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『イスラームから見た西洋哲学』井筒俊彦的切り口(世界の歴史)

 著者の中田考氏の本は、橋爪大三郎氏との対談『一神教と戦争』ぐらいしか読んだことがない。カリフ制を理想の政治システムとして唱える日本ではユニークなイスラム哲学者だ。現在はトルコのイスタンブールにあるイブン・ハルドゥーン大学の客員教授。

 西洋哲学をギリシア(アリストテレス)、近世(デカルト)、近代(カント)、現代(ヴィトゲンシュタイン)の4つの時間軸で分類し、それぞれの時代の代表的哲学者とイスラームの哲学者との関係性や比較が行なわれているのが本書だ。相当教養がなければ、こんな離れ業のような構成で本を書くことができないと思うのと同時に、西洋哲学についてのある程度の知識がないと、本書を読むことはできるが、腹落ちすることは難しいだろう。

 まず驚いたのは、プラトンとアリストテレスの哲学を知ったイスラームの哲学者たちは、世界のすべての存在者の究極の原因である永遠不滅の唯一のこの不動の動者こそがアッラーだ、と考えたことだ。ギリシャにはたくさんの神々がいるが、唯一神のイスラームと一致するというロジックは何だろうという疑問がわく。

 イスラームと同じ一神教のキリスト教のカトリックの世界では、ギリシャ哲学は忘れ去られていた。ギリシャ哲学は多神教だから一神教から見ると異教になる。しかし、イスラームの哲学者であるイブン・スィーナー、イブン・ルシュドのラテン語訳を通じて、特にアリストテレスの哲学のキリスト教徒に再評価が行なわれるようになったという。

 アッバース朝の8世紀から9世紀にかけて、シリアのキリスト教徒により、ギリシャ哲学書がアラビア語に翻訳された。トルコ系のアラブ人、ファーラービは天才的な人で、いわゆるイスラーム神学の完成より早く、プラトンとアリストテレスを統合し、それをイスラーム化し、イスラームとギリシャ哲学が矛盾しないことを論証した。ファーラービは『有徳都市』という本で、預言者と哲学者は同格であると考えた。イスラームには子なる神も三位一体もないので、そのような議論が生まれやすかったのだ。

 アラブ・イスラームの世界からプラトンやアリストテレスの哲学がアラビア語からラテン語への重訳を通じて入り、哲学の心理と宗教の心理が一致するというイブン・ルシュドの「二重真理説」が紹介された。これがキリスト教の信仰とギリシャ哲学の理性の調和の新しい方法となり、アリストテレスのオリジナルなテキストが発見されることになる。それがギリシャ・ローマの古典、古代の文芸の復興、ルネッサンスにつながることになる。

 プラトンであれば、実在は善のイデアとなるが、アリストテレスになると、究極の真実は多神教の神話ではなく、哲学によって知られるとなる。哲学的に神は、それは感覚によっては知り得ない純粋な理性的存在であると、一神教に近い流れになる。

 カトリックは最初から宗教と政治が結びついているが、イスラームはウマイア朝時代から政治と宗教が分離したという。キリスト教の場合、そもそも宗教とは教会を信じ教会に属すことになる。教会に精霊が宿っている、教会自体が神の身体だからだ。したがって、政教分離というのは、国家と教会の権力闘争で、世俗化とは教会財産の没収のことなのだ。教育、婚姻、裁判という権力がどんどん教会から奪われるプロセスそのものが世俗化なのだ。

 イスラームの政治制度は、シーア派は人間社会が一人の指導者によって統治されることは理性によると考え、スンナ派は預言者ムハンマドへの神の啓示によって義務となると考える。イスラームには人権という概念はない。生きる権利がある、財産を奪われない権利があるとは考えず、人を殺してはならない、盗んではならないと命じられているから、その結果、人間の生命と財産の安全が保証されるのである。

 たとえば、イスラームと近代哲学では、西洋哲学の無神論者マルクスとイスラームを比較している。イラン・イスラーム革命のホメイニ師の考えは共産主義的と言われていた。当時はイスラーム世界全体でマルクス主義の影響は強く、エジプト、シリア、イラク、リビア、インドネシアなどでイスラームとマルクス主義を融合しようという試みが流行った。
 社会の経済的下部構造の弁証法的発展の結果として、最終的には共産主義革命によって人間の疎外と搾取のない平等な社会というユートピアが現出するので、ハルマゲドンの後に天国がやってくるという一神教の歴史観と一致する。その意味では、唯物論、無神論と言いながらもマルクスは一神教のロジックを完全に踏襲していた。つまり、終末論でマルクスとイスラームはつながるのである。

 このように西洋哲学とイスラームを比較しているのが本書だが、西洋哲学に詳しくない私には荷が重い。しかし、イスラームから西洋哲学を論じるアプローチは、井筒俊彦の方法論と似ているので、この切り口から西洋哲学を理解するという道もある。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。