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『白痴』 ロシア正教愛が溢れた黒澤映画

 Amazon Primeが私にレコメンドしてくる映画は、古い日本映画か、イラン映画やイスラエル映画などが多く、黒澤明監督の3時間映画「白痴」を観てみた。

 ドストエフスキーの原作はもちろん読んだことがないが、主人公である亀田(ムイシュキン)のモデルはイエス・キリストで、2人の女性が亀田に絡むストーリーなのだが、那須妙子(ナスターシャ)が出演した頃から「オヤっ」と気が付いたことがある。

 それは、この映画は東方教会(ロシア正教)と西方教会(カトリック)のマクダラのマリアの評価の違いを極めてわかりやすく描いたものだということ。
 その違いは以下。

【東方教会】マクダラのマリアは、復活の第1証人であり、聖女
【西方教会】マクダラのマリアは、娼婦、罪深い女。それが否定されたのはなんと1969年。

 つまり、マクダラのマリア=那須妙子(ナスターシャ)はロシア正教からすると心美しき人だが、西方教会からすると罪深い女ということになっている。ナスターシャ(那須妙子)と同じくムイシュキン(亀田)を愛するアグラーヤ(綾子)の家族などは西方教会的な見方でナスターシャ(マクダラのマリア)を評価する訳だ。

 黒澤明監督がマクダラのマリアを意識したかどうかは分からないが、もしイスラエルを訪ねていたら、エルサレムのオリーブ山にあるマクダラのマリア教会がロシア正教の教会であることを「オヤっ」と思うだろうし、ガリラヤ湖畔の彼女の生まれ故郷のマクダラ村にある小さなドームのような祈りの場所もロシア正教のマークがあるのを不思議に感じるはずだ。

 少し調べてみたら、ロシア皇帝アレクサンドリア3世がエルサレムを訪れた1881年にマクダラのマリア教会は発案され、1888年に完成したそうだ。ドストエフスキーは1821年に生まれで1888年に死んでいるので、マクダラのマリア教会の完成を観てはいないが、ロシア正教とカトリックのマクダラのマリアの評価の違いは当然知っていただろう。

 イエス・キリストとマクダラのマリアの関係を意識しつつ、この黒澤映画を観ると、ドストエフスキーの「ロシア正教愛」がひしひしと伝わって来る。原作と設定はロシアと北海道と違うが、ラストシーンも似ているので、この映画をロシア人が観ると、ロシア正教の素晴らしさをくっきりと鮮明に表した映画と感じるのではないだろうか。

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