小日向の時間/ショートショート
神様が人間に愛想を尽かし、時間を消し去ってしまってから、どれくらい経ったであろう。小日向は思い返してみたが、そもそも時間という概念がないからわからない。時間がなくなる前、小日向はごくありふれた銀行員だった。妻と二人暮らし。待望の我が子を夢見て、不妊治療に勤しんでいた。小日向も妻も40を超え、そろそろタイムリミットか、というときに時間が消えた。二人は、今後年を取ることもなく、永遠に41歳であり続ける代わりに、子を持つこともできなくなった。時間の経過がない以上、胎児は胎内で育つことはできない。子どもの望みがなくなってから、小日向と妻の関係はぎくしゃくし始めた。それまでは、共通の目標に向かって手を携えて歩くことが出来たが、二人はどこに向かって歩いて行けばよいのかわからなくなってしまったのだ。しかも、老化しないということは、死へのリスクも格段に減り、人生は永遠とも言えるくらいだらだらと続いていく。いつ終わるとも知れない人生を、この人といつまで過ごさなければならないのか。目的を失った夫婦が疑問を感じるのも無理はなかった。
小日向は、銀行の事務員にいれあげ、不倫関係になった。このくらいの楽しみがなければ、人生を継続することは不可能であるように思われた。妻も同様に考えていたのであろうか、SNSで知り合った昔の恋人と寄りを戻し、さっさと家を出て行った。小日向と事務員の関係は、銀行でも知られるところとなり、彼は左遷された。元々、仕事に情熱を燃やしていたわけでもないが、左遷され店頭でティッシュ配りなどをさせられるはめになってみると、やはり惨めに思えて仕方なかった。小日向はメリーゴーランドの中にいるような感覚に襲われるようになった。自分も周りも変わることがない世界。ただ、そこをグルグルと回っている。新しいものは何一つ生まれず、古いものはいつまでも残り続け、強いものは君臨し続け、弱いものは決して這い上がることが出来ない。小日向はふいに思った。この閉塞感は、今に始まったことではないだろう。時間が消える前からあったはずだ。ただ、時間があるときにはこれほど息苦しくはなかった。なぜなら、未来があったからだ。どれだけ閉塞していても、未来さえあれば、そこに向かうことはできる。でも、今は違う。過去はあっても、未来はない。
小日向は銀行を辞めた。限りのない人生をどう生きるべきか、考えれば考えるほど袋小路に填り、精神は次第に蝕まれていった。あろうことか小日向は薬物に手を出した。幻覚と快楽の中に身を投じなければ、この状況をやり過ごすことができなかったのだ。やがて、薬物中毒に陥った小日向は、道ばたで刃物を振り回し、現行犯で逮捕された。
時間がなくなり、犯罪は増加の一途を辿っていた。そもそも、時間が消えてしまったのだから、懲役○年という刑罰はない。あるのは、終身刑か、死刑である。小日向の犯した犯罪は、通常ならば重犯罪に属するほどのものではないだろう。刃物を振り回したとはいえ、誰かを殺傷したわけでもない。しかし、それは時間がなくなる前の話である。
「被告人は、いわゆる所の社会のゴミです。ゴミはゴミ箱に捨てることが一番良い方法なのです。今、世界中で人が減らないことが大問題になっています。全ての人間が、永遠に生き続ける事ができる社会など存在しません。生き残ることができるのは、生き残るにたる、価値のある人間だけです。しかし、残念ながら被告にはその価値などありません。もし、彼を牢獄してしまったら、どうなるでしょう? 国家はまた一人、ろくでもない穀潰しを抱えることになるのです。そんなくらいならば、いっそのこと被告を極刑に処し、国家社会に貢献していただく事こそが賢明な判断だと、確信いたします」
法廷で検事は、辛辣に小日向を糾弾した。たしかに、新しい生命を産まないということは、動植物も同じ事であり、食糧は減少する一方である。このままいけば、人類は飢え、やがて滅んでしまう。なるほど、死刑は有効な人口抑制策というわけか。小日向は他人事のように感心した。そして、あっさりと裁判官の口から死刑を宣告された時、どこかホッとしたような感覚を覚えた。
目隠しをされて絞首台に立ったとき、小日向は、一体神様がどうして時間を消し去ってしまったのか考えた。人間は時間を、いかに歪め、自分たちの都合の良い形に変えてきたか。人の命は、地球より重い、と誰かが言った。しかし、その美辞麗句を正しく言い換えるべきだ。「私の命は地球より重い」と。誰しも、自分とそのわずか周辺の幸せにしか興味がない。そうか、人は時間に生かされているが、時間は人により生かされているわけではなかったということか…小日向はそうつぶやくと、ガタンという音と共に足元の床が開いた。小日向の時間がようやく終わった。
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