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『カナートと東大寺二月堂の修二会』(イスラーム)

 アフリカプレートとアラビアプレートがぶつかるペルシャ湾の東、イランの南西に3,000メートル級の山々が連なるザクロス山脈がある。
 また、イランの北部のカスピ海にも3,000メートル級のアルボルズ山脈(最高峰は5,610mのダマーヴァンド山で、西南西60kmに標高1200mのテヘランがある)がある。

 これらの山々に降り注いだ雪や雨は流下し地下水となり、地下水路を通じ乾燥地帯まで何キロも水を引く灌漑方式をカナートと呼ぶ。

※カナートは3000年以上前にイランで創造された灌漑イノベーションで、水源から一番遠い井戸までに長さが70kmに及ぶものもある。詳しくは、以下のサントリーのサイトに分かりやすく解説されている。

砂漠の知恵 張り巡らされた地下水路~カナート

 アルボルズ山脈を境に、北のトルコ側は降水量年間1000ミリ湿潤な地域、南のイラン側は年間降水量25ミリの乾燥地帯、と気候も大きく異なる。
 また、ザクロス山脈は天然ガスが噴き出し燃え続ける山や油田などが多くある。

 光(善)の象徴として火を尊ぶゾロアスター教(拝火教)の創始者ツァラツストラ(ゾロアスター、紀元前6世紀)は、天然ガスが噴き出す山々とザクロス山脈の山麓にある数多くのカナート(紀元前7世紀発祥)を知っていただろう。

※ちなみに、ゾロアスター教はカナート発祥の都市ヤズドが中心地。風の塔の家でも有名。

 イスラームがザクロス山脈を超え浸透するまでのペルシア(イラン)はゾロアスター教がベースにあったことが、スンナ派的な「イスラーム法(シャリーア)に全面的に依存」するイスラームをそのまま受け入れなかった大きな理由だろう。(3つのタイプのイスラーム

 イスラームはイスラーム成立以前にあった各地の土着の宗教などのベースによって違いがある。

 血族部族のスンナ(慣行)がベースにあり、その慣行(スンナ)がイスラームの慣行に置き換わったスンナ派(サウジアラビアが中心的存在)。

 中央アジアのモンゴル高原に住むトルコ系遊牧民(モンゴロイド)のベースにあったシャーマニズムがイスラームのスーフィズムに置き換わった(移動を繰り返す中で混血を繰り返しコーカソイドになったトルコが中心的存在)。

 ザクロス山脈の燃える山とカナートの都市(ヤズド)のベースにあったゾロアスター教(拝火教)がイスラームに置き換わったシーア派(イランが中心的存在)。

 中央アジアのシルクロードをキャラバン隊で移動しながら商売を行っていたのはイラン系のソグド人だった。
 前述のようにモンゴル高原にいたトルコ系遊牧民(モンゴロイド)は混血を繰り返しコーカソイドとなり、現代のトルコ人になったが、Wikiによると「ソグド人は、色黒の肌、深目、高鼻、多鬚などのコーカソイドとしての身体的特徴が挙げられる」とある。
 結果的にソグド人は定住にこだわらない特性からシルクロードの各地域に溶け込み、民族としては消滅してしまった。

 ここに『ペルシア文化渡来考』という1冊の本がある。著者は伊藤義教さんというイラン学者だ。

 この本ではイランにおけるゾロアスター教の要素が、東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)に伝わっている、と考察している。

お水取り:魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、「お水取り」の由来を伝えている。

 若狭の国の遠敷明神というのは、・・・国鉄小浜線小浜駅の南七〇〇メートルの同市遠敷にあって若狭姫神社と呼ばれる。・・・遠敷明神と結び付いた背景には『北方から正月の水が二本、地中をくぐって流下し、奈良の二月堂で地上に出た』 ・・・ そういう考えがあったことになる。そして、これはまさしくカナートと同じ考え方である。・・・若狭から奈良へのカナートとなれば直線距離にして九〇キロメートルはあるから、架空的なものではあるが、世界最長のものとなろう。・・・お水取りの一〇日前、三月二日には遠敷川上流、鵜の瀬で『送水の神事』が行われる。この地は若狭彦神社の南南東約二キロメートルにあり、遠敷川は『東大寺要録』に言う音無河である。 ペルシア文化渡来考より

達陀の行法(だったんのぎょうほう):「達陀」とは「(火を)通過する・(火)渡り」の行ということで、名実ともにイラン起源のもの ・・・ イランの事情を踏まえて実忠によって創始されたものとみることができる」 ペルシア文化渡来考より

 達陀の行法(だったんのぎょうほう)は、堂司以下8人の練行衆が兜のような「達陀帽」をかぶり異様な風体で道場を清めた後、燃えさかる大きな松明を持った「火天」が、洒水器を持った『水天』とともに須弥壇の周りを回り、跳ねながら松明を何度も礼堂に突き出す所作をする。咒師が『ハッタ』と声をかけると、松明は床にたたきつけられ火の粉が飛び散る。修二会の中でもっとも勇壮でまた謎に満ちた行事である。 Wiki修二会より

 イラン学者である伊藤義教さんは、修二会を創始した「実忠」は、イラン系異邦人である、という仮説を持っている。
 確かにカナートと「お水取り」、ゾロアスター教の終末の火(火審と浄罪)の役割と「達陀の行法」は極めて類似していいる。

カナート ⇒ お水取り
終末の火 ⇒ 達陀の行法

 実忠がイラン系であったか、あるいはソグド人のようにアジアに溶け込んでしまったアジア人(コーカソイド⇒モンゴロイド)なのかは分からない。
 しかし、なぜ水が豊富な日本の東大寺にゾロアスター教の2つの要素(お水取り、達陀の行法)を伝えたのだろう。
 そして、それが現代まで伝承されている必然性は何なのだとう...

 機会があれば修二会を訪れ、シルクロードの異邦人の痕跡を感じてみたいものだ。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。