「いのち紀」のはじまり

2018年3月はじめ、三重県の椿大神社で行われた「地球への祈りの集い」で、小林芙蓉先生の揮毫がありました。陶彩画家の草場先生や不食の秋山先生、細野晴臣さんもお越しになっていました。終わってから本殿を参拝し、「地球のために、これから先、なにをやっていけばいいか、教えてください!」と真剣にお祈りしました。
帰り際、携帯に着信が入っていたので、かけ直すと、たまたま手が当たってかかってきただけだったことがわかり、笑いながら雑談をして切りました。電話の主は、いなふくクリニック大阪治療会に何度かお問い合わせをいただいた統合失調症の息子さんをお持ちのお母さまでした。ご家族の理解が得られず、息子さんは閉鎖病棟に入院したまま、薬漬けになって、本人らしさがどんどん失われていってしまっている。もし安心して預けられる減断薬施設があれば、転院させて、元通り普通の生活が送れるようにしてやりたいが、そのような施設が見つからないなか、家族全員の反対を押し切って、自分ひとりではどうすることもできない。家族には今それぞれの所帯での生活があり、そっとしておいてほしいという願いを受け容れるしかない現実が辛く悲しい、と何度もお話を伺っていました。

神さまにお願いした直後にその方からお電話があったので、

「え~っ?これはもしかして減断薬施設をつくるってこと~?ひゃ~!これはすご~い!」と、その時は半信半疑で、同行のななえさんと大騒ぎしました。

両親と義母を半年の間に相次いで見送り、施設や病院の急な呼び出しから完全に開放された2019年7月はじめ、ななえさんと一緒に仕事で沖縄に行く機会があり、当初予定にはなかったうるま市のいずみ病院という精神病院に視察に行く運びとなりました。高江洲理事長にたっぷり2時間かけて施設内をご案内いただき、理念もつくりも何もかも、とことん本気で取り組んでおられる病院がこの世に実在していることに心底びっくりしました。窓から見たジャングルが嘗て見たどのジャングルよりもエネルギッシュで、太古の大型生物が潜んでいそうで、写真を撮るのも気が引けて、ただ目に焼き付けるしかできないほどの迫力でした。視察の最後に、病院の玄関入ってすぐの部屋にかけてある絵画の説明を受けました。いずみ病院を皮切りに、今や、ひとつの山の中にいろいろな施設が点在している「医療法人和泉会」は、理事長がご友人に描いていただいた1枚の絵から始まったらしいのです。絵から、というのが意外で、強く印象に残りました。

沖縄から帰った7月下旬、神戸の生田神社で小林芙蓉先生の書画の譲渡会がありました。いよいよ世が末期に近づいたため、書画を手放し、全国あちこちに光を放ち、地を鎮めるべく決断されたことでした。揮毫が終わり、譲渡会の会場に入った当初は、畏れ多くてお譲りいただくつもりなど全くなかったのですが、「アフリカのエネルギー」という太陽と月のキラキラした書画に釘付けになり、前から動けなくなってしまいました。そして、「この書画をこれから立ち上げる施設に飾りたい。見る人に元気になってもらいたい!」と思ったのです。その時、高江洲理事長を思い出しました。初めに絵画ありきでいい、こうしたい!という思いがなければ何も実現しないと示唆してくださった理事長の笑顔が浮かんできました。

3日間あった譲渡会の最終日に、もう一つ施設に飾りたい書画が見つかりました。「アフリカのエネルギー」をテーマにした二作品の一つだとわかり、それも一緒にお譲りいただくことにしました。午後から来られたななえさんは、「吐」という書の前で「やっぱり、私はこれに惹かれる」と釘付けになっていました。私が選んだカラフルな絵とは違った墨1色の小さめの書ですが、内側に溜まったぐちゃぐちゃの感情を全て吐き出すことを促し、受け止める力を持っているようでした。そして、この3枚を施設に置いたら、いい場ができること間違いなし!と盛り上がりました。

同じ日、会場で、小林芙蓉後援会の会長をしている中高時代の同級生から、ホンマルラジオ神戸曲の龍体祈祷師たぬQさんを紹介されました。たぬQさんは行者の生まれ変わりで、芙蓉先生の書の前でエネルギーを感じることを楽しんでおられ、1つ1つの書のエネルギーを言葉にして教えてくれました。
いのち紀のロゴは、後日、たぬQさんにつくっていただきました。

2020年1月、コロナパンデミックが起こる直前、西宮で、小林芙蓉先生の揮毫がありました。先生は最後に「これから大変なことが起こります。もう私は公の場で揮毫することはおそらくないだろうと思います。みんなで心を一つにして、祈りで乗り切っていきましょう。乗り切っていけると私は信じています」と意味深なことを仰いました。帰りに、後援会長をしている友人に声をかけると「先生が『生きる』が受け容れられる世の中になれば、もう少し救われるのだけど…と仰っているから、私は毎日、いろんな方にご本をお送りして広めているの」と言われ、「え~っ、そうなの? じゃあ私も、もう一度読み返してみるわ」とだけ応えて別れ、仕事が一段落したタイミングで、3年ぶりに読み返してみました。以前、読んだ時には、読後感が気持ち悪くて手元に置いていられず、芙蓉先生つながりの知人に差し上げたのですが、その知人も読後すぐ、お知り合いにお譲りしたと聞きました。感想は結局誰ともシェアしないままです。それぐらい、どうしてよいかわからない気持ちになる本だったのですが、実は、著者は芙蓉先生の息子さんなのでした。

