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一乗谷散策。


寒くなる前に一乗谷に行ってきました。
青い空と紅葉が綺麗な日でした。
一乗谷は雨上がりの様なしっとりとした雰囲気が似合うと思っていましたが、観光日和のこの日に行って、より哀愁を感じてしまいました。こんな長閑で文化的な生活をしていた朝倉氏の居館や町が、戦に負けてしまったが為に三日三晩焼き尽くされたなんて、三日三晩ですよ!

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一乗谷というと、朝倉館跡の唐門が有名ですが、谷一帯、本当に広々とした豊かな国だったのだなと感じました。広々とした敷地内に点在する遺構、妻の為の美しい庭園などなど。


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想いを馳せるのに充分な史跡でした。
一説によると、落ち延びた平家の武士たちが一乗谷に住み朝倉氏の配下になったとか。

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詰めの城には、登山となるため断念しました。また次回。日帰りでは時間が足りません。

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大河ドラマで将棋をさすシーンが所々にでてきますが、"朝倉将棋"をさしていますよね。現代の将棋とは少し違って「酔象」(裏は「太子」)という駒があります。その駒も発掘調査で出てきています。将棋の歴史としても転換期ということで貴重らしいです。細かいシーンですが、よくみると面白いですね。


信長によって滅亡となった朝倉氏ですが、
朝倉義景の身重の側室が美濃(可児)へ、落ち延びたという逸話があります。
側室は出家して宗珠尼となり、朝倉の名を隠したので、子は可児太郎と名付けられました。
(御本尊の薬師如来は蟹の甲羅に乗り池の中からやってきたので別名蟹薬師ともいう。可児と蟹…不思議。)
明智光秀の家臣に可児氏が居たが、その子が家臣になったのか定かではない。が、もともと越前の朝倉氏と美濃の土岐氏は近しい関係にあり、土岐氏の流れを組む明智なのであるから、そういう事もあり得るのかも知れませんね。それもなんだか面白い。

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それにしても、(何回も言ってしまいますが)この時代の人たちは健脚なのはわかりますけど、大河ドラマで、尾野真千子さん演じる伊呂波大夫が優雅にヒョイっと岐阜や福井や京都に登場すると、幾ら架空の人物とは言え、なんだかなぁと思ってしまいます。   車の移動でも疲れるのに。

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ともかく今回の一乗谷散策は有意義でした。
朝倉氏の事をもっと知りたくなった一日でした。

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福井県良いところですね。





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