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チーちゃんハウス

みんなで自分の話をシェアして
役に立ったり気付きになる。
話すことでスッキリしたり
話ながら気付くこともある。
そんな分かち合いの場を
始めたいのです。

知人二人に持ちかけると
賛同を得ることが出来ました。

第1回目は少し先ですが
メンバーの1人が
ルールに対して意見があるようでした。
グループ名のサブタイトルを作ったり
元々のLINEグループの名称を
今回の名称に変えましたと
楽しそうな返信が返ってきました。

私は「勝手に」されたことで
感情的になりました。

私の発案なのにと感情的になりました。

ひと言言ってから変えても
良いんじゃないかと思いました。

私は無視されたようで
何をされてもいい存在なのかと
そこまで思ってしまいました。


後から思うと
一つ一つは
たいしたことではないのです。
大人げない、未熟さを感じました。

思考の学校の大石洋子さんの動画から
嫌な出来事があると潜在意識が
「こんな思考が溜まってるよ」
と見せてくれる話を
思い出してやってみました。

「良いことも悪いことも
自分の思考が全て作っている」という
考え方や在り方が出来ると
被害者じゃない生き方、
被害者じゃない考え方になる
という内容でした。

LINE上でのやり取りを深く見ていき
感情を書き出していくと

父に勝手に捨てられた
お人形セットを思い出したんです。

あの時の「勝手に」された
記憶がそのままになっていました。
何で捨てたのか?
知りたかったかもしれないし。
黙って捨てなくても!と
思ったかもしれない。


思い出した途端
悲しくて泣いていました。

ただ未熟だったから
ではなかったことを理解しました。

少ないお小遣いで買った
着せ替え人形でした。

学校から帰宅して
チーちゃんハウスが
無くなってることに気付きました。

「お父さんが捨てた」
と母から聞きました。

どんな思いだったかは
覚えてないんですが。

今回の事で
「勝手にされて」
私を無視するな!
何されてもいい人間と違う!
ナメるな!という気持ちが
モヤモヤと沸いてきたんです。

元々の出来事は
小学生の頃にあったんです。
それを思い出したんです。

心の中にずっと
沈澱したままで
残っていたんです。


「勝手にするな!」
「黙ってやるな!」
「ナメるな!」
「何されてもいい人間と違う!」
と小学生だった頃の私が
ビョーンと飛んできたんです。


勝手にされたという被害者意識で
モンモンとしていましたが
思考が現実を作っていたようです。

私の潜在意識に溜まった思考を
気付かせる出来事だったんです。

気付かせる役目をしてくれた
Aさんには「ありがとう」です。
この思考はもう捨てます。














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