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『ロシアトヨタ戦記』奥田会長のリスクマネジメントには感心した(他社の歴史)

 長銀総合研究所から、ウクライナの日本大使館、その後、トヨタ自動車に転職し、ロシアトヨタの社長になった西谷公明氏のロシアビジネス奮闘記。この手のビジネス書の書き手は何が伝えたいのか、いつもそれを探すためにページをめくるのだが、普遍的な真理が見つかった経験は1回しかない。それはおそらく、本にするときに「トヨタ」という看板があれば売れるだろうとか、ロシアという未知な市場の奮闘記は興味があるだろう、という思惑が入るからではないだろうか。

 トヨタ社内ではロシア進出のプロジェクトは「奥田プロジェクト」と呼ばれていたという。2002年の春に欧州の会議で方向性が決まり、2004年1月に有限会社トヨタ―モーターがモスクワにできた。オフィスを開いた話や新社屋や工場建設、物流の話が続くのだが、それはロシアでなくともインドでも別の国でも未開であれば、少し引いて読むとそれほど変わらない内容だ。つまり、ひと言で言うと「違いに苦労した」という話。ロシア市場では高級車のLEXUSが売れていたというのも、今のウクライナとの戦争でトルコや中東に不動産を買い漁っている姿からも想像がつく。

 西谷公明氏がNews Socraで以下のように語っているように、残念ながら、ロシアは今後は中国車の市場になるのだろう。

 ロシアではいま、中国車が飛ぶように売れている。中国メーカーは売り手市場で急速にシェアを伸ばしているという。ロシアは早晩、中国への資源の供給基地、中国製品の市場と化すだろう。誤解を恐れずに言えば「植民地」みたいになるということだ。

 本書でひとつだけ参考になることがあった。それは当時トヨタの奥田会長が、万が一のときはいつでもモスクワに救出に飛べるようにと、秘書に命じ、名古屋の空港に社有機を待機させていたという。ロシアに送り込んだひとりの部下のために行ったリスクマネジメントには感心した。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。