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人見知りと育児と年齢という呪縛の話

人見知りと育児の相性はあまりよくない。

長男が幼稚園に入園した頃、わたしは毎日が憂鬱だった。
それまでの、我が子と二人ほぼ引きこもりのような生活から一変して、たくさんの子供、保護者そして先生たち。どんどん距離を縮める他のお母さんたちにいたたまれなくなって、お迎えの時もまだ遊びたそうにしている長男を急かしてそそくさと園を後にするのが常だった。
それも3年通えば段々と慣れてくるのだが、やっと緊張せずに園に行けるようになったところでステージは小学校へ。”ふりだしに戻る”だ。

小学校は親同士の交流の機会が少ないため、幼稚園よりもはるかに難易度が高かった。学校に行く機会もそう多くないのだからぼっちでもいいのでは?と思うだろうが、そうもいかないのである。育児で大切なのは「情報収集」だ。偉そうに言っているが、3年生が終わろうとしている現在わたしは未だぼっちである。

さて、長男が卒園した一年後、長女が幼稚園に入園した。
園のシステムも大体わかっている。顔見知りのお母さんたちもおり、幼稚園2周目は長男の頃よりもだいぶ心に余裕があった。
長男在園中に一度も役員をしなかったこともあって、長女の時には保護者会の役員をすることにした。大変な進歩である。
そこで出会ったお母さんが

「30代になった時に、やっと同じ土俵に立てた!っていう気持ちになった」

と話していたことがあった。
彼女も幼稚園2周目で歳はわたしより一つ年上だ。わたしはその話に勢いよく頷くと同時に、同じ気持ちの人がいたのだと感動を覚えた。
長男が入園した時、わたしは26歳。周りは見るからに年上ばかりで、敬語を使わずに話しかけることにひどく抵抗を覚えていた。”年上なのだから失礼がないようにしないと”という一歩引いた気持ちが、わたしが園に感じていた”居辛さ”の正体だったのかもしれない。
長女入園の時わたしは31歳。まだまだ年上が多いが同年代のお母さんたちも周りに増えた。それだけでだいぶ”居心地”がよくなったと思う。

大人になれば歳の違いなんて気にならなくなるのだと思っていた。
しかし実際は、誰に言われるわけでもないのに自分で勝手に年齢に対して引け目を感じたり、逆に安心する材料にしたりしている。
これが生き辛さの一端であるのならば、そんなもの捨ててしまいたい。年齢によって”敬意のはらい方”を変えるなんていうのは格好悪い大人のすることだ。
人見知りの悪いくせだが、必要以上に自分を卑下して縮こまってしまうのは良くない。もっとフラットに生きたいものだ。

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