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還暦で天寿を全うせよ

Twitterでは、産まない選択をした人のお気持ち表明にお目にかかることが多い。

▽氷河期女性の産まなかった宣言

私はひとりでいることが苦痛ではない(どころかむしろ快適だ)し、家や身の回りを暮らしやすく日々調整している。
プライベートな領域に「他者」が存在しないというのもあって、自分次第でどんどん快適になる。楽しい。
これは自分に「楽しむ能力」があるからかもしれないし、やっぱり自分で自分の食い扶持は稼いでいるからできることなのかもしれない。

https://anond.hatelabo.jp/20230604131352


▽Z世代既婚女性の産まない宣言

でも、あくまで私は産まないって話。
少子化対策と私の人生を天秤にかけたら、当然私の人生の方が重いし。

https://anond.hatelabo.jp/20230606154326


▽健康な二十代女性の絶対産まない宣言

こちら全くもって健康な二十代女性です〜絶対産みませ〜ん後悔もしませ〜んざまあ〜べろべろばー😜

https://twitter.com/waiteatpaint/status/1666467907377987584?t=-nH0V5SwL0vtTeWNH0e_TA&s=19


人生エンジョイしているようでなによりだ。

ただ彼女たちは、老後をどう考えているのだろうか。増田のお二人は貯金があればなんとかなると思っているようだし、べろべろの人は自分が老化する未来など考えていないのかもしれない。

別に、老後のために産んだほうがいいとは言わない。気になるのは、老後に他人の手を借りて生きようとしているのかどうか、ということだ。
将来的に介護手段のほとんどがAIやロボットになっていれば良いだろうが、人力が必要である限り、己の世話をどこぞの他人に委ねる必要がある。
少子化でその人手が足りないと言っているのに、お金でなんとかなると思っているのであれば、考え直した方がいい。海外に移住するなら話は別かもしれないが。

我々の税金が主に高齢者のために使われる、という今の仕組みが例えひっくり返ったとしても、『産めるが産まない女』の思考回路はさして変わらないだろうと思う。

私の人生は私が決める。
産みたい誰かが産めば良い、支援はする。

正直、その考え自体にどうこう言うつもりはない。
だがそうであるなら尚更、極限まで健康寿命を延ばして、人生を自力で運用し続けることができるように頑張ってほしい。老後の貯蓄は体力だ。人生を謳歌している人には簡単な努力なのかもしれないが。

私は二児の母だが、『子供がいるから長生きしてもいいライセンス持ってます』などとのたまう気はない。個人的には、健康寿命を長引かせるより、平均寿命を縮める方向で考えている。

我が国の高齢化が急速に進む中、国民一人ひとりの生活の質を維持し、社会保障制度を持続可能なものとするためには、平均寿命の伸びを上回る健康寿命の延伸、即ち、健康寿命と平均寿命との差を縮小することが重要です。

https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/hale/h-01-002.html#:~:text=%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%AF%BF%E5%91%BD%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%8C0,%E6%AD%B3%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
"健康寿命の延伸と平均寿命との差の縮小が重要"

"健康寿命の延伸と平均寿命との差の縮小が重要"
どうしたらピンピンコロリに近づけるか?長い方を短くしようが、短い方を長くしようが結果は一緒だ。

私は子供たちが一人で生きていけるようになればお役御免だと思っているので、なんとか下の子がハタチになるまでに、一通りの衣食住スキルが身につくように育てたい。いや、最悪身についてなくても勝手になんとかしようとするマインドさえあれば良いのか。
順調に行けば、私は55歳で晴れて自由の身だ。
理想としては還暦でコロリなので、そこを基準にあと5年で何がしたいかを考える。

・全身脱毛したい。昔やったけど股の毛は再生したし、他の部分も残ってる。一掃したい
・シミ取りしたい。シワとたるみは受け入れる覚悟はできてるがシミは駄目だ。許せない。
・東京とか大阪とか岩手とかに一泊くらいでふらっと遊びに行きたい。
・近所で行きつけの飲み屋を作りたい。週末の晩ごはんはそこで食べたい。

殊更、飛び抜けて叶えたい夢などないのだ。
まだ現役で働いてるはずなので、子の世話がなくなった時間の中で色々組み立てようと思う。
仕事に関しても、このままで大丈夫かというのはある。今の現場でのうのうと働き続けることが出来るなら、それが一番ありがたい。

還暦過ぎてもおめおめ生きているのであれば、そのとき考えるしかないのだが、そのころには安楽死についての議論が進んでるのでは…という希望的観測も持っている。健康寿命と平均寿命を近づける最適解だと思う。

*

人生が私のものだというのなら、死に様を決めるのも私だ。充実した人生を送ったあとに待っているのは、充実した死であるべきだ。

私の親世代までは社会福祉の恩恵にあずかれるのだろうが、おそらく今後は無理だ。力のない者から順に淘汰されていく。少子短命化だ。
そんなのは間違ってると言ったところで、なるようにしかならない。誰にだって判る。

他人の手を借りずに生きて死ぬために、必要なのは貯金なんかじゃない。
知力・体力・時の運だ。

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