【7/11 それぞれの一歩 #2】えるさんの人生白書。キーワードは「ゴリゴリにやる」
みなさん、こんにちは。
イノピー広報担当の岡川です。
7/11にイノピーの第2回座談会がおこなわれました。
ゲストは、
株式会社える える訪問看護ステーション門真
代表取締役 理学療法士(PT) 河添 有希 氏
テーマは、
それぞれの一歩#2 「現場で感じた課題と訪問看護ステーション開設に至るまで」
お父様がPTという少し特殊な環境で育ち、自らも同じ道に進んだ理由とは?
また、訪問看護ステーション開設のためにどんな準備をしてきたのか?
などなど、始まる前から興味をそそられる内容となっていましたが、まずゲストの紹介の前にイノピーの座談会の流れと狙いを少しだけおさらいしましょう。
座談会は、私たちより“少し前を歩く”セラピストの方をゲストとしてお招きし、ゲストからの話題提供を受けて、ディスカッションをしていく、という流れになります。
そう!講義を受けるのではなく、あくまで話題提供なんです!
学びをリフレクションして自分の環境や考えに活かすには、能動的に参加する必要があります。
聞くだけでなく、質問したり、深掘りしたり、自分の環境と照らし合わせたり……そうすることで学びがどんどん深くなると考えています。
なのでイノピーには、自分からグッと中に突っ込んでくる意識で参加してもらえたらなと思います。
それでは、今回の内容に移りましょう!
ゲスト紹介〜ルーツを探る〜
お待たせしました。
再度、今回のゲストは、
株式会社える える訪問看護ステーション門真
代表取締役 PT 河添 有希 氏(以下、えるさん)
です。
1988年 父:PT 母:看護師 明石市で誕生。
ちなみに、タッキーと同じ誕生日。
1995年 阪神淡路大震災の影響で熊本へ転居し、
専門学校まで過ごす。
2010年 理学療法士免許取得し、
千里リハビリテーション病院へ就職。
2013年 大阪府済生会中津病院へ転職。
集中治療チームで7年間過ごす。
2020年 守口敬仁会病院へ転職。
ICUリハやRSTの立ち上げ、
コロナ関連施策も担当していた。
2022年 株式会社える 創業。
える訪問看護ステーション門真を開設。
今回はえるさんの略歴(年表とも言うべきか?)に沿って話が展開していきましたので、このレポートでもそのように展開していきます。
まず、私が思ったのは、
「親父がPTってどんな感じなんだろう?」
ということ。
このルーツが後のえるさんの進路や起業に大きな影響を及ぼすので、ここでは生い立ちの部分を深掘りしていきます。
えるさんのお父様は大手のリハビリセンターで脊髄損傷などを中心にゴリゴリにやられていた方だそうです。
また、お母様も同じ病院の整形外科でこちらもゴリゴリにやられていたようです。
えるさんが高校生の頃に、ご両親は訪問看護ステーションを立ち上げることになります。
この頃からえる少年はPTを目指さないといけない環境にあったようで、建築関係などの将来の夢を話すと反対されたのに、冗談っぽく「理学療法士になろうかな」というと翌日大量の学校資料が家に置かれていた、と言っていました。
また、えるさんのお父様は当時の先進的なPTで、大企業の顧問やテレビ出演などもいたとのことです。
お父様はご自身の圧倒的な実績をもとに訪問看護ステーションのスタッフに精鋭を集めており、える少年は、
「将来ここを継がんとあかんのやろうな。でもこの人が集めてきた人らを満足させるには中途半端な実績じゃあかんよなぁ」
と、思っていたようです。
(高校生でこう考えられるのもすごいことですが)
えるさんはその発想を持ち、専門学校、そしてPTの道へと進んでいきます。
ここまでが生い立ちの部分です。
学生の時点で、恥ずかしながら今の私より明確なビジョンを持って生きていたんだなと感心しっぱなしでした。
さて、そんな想いを持ったえるさんは、PTになってどう考えて走っていくのでしょうか?
ゴリゴリやる。徹底的に。
えるさんが最初の就職先に選んだのは回復期リハビリテーション病院。
ご両親がこの頃すでに熊本で訪問看護ステーションを立ち上げていたこともあり、将来的なことを考えて、リハとケアが学べて、在宅に帰るところまでフォローできるからというのが選んだ理由とのこと。
ちなみに、私も同世代なのでわかるのですが、2010年前後というのは“回復期リハ全盛期”で、「とにかくリハは回復期だ!」という風潮でした。
(この頃は在宅・介護分野って「病院落ち」みたいに思われていることもありました。今はむしろ「在宅の方が良い!」って感じですよね。時代の流れは速い…)
ただし、えるさんはこうも考えています。
「ここだけじゃ引き出しが少ない」
ご存知の通り、回復期リハ病院は入院できる疾患や状態が限られています。
脳卒中も大腿骨頸部骨折も発症初期・手術直後の状態を脱し、状態が安定した方がほとんどです。
だから、しっかりと医学モデルを学びたいと考えたえるさんは、急性期の集中治療チームがある病院へと転職を決めます。
それが大阪府済生会中津病院です。
この病院に来た目標が明確なえるさんは、集中治療チームに配属させてもらい、3年ほどは下積みだと考えてご自身でも誇れるほど勉強したと言います。
「人工呼吸器のアラームが幻聴で聞こえたり、肺や心臓に手足生えた奴らが夢に出て襲ってくるぐらい、人工呼吸器や臓器のことを考えてた」
とのこと。
えるさんがそこまで勉強を頑張れるモチベーション、それは、
「誰にもごちゃごちゃ言われず好き勝手したい。そのためには実力が必要だから」
だそうです。
実際、職場ではリハの枠組みを超えた関わりをしようとするとリハ科から何か言われそうになるそうですが、医者や看護師にも認められる存在になっていたえるさんにはその後ろ盾があったので何も言われなくなったようです。
その代わり、勉強の範囲も“○○のリハビリテーション”にとどまらず、研修医クラスの勉強内容は網羅していたとのこと。
カッコ良すぎるでしょ!
