第11夜 戦乙女たち

「誰か、骨のあるやつはいないのか!」

 深夜の松戸運動公園。夢の中で野球場のグラウンドに出現したコロッセオから、ドスの利いた声が空気を震わす。もちろん、お休み中の周辺住民には聞こえていない。
 執拗に追ってくるバーサーカーに「対戦相手」をあてがうべく、イーノが闇市の主・山椒太夫に話を持ちかけて建設させた闘技場では。いま予想外な出来事が起こっていた。

「道化人形をひねり潰したバーサーカーとやらの噂を聞いて、わざわざ地球くんだりまで来てやったのに。尻尾巻いて逃げやがったか」

 そのバーサーカーなのだが。実は観客席で、他のプレイヤーに紛れて隠れていた。以前の彼とは様子が全く違い、凶暴さはなりを潜めて人間らしい姿をしている。今の彼は小悪党と呼べそうな風貌だ。

(何なんだよ、あの筋肉女)

 日本の成人男性の平均身長を大きく上回る、筋骨隆々たる恵まれた体躯。欧米人でもあんな大柄な女性はいないだろう。まるで映画の世界から飛び出したような蛮族の戦士。彼女のほうがバーサーカーと呼ぶに相応しい。

「ビッグ社長、静かにしておいたほうがいいですよ」

 仮面代わりに目出し帽をかぶった一般プレイヤーから小声で注意されて、バーサーカーだった男が肩をすくめる。会話もできるし、見境なく誰かに襲いかかったりもしない。
 その彼らの様子を、ビールの売り子姿のエルルが背後から密かに見守っていた。本物の球場では、花形でありながら10リットルタンクを背負って歩く大変な力仕事だが。エルルは夢見の技でエールを出せるので軽装で済んでいる。衣装も彼女が働いていた実家の酒蔵「ヘイズルーン」にちなんで、ディアンドル姿に山羊の角をプラスしたコスプレ風だ。

(あの人もぉ、ずいぶん毒気が抜けましたねぇ)

 時間は少しさかのぼる。ユッフィーたちが白髭神社の鳥居を潜って探索に出発した後。エルルは他のエルルたちと「湯っフィーの里」に集まって情報交換をしていた。NPCの特性で、あちこちに同時に顔を出せる彼女らにいまできることは、他のプレイヤーやガーデナーたちの動向を探ること。
 今のエルルは、いわば名もなき村娘A。街のどこで聞き耳を立てても、誰にも怪しまれない。そう考えると、彼女らの情報網はあなどれない。

 山椒太夫の建てた闘技場で働くエルルたちは、ここに誘い込まれた元バーサーカー、いまはビッグ社長と呼ばれている男の経過をずっとつぶさに観察していた。
 はじめこそ手のつけられない乱暴者だった彼は。他のプレイヤーとの対戦で徐々にストレスを発散させたらしく、暴走は次第に収まっていった。それと同時に、彼を異常強化していた憎しみのチカラも薄れていったが。

「あれ?ビッグ社長じゃないですか」
「ミリタリーパレードでも、コロナで公認オフ会ができなくなって。たまにエコエコ動画のライブ配信はありますけど、寂しく思っていたんです」

 いまや夢の中の松戸は、様々な趣味嗜好のプレイヤーが集うカオスなマッドシティ。その中に、彼の会社で運営するPBWの参加者がいたのだ。
 正直、ビッグ社長には善人と言い難い部分がある。多分にサイコパスの気がなければ、あんな狂ったMMOボードゲームは運営できない。その一方で「日本最大のRPGコミュニティ」を名乗ったほど栄えた過去もあった。今でも一定数のファンはいて、彼らの応援が名物社長を元の姿へ戻すのに一役買ったのだろう。

「みんな、元気そうで何よりだな」

 ビッグ社長以下、ミリタリーパレード社の社員はイーノやミカだけでない一部の者から酷く憎まれ嫌われている。TRPGサークルの延長みたいな彼らが、内輪の非常識を外にまで押し付けたからだ。
 ミカは今でも、イーノに愚痴をこぼすことが多々ある。あるプレイヤー間トラブルの責任転嫁で、彼女はミリタリーパレードからBANされた。そんな彼女を、イーノはユッフィーとして夢の世界の冒険に誘った。もう何年も前の出来事だ。
 いまさら重箱の隅をつつくより、楽しいことに目を向けたほうがいい。それがエルルの影響もあって身に付けた、ユッフィーのお気楽マインド。ビッグ社長が、イーノの人格形成に及ぼした影響は大きい。

 いまイーノの眼中にあるのは、ガチャの闇という巨悪がまともな法規制も受けずに世間でのさばっている件のほうだ。興味深いことに、ビッグ社長は自社でのガチャ導入を見送っている。他社が金目当てにホイホイとガチャに手を染める中で、彼なりの嗅覚がヤバさを感じ取ったのだろうか。

