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『日本の寄付を科学する 利他のアカデミア入門』日本には交換経済による寄付が必要(日本の歴史)

 本書は狭義の寄付だけでなく、寄付と密接に関連するボランティア活動、社会的貢献意識、利他行動、ソーシャルマーケティング、応援消費なども対象としている。

 2022年の日本の一世帯あたりの平均寄付金額(ふるさと納税を含む)は7,526円だ。東日本大震災で例外的に金額があがった2011年(6,448円)を除いて、過去20年間は概ね2,000円から4,000円前後で推移している。2018年以降はふるさと納税の影響で年々金額が上昇している。

 世帯ではなく、2020年の1年間に何らかの寄付行動を行った人に焦点を絞ると、寄付を行った人は全体の44.1%であり、平均寄付金額は1万6,613円だった。金銭寄付を行った人に限定すると平均値は3万7,657円だ。また、物品寄付を行った人は10.1%だ。

 ふるさと納税は形式的には自治体への寄付ではあるものの、実質的には無償の財産移転である贈与とみなすことができず、寄付として扱うのは不適切ではないかという見方が根強い。そこで、ふるさと納税を除いて改めて、1年間の個人の金銭寄付を集計すると、ふるさと納税以外の寄付を行っている人は全体の35.2%、その平均寄付金額は5,614円になる。それらの寄付を行った人に限定すると平均値は1万5,930円だ。2020年の1年間の金銭寄付総額は1兆2,126億円。このうちふるさと納税は総額6,725億円になる。

 社会的属性で分類すると、男性よりは女性、若年層よりは高齢層が、会社員より経営者・役員や自営業者が、未婚者より既婚者が、より積極的に寄付をしている。

 日本の寄付を国際比較する。イギリスのNPOであるチャリティズエイド財団が2016年に発行したレポートによると、日本の個人寄付総額は対GDP比で0.12%、調査対象の24カ国で17位。最上位の米国は日本の12倍の個人の寄付がある。米国、ニュージーランド、カナダ、イギリス、次に韓国が並び、GDP比で0.5%と日本の4.2倍もある。

 1年間で何らかの寄付をした米国人世帯の割合は46%で、1世帯あたり年間平均寄付額は1,082ドル(2014年のレート換算で11万円)で、加重平均でみると世帯収入の1.6%の寄付を行っていることになる。寄付をした世帯に限定すると、2,351ドル(約25万円)となり、世帯年収の2.4%を寄付している。

 内閣府の「社会意識に関する世論調査」(2022年12月調査)で、「日頃、社会の一員として、何か社会のために役立ちたいと思っている」と答えた人は64.3%だった。しかも、こうした社会貢献意識をもつ人の割合は、1980年代に比べれば現在の方が明確に多くなっている。一方、寄付を集める慈善団体を「まったく信用していない」「あまり信用していない」人の割合が81%にもある。さらに、宗教組織への不信感の高さは、そもそも日本では宗教心をもつ人自体が少ない。

 なぜ、日本人は寄付をしないのか。日本は対GDP比の一般政府支出額や人口あたりの公務員数でみる限り、日本は正解有数の「小さな政府」の国である。日本ではしばしば「自分が抱える問題はできるだけ自助努力と自己責任で解決すべき」という考えが強調され、政府が提供する公共サービスが貧弱であってもそれを甘受する傾向が続いていた。筆者の研究によると、自己責任意識の強い人ほど寄付や市民活動などの共助活動に参加したがらないという傾向も強い。

 また、ボランティアに対するマイナスイメージを明治時代まで遡って調べると、社会課題解決のために尽力するのを偽善とみなして冷笑する意識が続いている。現代の「意識高いねw」という揶揄の言葉は、明治時代は「奇特なとこでw」という言葉だったという。

 本書では議論されていないが、欧米や韓国の寄付の根底にはキリスト教の精神があり、イスラームでの収入の一部を困窮者に施す「喜捨」(ザカート)は5行という義務の一つだ。さらにそれは、善行として来世に活きる。つまり、宗教でシステム化されているのである。

 日本には交換経済しかないため、寄付行為に対価があるふるさと納税は浸透するが、純粋な贈与経済は浸透していない。したがって、寄付行為を交換経済化するシステムが必要になるのではないだろうか。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。