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凝縮された怨念

 その男は、深夜にしか外出しなかった。深夜に外出しては、誰とも目を合わせることなく買い物をしていた。男は、客の少ない時間帯を狙って入店しては、長居することなく買い物を済ませた。男は、少しでも店員に不満があると不鮮明な声で怒鳴り声を上げた。ただし、これは自分より弱そうな相手だけだった。また、店員が一人しか居ないと思った時にだけ怒鳴り、他の店員が現れた際は買い物せずに逃げ帰ることもあった。
 そうして、男は深夜に必要な物を買い集め、弁当を買っては空の容器を庭に捨てていた。その弁当の容器には、残された食べ物を狙って猫が寄ってきた。殆ど引きこもっている男はそれに気付かなかったが、弁当を捨てる際に猫を見掛けると不機嫌そうに蹴散らしていた。

 その男は、深夜から朝までネット上のゲームに没頭していた。男は、ゲームプレイ中は飲まず食わずで、排泄さえその場で済ませた。男の暮らす部屋は常人であれば耐えられぬ程の悪臭で、男が歩く場所以外は様々な物が堆積していた。それを咎める者は居らず、男がそれを改善しようとすることは一切無かった。
 朝になり、多くの人が目覚めて活動を始め頃、男は変色した布団で眠りにつく。その布団は、何時から使っているのか分からない程に黒ずみ、湿気を吸い過ぎて重みを増していた。しかし、男はそれを一切気にせず、何時間も眠った。夕方に目覚めては、買っておいた弁当を貪り、庭に投げ捨てる。田舎の広い庭には弁当の容器が溜まっているが、それを片付ける者は居なかった。ただ、軽い容器は風で飛ばされ、何処かに消えてしまうこともあった。そのせいか、庭にある弁当容器は、男が捨てた数よりはずっと少ない。

 腹を満たした男と言えば、朝までやっていたゲームを再開した。長時間ゲームプレイをしている男の目は充血しているが、その対策も男はしなかった。ただ、ひたすらにゲームに没頭し、その中のランクだけで自己肯定感を保っていた。男は、現実世界では生きられない人間だった。

 ある日、男は猫が弁当の残りを貪っているのに気付いた。これに男は立腹したが、猫は男の脚が届く位置には居なかった。男は、太陽の出ている内は、絶対に外には出なかった。例え、それが高い塀で閉ざされた庭であっても、男は外に出なかった。
 ある日、男は弁当と一緒に殺鼠剤を購入した。そして、敢えて沢山残した弁当に、殺鼠剤を混ぜて庭に捨てた。そして、それは男の望む結果をもたらした。弁当の残りを食べていた猫は苦しみ、二度と男の食べ残しを貪ることは無くなった。男は、死骸が庭にあることには不快感を示さず、昼夜逆転の生活を続けた。

 しかし、庭にやって来る猫は他にも居た。ただ縄張りの関係で、これまでは庭に現れなかった猫も居た。男は、その猫にも容赦なく殺鼠剤を混ぜた弁当を与えていった。そして、男の家の庭にはまた死骸が残された。死骸は食い荒らされ、次第に土に還ってゆく。しかし、怨みを持った魂は、その場に留まり続けた。
 苦しみの中で死んだ魂は、徐々に男の家の庭に溜まっていった。白骨の数が増えれば増えるだけ溜まっていった。そうして、それが溜まりに溜まった時、その怨念は形を成す。

 形を成した怨念は、男に苦しみを与えようとした。月明かりさえ無い新月の日、苦しみを与えられた魂達は、買い物に出ようとした男に襲い掛かる。
 男は、訳の分からない恐怖に襲われた。男は、直ぐに家に入ろうとするが、怨念が集まって出来た異形はそれを許さない。
 黒い大きな塊は、不思議な力で男を吹き飛ばした。男は、無様に敷地の外に飛ばされ、倒れ込む。異形は、男が家に戻れぬよう、その玄関の近くで佇んでいる。その姿は、炎が揺らめくかの様に形を変え、顔が何処に有るかも良く分からない。ただ、様々な箇所が裂け、そこからは赤い肉と鋭い牙が覗いた。その裂ける場所は定まらず、男を吹き飛ばした力も、生えては消える脚のどれかも分からない。 
 分からないからこそ、人間は恐怖を覚える。そして、それは男も同じだった。

 男は、異形から逃げる為に走った。走って走って、誰かに助けを求めようとした。しかし、男に助けを求められる様な人間は居なかった。男は、走りに走った。その後を、異形は付かず離れずで追い掛ける。
 運動不足の男の息は上がり、吐きそうになりながらも逃げた。深夜の道には人は見当たらず、異形の姿を見る者は逃げる男の他には居ない。
 男の息が荒々しくなった時、男は闇の中で光る電話ボックスを見付けた。相変わらず異形はついてきていたが、呼吸が限界に近付いた男は、電話ボックスに逃げ込んだ。

 男は、硝子で囲まれた電話ボックスの中でしゃがみ込んだ。だが、それは何の救いにもならなかった。異形は、完全に電話ボックスを包み込み、男は何処にも逃げることが出来なくなった。
 男は、そこで漸く受話器を取った。しかし、男が受話器を手に持った途端、それはドロドロと溶け出し、男の手に纏わりついた。その溶解物は男の手をも溶かし、男は声にならない音を口から発した。そして、怯えた男は電話ボックスの硝子を叩いた。すると、叩いた手はボロボロと崩れ始め、男は驚きのあまり尻もちをつく。

 男は口を開閉させるが、喉からは乾いた音が出るだけだった。そして、電話ボックスをとり囲む異形は、地面近くの隙間からその体を捻じ込もうとしていた。
 男は、様々な穴から臭い汁を垂れ流した。それは、電話ボックスの床に広がり、地面を汚染していく。
 男は、そのまま意識を失った。しかし、異形は電話ボックスから離れる様子を見せなかった。
 やがて朝が来て、異形は何処かへと消えた。しかし、男の遺体だけが、使われ無くなった電話ボックスの中に残されていたと言う。

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