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1月4日の朝

箱根駅伝の中継が終わると、きらきらした新鮮な空気が輝きを少しずつ失っていく。
2023年の存在に馴れてきて、そこにあることを意識しなくなっていく。
そんな、1月4日の朝。

温かい飲み物が欲しくて、日東紅茶のティーバッグを花がらのマグカップに入れ、お湯を注いだ。
今日はもう、ふつうの日だから、ティーバッグの紅茶。

湯呑みに入った緑茶に、よそ行きを感じてしまうのは、旅館に備え付けられているのがたいてい緑茶だから?
ごく一般の日本の家庭では、常に急須と茶筒が食卓に置かれていて、ポットに熱い湯が沸いているイメージがある。
わたしにとっては、それがすでに、たまに訪れる祖母の家だったり、一度しか行ったことがない同級生の家だったり、あるいは物語のワンシーンでの体験しかない。
旅館で部屋に通されたあと、最初に揃いの急須と湯呑みの場所を確認するのも、今日は日常ではないことを、確かめたいのかもしれない。

さて、日東紅茶のティーバッグを引き上げると、ふわっと香りが立つ。
大学生のころ、友人たちと止まったコテージで迎えた朝の風景が蘇る香り。
どこでもよく見るチェーンスーパーで買った日東紅茶と食パン、たまごの朝ごはん。
大きな窓の向こうに広がる朝靄がかかった森の風景。
フィクションみたいな世界の中で、馴れた友人の声と紅茶の香りが、わたしをその場の当事者にしてくれていた。

温泉旅館の大きな卓で熱いお茶をいただきながら窓の外を眺めるとき、目に映る光景をディスプレイに映し出された映像を見るように感じることがある。
木々や川や建物、そこで働く人の日常を見せてもらっているような。
そこに、わたしの日常はない。

日東紅茶の香りが、三が日のきらびやかさが落ち着いて、でもまだ松の内は明けない1月4日の朝に、ちょうど非日常と日常のグラデーションを見せてくれる気がする。

#note書き初め

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