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『新約聖書1』20年来の謎が解けた。ウレシイ(世界の歴史)

 この本を読んで2つの謎が解けた。

 ひとつは、ユダヤ教とキリスト教の違いは、洗礼者ヨハネのレベルで前者の否定だけで終わるのでなく、後者が生まれた理由の根本に、イエスの語り口が大きく影響していることだ。つまり、イエスは絶えず、ユダヤ教の律法の常識的解釈を解説した後に、「しかし、私は言っておく」という前書きをしてから、前者の常識を覆し、本質的の異なる意味を提示する、という話術を使っていることから、前者を否定するだけでなく、巧妙な例え話でより高い位置に律法を昇華し、誘うようにしているのだ。

 もうひとつは、20年前から疑問だった「なぜ、エルサレムにあるマクダラのマリア教会はロシア正教なのか」という疑問が解けたことだ。
 本書の構成が「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」の4つの福音書を並列し、ポイントだけを新書版でコンパクトに示してくれたおかげで、「復活」の項目を読み比べることが容易にできたからだ。

①マタイによる福音書:マクダラのマリアともうひとりのマリアが墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。この天使がイエスが復活しガリラヤに行かれた、と話す。

②マルコによる福音書:マクダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買い、墓に行った。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座り、ナザレのイエスは復活しガリラヤに行かた、と話す。婦人たちは墓を出て逃げ去った。

③ルカによる福音書:マクダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた婦人たちは準備しておいた香料を持って墓に行った。石が墓の脇に転がしてあり、イエスの遺体はなく、輝く衣を着た2人の人が現れた。2人は、あの方はここにいない、復活したのだ、と話す。

④ヨハネによる福音書:マクダラのマリアが泣きながら墓の中を見ると、イエスの遺体のあったところに、白い衣を着た2人の天使が見えた。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」と言いながら後ろを振り向くとイエスが立っておられるのが見えた。イエスが「マリア」と言われると、彼女は振り向いてヘブライ語で「ラボニ」(先生)と言った。

 この①②③④を読み比べると、明らかに④はマクダラのマリアをひとりの人として書いているが、他の①②③は婦人のひとりとしてしか扱っていない。(ちなみにヤコブの母マリアとは聖母マリア)当時のユダヤ社会そのものが男尊女卑だったとも言えるが、④だけが女性に対する扱いの違いを感じる。

 佐藤優氏の解説はこうだ。

 『「ヨハネによる福音書」は、他の福音書とはまったく異なる文書だ。西ヨーロッパやアメリカのキリスト教と比較して、ロシアのキリスト教は「ヨハネによる福音書」の影響を強く受けている。ドストエフスキーのキリスト教理解も「ヨハネによる福音書」に基づくものだ。ロシア人の気質が欧米人とかなり異なるのは、この福音書の思想の影響が刷り込まれていると私は見ている。』

 20年以上疑問だった、エルサレムのマクダラのマリア教会がなぜロシア正教なのか、という私の謎が解けたのである!

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