見出し画像

『青山栄次郎伝 EUの礎を築いた男』バックキャスティングで書かれた「パン・ヨーロッパ」は実現した(世界の歴史)

 シナリオ・ライティング法(シナリオ・プランニング)には「バックキャスティング」と「フォアキャスティング」がある。そのバックキャスティングで未来予測を行った有名な例として、人類の歴史を原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義、次に社会主義、共産主義になるというシナリオ・ライティングしているのが、マルクスの『資本論』だ。『資本論』は初版1,000冊を売るのに4年もかかったが、2度の革命を経てソ連を生み出した。『資本論』と同じようにバックキャスティングでヨーロッパの未来を予測した本に『パン・ヨーロッパ』という本がある。初版は5,000部から7,000部刷られたが、ヨーロッパにおいて最初の1年で10万部売れベストセラーとなった。しかし、ナチス政権に禁書とされ、ヒトラーの『我が闘争』にとって代わられた。日本では鹿島建設の社長になった鹿島守之助(当時外交官)の翻訳で1927年に国際連盟協会から出版されいる。この『パン・ヨーロッパ』は、マルクスの資本論がソ連の基礎となったように、EUの基礎となった。本書はその著者である日本名青山栄次郎さんの伝記である。 以下は『パン・ヨーロッパ』の書き出し。

すべての偉大な歴史適事実はユートピアに始まり実現に終わった

 明治のはじめに新宿区(牛込区納戸町)で骨董屋を営む青山喜八の娘であるミツ(後の光子)が生まれた。オーストリア=ハンガリーの二重帝国の代理公使としてハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が日本に赴任した。公使館の所在地は牛込区納戸町。ある日、冬の寒い日に馬が滑ってしまいカレルギー伯爵は転倒したが、骨董屋からそれを見ていたミツが助けることになり、二人は出会った。その後二人は結婚し、二人の子供を日本で生んだ。その次男がリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(青山栄次郎さん)だった。日本赴任が終わり、家族はウィーンに帰国し、ロンスペルク城での暮らしたという。また、アドルフ・ヒトラーは青山栄次郎さんより5歳年上でウィーンで暮らしていた。当時のウィーンの人口は200万人。うち7%(14万人)がユダヤ人だった。 サラエヴォの銃声により、オーストリアの皇太子が暗殺され第一次世界対戦に。そして、第一次世界大戦は結果的に、ヨーロッパの没落、日本の台頭、そしてソ連の登場を促した。そんなとき青山栄次郎さんは地球儀を眺めて以下のブロック化を発想した。

  1. 統合されたヨーロッパ=パン・ヨーロッパ

  2. 大英帝国

  3. 南北アメリカ大陸=米国主導下のパン・アメリカ

  4. 統合されたアジア(後の大東亜共栄圏)

  5. ソヴィエト連邦

 そして、世に出たのが『パン・ヨーロッパ』だ。この本は、青山栄次郎が自ら設立した出版社「パン・ヨーロッパ出版社」から出版した。サブタイトルが「ヨーロッパの青年に捧ぐ」で、1冊ずつに「私はパン・ヨーロッパ運動に参加します」と書かれたハガキが挟んであったという。オーストリア政府がパン・ヨーロッパ運動に全面協力することとなり、各国語版が次々と発売された。ヨーロッパ全土から100万通を超えるハガキが集まり、ウィーンのオペラ座で第1回パン・ヨーロッパ大会が開催された。その後、第二次大戦となるとパン・ヨーロッパ運動はドイツ国内では禁止されてしまった。 第二次大戦後、ド・ゴールが中心になったヨーロッパ統合の動きが現れ、ドイツとフランスの和解が基礎となり、1952年にECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)、1958年にEEC(欧州経済共同体)となった。つまり、結果的にヨーロッパの統合は政治家の仕事となったのだが、その構想を提示し、草の根運動としたのは、実は青山栄次郎さんだったのだ。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。