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『日本的霊性』日本的霊性と禅とのつながりが不明瞭(日本の歴史)

 鈴木大拙の日本的霊性の「完全版」。不完全版は禅についての記述がある第五篇を含んでいないものを指すようだ。彼のいう日本的霊性とは、浄土系思想と禅を指す。神道は神社神道や古神道は日本民族の原始的習慣を固定化したもので、霊性には触れていない。霊性とは、精神と物質の奥にあるもので、それらが相克し矛盾しないで、映発するような意識を指す。

 日本人の宗教意識は、平安時代を経て鎌倉時代に生まれた。一方には伊勢神道が起こり、他方には浄土系の仏教が唱えられるようになり、日本人はこのときはじめて自らの霊性に気がついたとしている。平安時代のはじめに、伝教大師(最澄)や弘法大師(空海)によって据え付けられたものが、大地に落ちついて、それから芽を出したともいえる。鈴木大拙は、仏教が人文化と融合し日本風土化し、外国渡来のものでなくなったのではなく、もともと日本民族に日本的霊性が存在していて、その霊性が仏教的なものに逢著したことで、自らに現れたと考えた。天台や真言は日本国土の中までは浸透せず、上層部だけのもので、神道とは結びつき修験道となった。真言はインド的だとも言っている。

 鎌倉時代に武家文化が栄えたが、武家階級は禅道に入り、庶民階級は浄土思想を創案した。日本的霊性に最初に目覚めたのは親鸞聖人だ。彼は越後流刑の身となったとき、そこで大地に浸しんで居る人々と起居を共にしたから、日本的霊性を具体的に直覚したのだ。親鸞は、罪業からの解脱を説かず、因果の呪縛からの自由を説かない。現世的、相関的、業苦的存在はそのままにして、弥陀の絶対的な本願力に一切まかせる。ここで個人と弥陀なる絶対者との1対1の関係を体認する。そしてこれが、日本的霊性を自覚することだとしている。親鸞は仏教者であるというより本質が日本人で、仏教者であることは偶然性なのだとしている。

 日本的霊性の浄土宗に関する記述は論理的な展開があるが、もうひとつの鎌倉時代に武家に浸透した禅に関する日本的霊性に関する記述は明確でない。金剛経をベースに、禅はインド人の哲学的宗教的直感から生まれ、禅的表現をもつようになったのは、支那民族の間で生まれたとしている。ここから日本的霊性への論理展開が明確でない。鈴木大拙の功績は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめたことが強調されるが、禅と日本的霊性の結びつきについて、浄土系仏教との結びつきのように説明したものがあれば、読んでみたい。

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