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『東京大学第二工学部』 目標を明確にした大学教育は30年後のアウトカムにつながる(日本の歴史)

 日本の失われた30年の理由を掘り下げていくと、東京大学第2工学部の存在の大きさが浮かび上がってくる。第2工学部の別名は「戦犯学部」ということらしいが、戦争に必要な工学者や技術者を養成する必要から、西千葉に作られた工学部が第2工学部だ。イチョウ並木のない東京大学にはベテラン教師は行きたくなく、谷一郎さんのような若手の助教授、講師クラスが受け持ち、さらに企業から実務経験のある人を揃えたのが第2工学部だ。しかし、設立して9年後に敗戦になり、麻布龍土町で生産技術研究所となった。

 その卒業生を見ると「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれた時代に企業のトップの多くは第2工学部出身者だ。第1工学部と第2工学部は無作為に分けられたようなので、田んぼの真ん中にあるバラック小屋の校舎に行きたくないと不満を抱いた生徒も、柔軟で実務的な教育から2年生になる頃は千葉の環境に慣れ、アサリ鍋を楽しんだようだ。日本の敗戦で生き方を180度変えざるを得なくなった人たちの心の中に、アメリカには負けたくないという気持ちがあったのではないだろうか。

 本書を読んで確実に言えることは、企業に就職させることを目的にしたレベルの教育では小粒な人材しか生まれてこないということ。つまり、東大の第2工学部は戦犯学部と揶揄されるが、目的を明確にし、人材を育成すれば、30年後にそれなりのアウトカムになるのだということだ。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。