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『Winny』新しいものにはエシカル&リーガルの観点からの分析が必要

 Winnyが2chに公開されたのは2002年、裁判がはじまったのは2004年で終わったのは2011年だ。ちょうどその頃はインターネットブームで、日本では楽天、米国でAmazonが生まれていた。

 映画の中に、ナイフで殺人を行った場合、ナイフを作成した人に罪はあるかを問うシーンがある。Winnyがゲームやビデオの違法コピーを許してしまうことを比喩したものだが、有史以来の道具であるナイフを例えに使うには無理がある。

 新しものを生み出すということは絶えずこのようなリスクがある。極端な例だが、iPS細胞を生み出したため、別の誰かがクローン人間を作りそれが殺人鬼と化すことなど、あり得る話だ。したがって、そうならないためにはiPS細胞を使う人を限定し、エシカル&リーガルの観点から自制をしていく。これが通常の新しいものが生まれたときの対応だろう。

 しかし、金子勇氏は無邪気にそこにWinMXがあるからそれを超える匿名性の高いWinny(M→N、X→Y)を作った。作っただけではなく無制限に拡散した。匿名性を高め、情報の検閲・削除を不可能にしたのだ。そうすれば権力者に不都合な情報隠匿を防ぐというプラス面だけではなく、マイナス面として悪用する人は出現するのは当然だ。つまり、新しいものが生まれるときに考えなければならないのは、エシカル&リーガルの観点での検討だ。Winnyにはそれが欠落していた。

 さらに当時は、インターネットが一般に普及していく最中だったので、防御が弱くウィルスを撒き散らしたり、人間の本能を刺激する違法ポルノなどに活用されてしまったのだ。Winnyのリリースが、10年前のインターネットがはじまったばかりの頃であれば、ネットのスピードも遅いので、違法なコンテンツの流通に使うことも難しかっただろう。

 このWinny事件の勝訴によって、自由にどんなプログラムも作ることができると考えるのは簡単だが、ソフトウェアを含むどんな新しいことでも、Creative Organized Technologyのシステム分析のフェーズにエシカル&リーガルの観点があるように、その考察が必要だということを学んだ方がいい。なぜなら私たちは、遺伝子を切ったり貼ったりするゲノム編集という技術まで獲得してしまったからだ。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。