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『グローカル公共哲学 「活私開公」のヴィジョンのために』「グローカル公共哲学」日本で確立すべき(できるだけ多くの異質な人と会う)

 「グローカル」という言葉は、1990年代に日本で生まれた「グローバル」と「ローカル」をプラスした造語で、「公共哲学」はアリストテレスを祖とし、ハンナ・アーレントにより問題提起され、21世紀に確立されつつある学問だ。その2つを合成した「グローカル公共哲学」は、今後の個人、企業、日本、世界、地球を考える上で、重要なものになる。

 戦前戦中の国家と個人の関係は、国家に忠誠を尽くす。戦後の企業と個人の関係は滅私奉公として尽くす。これらの20世紀の価値観で成功してきた企業は衰退を迎え、日本の従業員エンゲージメント指数はダントツ世界最低だ。世界最高はインドで77%。以下、デンマーク67%、メキシコ63%、アメリカが59%で5位。中国57%、ブラジル55%、ロシア48%など。イギリス、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ先進国も40%台後半で弱い。韓国は40%、日本は31%なのだ。

 企業経営もESG投資により、地球を意識せざるを得なくなり、エネルギーが自給できない日本のような国家は、持続性を意識せざるを得なくなった。グローバルでつながった経済は、遠くで起きたウクライナ戦争に大きく影響する。つまり、他のローカル地域を意識せざるを得なくなる。個人、企業、地域、国家、地球の関係を再定義する新しい哲学の必要性がますます高まる。そしてそれは、外国人の増加による多文化共生、人口減少による地方創生などの課題では必須の存在になる。

 公共哲学の研究者によるミニマムな合意は以下になる。

1)公共性の担い手が国家だけでなく、種々の中間団体や個人ひとりひとりであること
2)個人を犠牲にする「滅私奉公」ではなく、個人を活かしつつ公共性を開く「活私開公」という考えに立脚しなければならないこと
3)学問としての公共哲学は、既存の専門に収まりきらない「諸学問横断的な」営みであること

 グローカル公共哲学のベースは、「自己ー他者ー公共世界」という関係性になる。そして、「自己理解」と「他者理解」は切り離せず、自己と他者のコミュニケーションを通じて「公共世界」の活性化が自覚される。「グローカル公共哲学」は、ドメスティックな滅私奉公のライフスタイルが産んだ過労死や過労自殺、グローバルな格差が生んだ慢性化した貧困、水不足などの人間の安全保障をバラバラに論じるのではなく、地球環境を含めた「公共性」で捉える。
 こういう哲学の必要性は高い。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。