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人に教えるということ 9

今朝、スペース(Twitterの部屋)にて「保護者との関係性」について触れていました。
それを聞きながら、今日はちょっと感じたことをここに書いてみます。
※かなり長文になると思いますのであらかじめ

お話しをされていた方は剣道をご自身も選手として長年経験されてきて、
今は子どもたちに指導している人です。
剣道の大会が続いていて、そこでの結果のお話をしていたときのこと。
選手自体の「技術=力」は勝っていたけれど、「心の部分」で負けてしまった…
ここで、2月からの更なる上の大会に向けての保護者へのメンタル強化をしようと思う。
とのことでした。

これは、自分も同じ道をたどったので凄く考える部分がありました。

和多志は
・自分が選手
・指導者
・自分の子どもの保護者
この3つを体験してきています。

一番簡単な立場はもちろん「自分が選手」です。
だって、ただひたすら自分がやるしかないだけですからね。

ここからは、
わたしの「選手」というものの扱い方について考え方を一変させた出来事の話しをします。

それは、スイミングの選手クラスの担当の時のことです。
和多志は一番下のレベルの小学生を担当。
そして、その選手クラスへ一般クラスから良き選手を入れるという役割もしていました。
一般クラスで上級クラスを担当していたので、もちろんその中からの引き上げ。

ある年のそのメンバーを決める会議が行われた日のことです。
選手に関わる指導者が意見を言い合います。
ほとんどは全員が一致した名前があがりました。
ただ和多志は、そこにないある小3の男の子の名前をあげたのです。
他の先生からは、「身体が硬い」「心が弱い」など反対されたのです。
確かにタイムもそんなに良いわけではないし、
言われるとおり身体も硬く動きがぎこちない、ちょっと不器用な子でした。

でも和多志は、この子の「素直さ」に目をつけたのです。
・練習を一番手をぬかずに、どんなときも必死にやれること
・プール以外の場所でも、ちゃんと友だちに気を遣うことができること
・誰に対してもしっかりとした挨拶ができること
・親がそんなに水泳に熱心でなかったこと
これが和多志のあげた理由です。
そして、考えたあげく指導長が和多志の言葉を信じて許可をくれました。

全員一致した子どもたちは親子で大喜び。
彼だけは、練習厳しいのが嫌だなぁとか弱気です。
親御さんも、子どもがやりたいならやれば良いしダメならやらせません。
くらいの完全子ども主体親子。

すでにこの時に和多志は、この子は何かやらかすだろうなぁと確信がありました。
もちろん、一番落ちこぼれでしたから業務以外の時間も指導したり、手は沢山かけました。
と言ってもその子だけではなく、クラス全体の子どもたちの中での手をかけるですが…

彼の最初の頃のタイムは、レースでいうなら1組スタートレベル。
水泳のレースで速い人は最終組に属します。
つまり参加者の中でドベに近いレベルだということです。
その時点で、和多志の担当するクラスの中でも数名は全国へと進んでいましたから、
彼のタイムでは練習についていくだけでかなりしんどかったはずです。

そしてある年、和多志は心に決めたことがありました。
「とにかく全員がベストタイム出して、自分の決めた目標をクリアーさせる年にする!」

1月1日は水泳界では新年フェスティバルという大会があります。(今は日が違いますが)
その大会の時に、全員に目標を紙に書かせ、親の前で大きな声で読ませ親にその目標を渡すという儀式をしました。
さぁ、そこから和多志のスイッチが入ったのはもうおわかりでしょう。
泳ぐ前にそれまでになかった陸トレを自主的に和多志が開催しTraining。
休みのに日は家に子どもたちを呼んで、みんなでご飯を作って一緒に食べる。
宿題をしたり山へ蝉を捕りに行ったり海に行ったり。
中には家に泊まった子もいました。
そうすると、おのずと保護者の方も協力してくださるようになりました。
その頃和多志は独身で実家を離れた一人暮らし。
朝から晩までプールに居る女を捨てたような生活の日々。
お家ご飯に呼んでくださったりお弁当届けてくださったり、
それはそれはチーム全体としてとても良い雰囲気を創り上げました。

子どもたちも、半年過ぎた頃から徐々に結果が出てきました。
例の彼も、最終組に近いレースが出来るようになっていました。
そしてその年の、最後の全国予選大会の種目提出を決める時に。
和多志は彼を呼び出し言いました。
「全国へ行きたいのか?」
と。彼は
「でも、僕のタイムは全然遅いから無理だとおもう。」
と。
無理もないですよね、自分が選手だったらたぶん同じ事を思うでしょう。
周りは凄く速くて、自分は次の大会へもいけれない惨めさ。
行きたい気持ちはあっても力が伴わない悔しさ。
でも彼に言ったのです。
「スポーツは勝ち方がある。行きたいなら叶えたい。」
と。

