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『山本七平全対話 (2)おしゃべり聖書学』Protestしないプロテスタントは本来のプロテスタントではない(世界の歴史)

 山本七平と聖書学についての識者数人との対話集だが、特に面白かったのは、ICU教授の古屋安雄さんとの「アメリカへ 聖書と体制」。

 山本:サザンプトンでメイフラワー号に乗り込むため、ライデン(オランダ)のピューリタンの先発隊(メイフラワー号には102人が乗船していたが、そのうち41人はイギリス国教会を批判するピューリタンたちであり、アメリカに渡る前には、一時オランダのライデンに移住していた)がスピードウェル号で『エズラ記』第8章111節を読み、説教をしています。ここはエズラが約束の地へ出発することの記述ですが、そうすると彼らは、約束の地へ行って聖書的体制をつくるつもりだったのでしょうかね。

 古屋:もともとアメリカに行こうという考え方が聖書から出ているのです。ヨーロッパを異国の国バビロンとみたわけです。それは堕落した国であって、そこから新しい国に行く。だから彼らはアメリカのことをニュー・エルサレムと呼びました。一般的にはオールド・ワールド、ニュー・ワールドという呼び方をしていますが、ピューリタンにとってはアメリカというのは約束の地、ニュー・エルサレムをつくるのだということで出かけていくのです。

 山本:おもしろいことに、独立後の最初の議会のときですか、英語をやめてヘブライ語を採用せよという動議がでているのです。

 ビューリタンが説教した「エズラ記」の第8章は、バビロンからの帰還とエルサレムへの旅だが、「ヨブ記」にあるように、ネボ山からジェリコ(異国の地)ではなかったのは、アメリカのプリスマがすでにイギリスの植民地だったからなのだろうか、など気になることもあるが、なんと言ってもアメリカの本質を表した以下のやりとりでは、目からウロコが落ちた。

 古屋:しかし、そういうプロテスタント・エスタブリッシュメントに最初に反抗したものとして、同じプロテスタントのなかからキング牧師みたいな人もでてきますね。
 山本:プロテスタントの歴史というのが逆に、その社会を停滞化させない。プロテスタントというのはプロテスト(protest)するのが本業ですから、絶えずプロテストによる停滞打破がでてくるわけですね。

 となると、Protestしないプロテスタントは本来のプロテスタントではない、ということになりますね。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。