  とまれ、ふと思い出してログインに挑戦してみたら、なぜかすんなりできてしまったので、約半年ぶりに記事を書くことができる。よかったよかった。

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          はぐれ者の小唄―映画ボヘミアン・ラプソディに捧ぐ

           人生には、予想もしなかった曲がり角というものが存在する。  1年前の今日―2018年12月5日が、まさにそれに値するだろう。少し長くなるが、そんな話を、今日したいと思う。  その日、私は大きな論文を無事に提出し終えたばかりで、達成感と解放感に浸っていた。  数か月間、外出も映画鑑賞もしていない。何か、観に行こうかな。  そう思いながら、近所の映画館のサイトを開く。  画面いっぱいに、不思議な色の空と、大きくのけぞりマイクを握りしめる男のシルエットが映し出された。  ボ

          はぐれ者の小唄―映画ボヘミアン・ラプソディに捧ぐ

          役に立たない勉強

           街で職業欄の記入を求められる時、私は「大学院・専門学校生」に〇をつける。  マイナーな学部のマイナーな専攻のマイナーな研究室であり、具体的な専門分野の名前を出すとおそらく一発で所属先がバレる(そして研究室の人数も少ないのでおそらく実名まで特定できる)ので詳しくは書けないのだが、ものすごく大ざっぱに言うと、現在の私は某大学院の博士課程に在籍しながら、ヨーロッパのキリスト教史の研究をしている身である。  父親が大学教授なので、大学院に進み研究者になるという選択肢は、かなり早

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          編むということ

          趣味は?と聞かれたら、ここ数年は、編み物。と答えることにしている。 その前は、読書と音楽鑑賞。と答えていた。けれど、これには内心大きな違和感を覚えていた。 読書は、私にとって必要不可欠な生活習慣だ。趣味は?と聞かれて、水分補給。と答える人はいないだろう。 音楽鑑賞と一口に言っても、その中身は実に多彩である。趣味を問うことが、その人の人柄や特徴をつかむためであるのなら、例えばクラシック音楽鑑賞とパンクロック音楽鑑賞が趣味の人ではその内面はおそらく大きく異なるだろう。 両手に

          編むということ

          私の名前は、アン。

           エッセイを書こう。  ずっと、その考えを温めていた。    ここ数年程、SNS上のハンドルネームで「アン」という名前を共通して使っている。私の本名とは一文字も被らない。私が、私につけた名前だ。  アンという名前の由来は、少女文学の金字塔『赤毛のアン』である。アンシリーズは、子供のころからの私の愛読書だ。部屋の本棚には、母が15歳のクリスマスプレゼントに貰ったというハードカバーのアンシリーズ抄訳版全巻と、私が大人になってから自分で買い揃えた文庫版のアンシリーズ全訳版全

          私の名前は、アン。