その時彼は、全体のタイムアップのために個人メドレーとクロールばかり練習させていました。
でも考えたんです。
本氣で狙うなら、種目を絞ったらいけるんじゃないか?って。
彼は頭は良いし心も良いけど、身体が不器用。
そこで、両手両脚同時運動のバタフライ1本にかけようと思ったのです。
彼に伝えました。
「バタフライ50m1本に全力にかけてみないか」
と。それで全国を狙ってみないかとの打診をしてみたのです。
「うん、50mだけなら頑張れる気がしてきた。」
これで決まりです。
その種目に絞って徹底的に標準タイムを切って全国を狙うことに目標が設定されました。

そして試合当日、集合場所に来た彼の顔は笑顔いっぱいでした。
もうおわかりでしょう、
もちろん標準タイムを切って全国への切符を手にしました。

さて、悲劇はここからなんです。。。

そしていよいよ全国大会へ。
初めての全国大会。親子で様子もわからないままの出場。ドキドキ状態。
もちろん全国ともなると雰囲気が違うので、その空気に飲まれそうになります。
わかりますわかります、回りみんなが神に見えるんですよねぇ~
体験済みです笑
心配になった彼はレース前に来て
「どうしたらいいですか?」
と聞きました。
「何も考えず息せず突っ込め。お前より遅い子は誰もいないからこわいもんは何もない。」

さてみなさん、彼の一番の良いところを覚えてますか?
そう「素直さ」です。
彼はその通りをしたのです。
1組レース出場から、なんと決勝進出。
そしてあれよあれよという間に、なんと

金メダル!! 初優勝

社長も指導長も他のクラブの先生も、目が点です。
もちろん、隣にいたご両親も???状態。
彼も水からあがって掲示板を見ても、何がおこったかわからないくらいの状況でした。

あっという間に、スーパースターのできあがりです。
一気にそこから彼の人生が変わりはじめます。
その後のレースに行けば、
「あの金メダルの彼だ!」
って誰もが顔がわかるようになり、一目され出しました。
彼の性格ですから、彼自身は何も変わらなかったですが…

そうこうしている間に、和多志の諸事情で退職して田舎に戻らなくてはならなくなりました。
大好きだったチームとも、子どもとも、親御さんとも、指導者たちともお別れです。
そうやって、遠くチームを応援するだけとなりました。
子どもたちは、時々連絡くれたり遊びに来てくれたわいもない話しをしていました。
成績も、まぁそこそこの結果のようでした。

そしてそれから彼は、大学まで水泳を続けていました。
あるとき、彼から連絡が来て「早慶戦を見に来て欲しい」と。
もちろん、喜んで観戦に行きました。

久しぶりにあった親御さんと一緒に、彼のレースを久しぶりに見ることができたのです。
その時、お父さんお母さんと沢山話しをしました。
メダルを取った後の彼の様子を…
メダルを取ってから、なかなかタイムも出ず中学高校と苦しんだんだと。
タイムだけじゃなくて仲間と泳ぎたいって、泣きながら泳いでいたって。
インハイもリレーメンバーから落ち、それでも腐らずにいたと。
小学校の時のチームが大好きだったから、
今でも水泳が大好きだからと大学でも部活を続けているんだと。
彼がそんなに苦しんでいたことを、和多志は何も知りませんでした。
冷たい人です。

そしてその日のレースは、彼は全部で3種目出場。
・200m個人メドレー
・100m自由形
・50mバタフライ

そして最後の出場レースがなんと、50mバタフライ。
彼の人生現役のラストレース。
この大学4年の早慶戦が引退試合でした。
レース前に来て、彼は和多志の目を見て言いました。
「先生、俺一番辛かったこの種目、今日は先生のために全力で泳いできます。」
って、あの時と同じ満面の笑みで言いました。
それに対して何も言えずにただ涙していました。

一番タイムも出ず、本当に苦しんだ種目。
和多志の人生の中でも指導者として得たひとつの大きな結果。
その種目のレースをこの目で見れた幸せ。
結果彼は、
最終組3コース
掲示板には1位。
なんと、ベストタイムまで更新しての優勝でした。
大学4年間で最初で最後の優勝だと、すっごく本人が喜んで、
仲間たちと抱き合っていた姿を忘れられません。

ここまでの長い年月を、
あの時のたった和多志の軽い気持ちだけでメダルを取らせ苦しめたこと。
ほんとうに水泳をここまで好きでいてくれたこと。
胸はいっぱいでした。
彼をあの時に選手クラスに引き抜いたことが間違えではなかったこと。
でもそれによって苦しめてしまったこと。
本当に雷に打たれた経験となりました。

何を言いたいかというと、
選手というのは、その時の大会だけではなくその後の人生を背負っているということ
あの時、あの一年というくくりだけのあの子たちだけを見て指導した自分の愚かさ
金メダルをとらせたという自己優越感だけで、本当の生き方は彼に教わったと言うこと
素直な彼は人生の勝ち組だとうこと
です。

指導者に言いたいこと。
目の前の選手は生き物です。
当たり前ですが、
もちろん選手ですから、
勝ちたいし勝ち上がりたいしタイム更新したいし、Olympicや世界大会全国大会に出場したい。
でもそれは選手としてのツールであって、
スポーツを通して文化を伝承しなくてはならないんだということです。