とことん医学モデルを学ぶという背景には、やはりご両親の存在があります。
PTのお父様だけでなく、お母様も看護師として地域の訪問看護の重役を担われていたようですが、ご両親とも“整形畑”で育っているので、内部疾患にコンプレックスがあると、えるさんはわかっていました。
また、今後在宅での看取りなど在宅医療の幅が拡がることは社会背景からわかっていたので、人工呼吸器など高度な機器も簡素化して在宅へ流れてくるともわかっていたので、在宅分野においても医学モデルが重要なのは目に見えている。
この2点から、「両親から納得される存在」になるためにも医学モデルを学ぶ必要を感じていたようです。
医学モデルをゴリゴリに学んだえるさん。その結果、ある転機が訪れます。
努力の賜物
済生会中津病院時代に
“人工呼吸器の回路中に吸入薬を入れたらどのくらいのバイタルのレスポンスがあるか”
という学会発表をおこなったえるさん(すげぇ内容やな)。
その発表が京大の医局の医師の目に止まり、勉強会でしゃべらせてもらうことに。
そこで元々知り合いだった呼吸器の医師と再会します。
そして、「うちの病院でICUのリハの立ち上げをしてくれへんか?」と声をかけれたようです。
医師から認められるPTはまさに医学モデルを身に付けている証。
えるさんの努力の賜物ですね。
えるさんはその医師の勤める守口敬仁会病院へ転職します。
ここでは済生会中津病院と違って、立ち上げを経験するわけですが、運営方針やシステムの構築、スタッフ教育など、もはやPTとは思えないような業務を進めていくことになります。
これらを進めた中で、無駄を省き、新たな利益を生み出すことに成功したえるさんは、誘われた医師からこう声をかけてもらいます。
「リハ以外にもこんなに色々やれるの?お金の支援するから好きに事業やったらいいよ」
これは偶然ではなく、えるさんの努力がもたらした必然ですね。
ここまでのストーリーから言えるのは、
“半端じゃない”努力は報われる!ということでしょうか。
そして、「株式会社える える訪問看護ステーション門真」 が誕生します。
ビジョンは
患うことに起因する様々な憂いの連鎖の無い社会を実現する
患うこと、つまり病気やケガですね。病気になると身体だけでなく精神的にも落ち込みます。そして色々なことを諦めたり、できなくなってしまいます。
その連鎖を生まない社会を自分たちは作るために存在しているんだ、というメッセージです。
こちらの訪問看護ステーションは医療保険対象の利用者が大半のようです。
医療保険の訪問看護となる対象はALSやYahr3以上のパーキンソン病など神経難病の方や末期がんの方です。
医学モデルを徹底的にやってきたえるさんだからこそ、この社会のニーズに応えられているのではないでしょうか?
こうして、好きなことをできるようになったえるさんの現在の満足度は、
なんと100点満点中90点!
将来的には、ご両親の訪問看護ステーションを継ぐというより、「吸収する」ことだそうです(笑)
えるさんからのメッセージ
ここまでお話を踏まえて、えるさんからのメッセージです。
まず副業に目がいく人へ。医療者として、医学モデルをきっちり学ぶ・やり切るのも選択肢だということを伝えたいです。
現場でのモヤモヤや、診療報酬の問題で将来に不安を感じて他方面に目を向けることもわかるが、カフェやライターなどはただでさえ競合が多い。それならば、誰にも真似できないぐらい医学モデル(1つのこと)をやり切るというのも良いのではないでしょうか?
次に学生さんへ。私たちの頃と違って、今は学生の数が増えたこともあり急性期病院には就職しにくくなっています。
それならば、1番就職しやすい新卒の時期に1番入りにくいところに入った方がいいと思います。数年後に急性期病院へ中途転職で行くのは心理的ハードルも高くなるので。個人的な理想は1法人内に急性期〜回復期〜生活期があって回って経験できるのが良いのかなと思います。
まとめ
医療職のトップランナーだったご両親の影響を受けつつも、ご自身のアイデンティティーのため医学モデルをゴリゴリに勉強しまくって、起業までたどりつき、地域に自分たちのビジョンを落とし込んでいるえるさん。
その姿勢は本当に格好良くて、参加者の皆さまも「今、自分が学ぶべきは何だろうか?」と自問自答するきっかけになったのではないでしょうか?
える訪問看護ステーションでは、求人だけでなく見学や同行訪問も募集しているようなので、地域医療やゴリゴリの医学モデルを学びたい方は是非ともHPからお問い合わせください。
(ユニフォームがジェラピケ!?なんてオシャレな!)
えるさん、貴重なお話をありがとうございました!
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