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『グレート・ムタ伝』武藤敬司(辰巳出版)


武藤敬司が語る「グレート・ムタの歴史」。
最初のアメリカ遠征からの海外プロレス活躍時代、新日本での逆輸入登場、キャラクター化、全日本移籍、レッスル1、NOAH…と続くそれぞれの時代での出来事や印象的な試合を“代理人”の武藤が詳しく語る。

グレート・ムタはいろんな相手と名勝負を残してきたが、そうなったのはムタというプロレスラーがどういうキャラクターであるかのイメージを武藤自身がしっかり持てていたのが大きい。
ではどこでそのキャラクターを確立させたかといえば一回目と二回目の海外遠征時代、ケンドー・ナガサキ(女好きであると何回も語られる)とサーキットしたり、WCWでトップに入ってた時代に得た評価だったと思う。
そこで武藤はムタという選手を作り上げ、団体はムタが光るためのストーリーラインを書いた。

ところが新日本に戻ってからはストーリーラインも何もないところで「はい、次はこの相手とやって」とポンと試合を組まれ、あとは投げっぱなしだったことが非常にストレスだったらしい。
実に90年代の新日ぽい話だ。
そんな中で馳戦、猪木戦、新崎人生戦など名勝負を作ってくんだから武藤はすごいんだが、読んでるとずーっと「海外でやってた時はよかったなあ」という思いがあって、キャリア中盤以降は「どうしたらあの時みたいに日本で出来るだろう」と模索してたようにも思える。
結局、武藤は日本よりもアメリカが合ってたんだろう。

これだけのキャリアなのだから時代を象徴するいろんなプロレスラーの話が出てくるが「どうしたらこんな稼げるのかな」と思ったハルク・ホーガン以外は総じて興味がなさそうだったり、自身が全日手で上手くいなかったのは白石伸生がめちゃめちゃにしたからだみたいに言ってたり、「アメリカでこれだけ名が売れたのは俺だけ、まあ今は中邑に超されちゃったけど」と誇りながら自身の反省点はいっさい気にしないあたりが実に武藤敬司なのだが、そんな中でちょいちょい名前が出てくるのがグレート・カブキ、TAJIRI、そして天龍。
やっぱり武藤は新日本より全日本系の選手の方が波長が合ったんだろう。

「しかしなんでムタと対戦決まるとどいつも急に顔面ペイントしてその日だけ毒霧吹いたりするんだろうね。そんなことしたら絶対こっちにかなわないのに」
というのが非常に芯を喰った発言だなあと思いました。
まあ、みんな単純に一度マネしたくなるんでしょうね。

そんなムタもコロナ以降毒霧が使えなくなってしまい、いろいろ大変みたいです。
けどだからこそこんなときに観客の予想外を作るのが面白い、とも。
ムーンサルトと毒霧のないムタはどんなレスラーになってるんでしょうか。

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