その件があってから、人に指導するときには一番にそれを頭に置いて今までやってきました。
娘が生まれ田舎に戻り、個人で任意団体の水泳チームを作りました。
水泳連盟に所属しないから全国へあがるルートはありません。
でも、市民大会や群大会くらいは出場できる。
その大会で、近くのクラブチームの毎日泳いでいる選手たちに勝たせたいと、
週1時間のレッスンにイノチをかけました。
もちろん水泳を早くさせるが一番。
水泳教室ですから…
その上で、彼から学んだ失敗をしないようにチーム作りをしました。

水泳だけではなく、味噌を造ったり、手話でコンサートをしたり、書道パフォーマンスしたり、
いろんな体験をさせました。
そこには娘も所属していました。
メンバーも親たちも他の子どもたちと同じように接してくれて、
子どもたちも同じように娘に接してくれました。
気づいたら親子で
素敵な活動ができるチームができあがっていました。
このあたりでは、一目置かれるチームにまでなりました。
市民大会ではクラブチームの選手に勝たせ、何故勝てるのかを説明し理解させました。
そうやって、子どもたちの「心の共育」に力を入れたのです。
ある時には例の彼にメダルを持って、ここの子どもたちを教えに来てもらったこともあります。
その時に久しぶりに私のレッスンを見て行った彼の言葉が
「先生がすっごく優しくなっていてビックリしました。よかったですね、みなさんは。」
と。和多志に怖くてビビっていた子どもたちの顔を今でも忘れられません笑
彼を指導していたときは、和多志も若かったですからね。
自分で言うのも何ですが、本当に怖かったと思いますよ笑。
誰かに好かれることより、強い選手を作ることに必死でしたからね。
自分も体育大出身ですから、
理不尽な指導も沢山ありました。
が、それでも愛のある指導くらいはそれなりにわきまえていましたから…

そして、子どもたちが成長していくと
それと同時に、
「保護者」もしっかり成長することもわかりました。
何か保護者に指導しようとするよりも、
自分の子どもの成長が見られたときに、気づく親は気づきます。
ダメな親は何をしてもダメです。
でもダメな親も、回りがみんなよくなっていけば変わっていきます。
そんなことも学ばせてもらいました。

そこで、幼児教育に関わっていたこともあり、
ベビースイミングから老人までのクラスを作り、
体操や運動塾やアロマや人間力コーチングやら、
自分のできることをただただひたすら、
大切なことを伝える教室を一人で伝え続けてもうすぐ20年。
娘も22になりこの3月で学生終了です。
高校まで水泳を続け大学もその道を行く予定でしたが、
年末に慌てて進路変更し、理学療法士を目指しました。
現役時代に身体を痛め施術にお世話になったことや、
わたしの師事をみていて決めたようです。
スポーツをする選手の力になりたいと。
2月の国家資格合格を待つばかりです。

そうやって育てた娘が、和多志の背中を見てちゃんと自分の道を選んでくれたことも感謝です。
和多志は死産流産を繰り返したので娘は一人っ子です。
だから、教え子たちや仲間たちが沢山和多志の知らないところで支えてくれている幸せ。
インハイの時も、他校のパーソナルトレーナーとして入っている教え子が声をかけてくれたり応援してくれたり。本当に人の繋がりは不思議です。目先だけ繕っても、ダメですね。
必死にやってきてよかったと、
子育てを一旦終了になる和多志がいまそう思っています。

教え子で水泳をずっと続けている子は少ないです。
でも種目が違っても、全国へと羽ばたいた子が何人もいます。
口を揃えてみんなが言ってくれるのが
「先生のところでの学びがあったからです。」
それが嬉しいです。
指導者冥利につきます。
これは子ども目線であったからと自負しています。
今は事情があってそのチームは解散していますが、
今でもそのときの教え子たちが、
何かにつまずくと相談してくれることがとても嬉しいです。

こんな話しをしていると、またチームを作りたくなります。
和多志は心臓に病気を持っているので体育大に行くことも反対されました。
何故体育大に行ったかというと、
運動が得意だったわけじゃないのです。
大好きな先生が体育の先生で、先生のようになりたくて進学しました。
和多志はたいした選手ではありません。
あっ、よく言われますが、
和多志は現役時代の種目はバドミントンです。
それでもその道で一流の仲間たちの中で戦えたこと、学べたこと、
それが今の人生の土台となっています。
人生というのは、その場限りのものではなく果てしなく続くもの。
その「今」という「点」を全力で生き抜くことしかないのだと感じています。

「選手」も
「指導者」も
「保護者」も
思いはひとつ

強くなりたい!

ただそれだけなんだと思います。
シンプルに目の前の人に目の前のことに、真摯に向き合ってさえいれば、
きっと結果は神様はくださいます。

ただ思いを連ねてみたので、文になっているかわかりません。
最後までお読みいただいてありがとうございます。

もしよかったら、感想を投稿いただけると嬉しいです。

世界中のアスリートたちが、胸張って今日も自分に挑戦できますように!

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