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『生きる LIVING』もともとの脚本の完成度が高い

 黒澤明監督の『生きる』を観たときのレビューは次のとおりだ。

 最近リメイク版が話題になっている黒澤明の『生きる』を改めて観てみた。リメイク版では、「命短し恋せよ乙女」ではないようだが、全編に流れるイメージを浮かばせるこの曲以外で、どうやってリメイクしてあるのかが知りたくなった。
 また、透明人間のようになってしまったサラリーマンの現存在が、死を意識することで、先駆的な決意を抱くプロセスは、まさにハイデガーの実存の世界だ。
 最近の状況から表現すると、自分こそが最先端であり、時代の中心だと思い込み、実は流行りに翻弄される根無し草であり、「みんな」がいいと思ったChatGPTやBardに、同調するだけの個性のない群衆に過ぎない世人(ダス・マン)状態から、良心の叫び声に向き合う人間に変わっていく映画とも言える。
 善良なメフィストと自称する作家に連れられて刹那的な快楽を得ようとするくだりは、少し長いなと感じてしまうが、クライマックスを必要とする映画には必要な時間なのかも知れない。葬儀から過去を断片的に振り返るという手段で、除々に共有をさせていく流れも面白い。カズオ・イシグロの脚本はこれをどう描いているのだろう。

 リメイク版の『LIVING』もまったく同じレビューになる。設定が違うだけで、ストーリーはほとんど同じだからだ。設定を変えてスコットランド出身者と英国の階級社会の壁を壊す話にするとか、多少の変化が欲しかった。しかし、もともとの脚本の完成度が高く、手を加えようがなかったとも言える。いずれにしても感動的な作品なことだけは確かだ。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。