読後、こんなに気持ち悪く感じる理由は、私の場合は最後の最後にも出てくる性欲の存在にあるなぁと思い、自分の内側のざわつきをしばらく感じていました。普通の本だと、もう少し綺麗に取り繕ったり、整えたりして、受け手側を意識して、受け取りやすく手を入れてあるものですが、『生きる』にはそれが全くそれがない、「ありのまま」なのです。

3月下旬、ななえさんの車で、徳島にある弘憲寺さんの彼岸法要に連れて行ってもらいました。住職さんは加持力で有名な方らしく、顔を合わせるなり、「初めて来られましたね」とお声をかけていただき、DJみたいな楽しい法要の後、帰り際には「肩がラクになられましたね」と笑顔を向けていただきました。そう、私は肩に何か乗っけていることが多いらしく、2月半ば、いなふく先生の治療会が自粛の影響であまりにも暇だったので、いつもはなさらない鍼治療が始まり、私も診ていただきました。「あなたは…右の肩だね!」と鍼ひと突きで汚い血を絞り出してもらってスッキリしたところが、また再び重くなっていたのでした。

弘憲寺の帰りに、淡路島のmusubiというゲストハウスに寄りました。ななえさんの連れて行ってくれるところはどこでも素直について行くことにしているので、いつものように、何があるのかわからないままmusubiに着くと、Sちゃん主催のPちゃんのグループセッションが始まりました。Pちゃんは、不食の秋山弁護士みたいなキラキラした瞳の細面の男性で、目と目を合わせて話しているだけで波動が上がり、生まれる前に決めてきた今生の課題を思い出させてくれる方のようでした。私は間もなく大きく環境が変わり、新たな歩みを始める予感がしました。そして、その日、初めて会ったSちゃんの笑顔は数年前に亡くなったゆっき~にそっくりで、おまけに淡路島は勤め先の後輩が死に場所に選んだ地であり、長らく避けてきたところでもありました。

3月末日、マヤ暦のお正月、つまりKIN1生まれの私にとって銀河の誕生日を迎えました。その頃からTVで盛んに住所非公開の感染者数が報じられ、SNSで‟濃厚接触”という表現が大量に流れ始めました。それと同時にSちゃんの「スサナルとのマグワイ」で始まるFacebookの投稿を目にし、「まぁ! マグワイなどという言葉を公共の場で使うなんて、品がない! 同じ女性として恥ずかしい! こんな子とはやっぱり仲良くできないわ!」などと非難轟々の気持ちが湧き起こるのを意識的に抑えつつ、Sちゃんに連絡を取って、Pちゃんの個人セッションの詳細を聞き、セッションを受ける可能性について考えながら床に就いたところ...。全く眠れず、突然、私のやるべきことがダダダァーッと下りてきました。Pちゃんに意識を合わせるだけで、Sちゃん経由でPちゃんとつながり、私自身が設定した、遅くもなく早くもないベストタイミングでの転機を迎えたようでした。

私がやるべきこと、それは、私が最もやりたくなくて避けてきた、人類の‟性トラウマ解消”と‟性の捉えなおし”でした。

直前の「マグワイ」という言葉に対する自分自身の反応を見てみても、「ふしだら」という嫌悪や蔑みを承知の上で、女の立場から性のタブーに切り込む人材が圧倒的に不足している。いま見えている世界だけで、性を語ることはできない。お墓まで持って行くつもりだった自分の体験を人目に晒す覚悟が必要。それは、恥をかかせる親もいなくなった今にしかできないことでした。

「自分のお役目を悟る時には、逃げ場のないところまで追い込まれる」と聞いてはいましたが、本当にそういう風に四方八方を固められ、それしか選べない状況に追い込まれるんだなと思いました。しかし考えてみれば、「私のやるべきことを教えてください」という長年の願いが叶えられたとも言えました。他に思いつかないほど、私のこれまでの人生全てを生かせる唯一の道であり、芙蓉先生の最後の揮毫の会場に飾ってあった「この道の外に我を生かす道なし この道を歩く」と描かれた書画と、「生きる」が受け容れられる世の中になれば...という同級生からの投げかけに対する私なりの答えでもありました。

4月はじめ、自粛ムード一色のなか、不要不急!!ということで、ななえさんとSちゃんと3人で淡路島のロキデでランチしながら、新しい地球のためにできることを話しました。覚醒体験のあるななえさんと、臨死体験があり、昆虫や植物とのマグワイを楽しんでいるSちゃんと話していると、不可能に思えることも可能になる気がするから不思議です。

着々と準備を進めていた5月12日未明、UFOが寝室にやってきてくれました♡ この時は知らなかったけど、そのUFOは、後日、観た映画「THRIVE」に出てくるフラワーオブライフを立体にした美しいトーラスそのままでした。内から外へ、外から内へ、一回りうねるごとに横に垂直移動していきます。まさに、フリーエネルギーで動く様子が見て取れました。そして、とてもゆっくり、ただそこからそこへ行くだけなのに、全身でワクワク、キラキラ、赤ちゃんのように無邪気に楽しんでいるアミたちの気配が、見ている私に伝わってきました。

「ファンタジーは身近にあるんだ。勇気をもって踏み出せばいいよ!」とアミが背中を押してくれている気がしました。思いもよらない心強いギフトでした。
これだから、生きるって、この上なく楽しい。現実は人それぞれ。どれも確かな真実であり、どれも同じく夢、幻とも言えます。だからこそ、全く好きに創造していいのです♡  こんなに楽しいことはありませんね。

性は生であり、いのちの中心です。
いのち紀は、精神医療や福祉を含めた社会全体を愛を基本にして、抜本的につくりかえていく必要があるとの立場から、社会の課題に楽しく取り組んでいきます♡

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