「ガチャゲーばっかりの中で、PBWのコミュニティは癒しですよ」

 ビッグ社長に対して、イーノが闘技場建設という形でかけた温情は確かに彼を救った。このような行いが広がれば、地球で災いの種を育てようとするガーデナーの企みに一矢報いることができるかもしれない。
 いまはガチャゲーの運営各社が「ガチャの闇」と呼ばれる強欲な搾取と配慮の欠如でユーザーから恨みを買っているために、イーノの努力は焼け石に水となっている。彼らがビッグ社長のようにヘイトを浴びてバーサーカー化しないのは、単にユーザーの前に顔を出さないからだろう。その代わりにマスコットキャラが呪われて、ヘドロの魔物ゲーゲルゲロイムと化している。運動公園の近辺にも多数うろついていた。

「やっぱ、ガチャよりイラスト発注っすね!」

 それはそれで、沼にハマると怖いのだが。イラストコミッションに数十万つぎ込む人は、ガチャより多いのではなかろうか。その満足度は高く、明らかに斜陽産業のPBW業界が細々と生き延びている理由もイラスト商売で得る売り上げにあった。
 イラストコミッションサービス「画帳ん!」がサービス開始後、短期間で登録ユーザー10万を突破したのは記憶に新しい。

「地球人は腑抜けの集まりか!ガーデナーもまあ、よくこんな連中を戦力に加えようとしたもんだ」

 またも、闘技場の女帝が戦いの舞台から雷鳴の如きアピールを響かせる。おそらく彼女には、覇気のないビッグ社長が元バーサーカーだったことには気付けないだろう。

(…楽しめそうな奴がいないなら、今晩は帰るか)

 対戦相手がとうに夢落ちして消えた闘技場で、女帝が観客席を見渡す。この近辺には、ときどきヴェネローンの勇者たちが姿を見せると彼女も聞いていた。己を奮い立たせる強者がいるとしたら、彼らしかいない。

「あれぇ、クワンダ様ぁ?」
「エルルか」

 売り子のエルルに声をかけられて、浅黒い肌の精悍な男が振り返った。口数は少ないが、明らかに歴戦の戦士の風格を帯びている。

「ミキちゃんとはぁ、会えましたかぁ?」
「ミハイル先生に会いに行くと言い出してな。徒歩で海を渡る気らしい」

 何やら、とんでもない話を聞いた気がするが。

「まあ、先生に会いたい気持ちは分かりますぅ。ミキちゃんのアイスシューズならぁ、海を凍らせるくらいできそうですしぃ」
「迷子にならないか、そっちのほうが心配だ」

 顔馴染みであるらしい、ふたりの会話に。まるで地獄耳のように、女帝が反応した。

「なあ、そこのお前。ヴェネローンのクワンダだろう」

 地声なのに、拡声器を最大音量にしたような声が空気を引き裂いて飛んでくる。観客席にいた地球人プレイヤーが、何事かと色めき立った。エルルがあわてて何か言おうとしたが、クワンダと呼ばれた男に制止される。彼は、そのまま黙して何も語らない。

「無視するなよ。かつてのお仲間じゃないか」
「知らないな」

 闘技場の女帝とは目を合わせず、寡黙な男がしらを切る。過去に何かしら因縁のある相手なのだろう。
 自分がうっかりクワンダの名を呼んでしまったことで、ヤバそうな相手に因縁をつけられた。それに気づいたエルルがあたふたするも、男は微動だにせず腕を組んで、目を閉じている。
 なおビッグ社長のほうは、女帝の興味がバーサーカーから逸れたことに安堵しながら、異世界人同士のやりとりを野次馬根性で見物していた。

「蒼の勇者で、トップランカーのプリメラを知らないわけがないだろう」
「聞いたこともないな」

 お前と一緒にするな。言葉には出さないが、断固たる拒絶の姿勢が男から読み取れる。よほど関わりたくないらしい。

「ヴェネローンの守護神、クワンダの名は知ってるぞ。かつて『いばら姫』の軍勢に敗れ、風前の灯火だった蒼の勇者たちを身を挺して救った大勇者クワンダの名を継ぐ者にして、無双の槍使い」
「俺は違う。勇者ではない。だがその話を知ってるなら、なぜガーデナーに与した。勇者の誇りを汚すような真似を」

 闘技場が静まり返る。まるでファンタジー映画か、大作RPGのイベントシーンを思わせる迫真のやりとりに、地球人プレイヤーたちが見入っている。

「戦いあっての勇者なんだよ。世界が平和になりゃ、過ぎたチカラは危険視される。まして、あたいは王侯貴族になるようなガラじゃないし」
「それで、災いの種の拡散を知ってて放置したか」

 直接目を合わせるのも恐ろしいプリメラに、クワンダと呼ばれた男が一歩も退かずに相対している。それこそ、彼がクワンダ本人たる証拠だろう。

「さあな。あたいはただ、強い奴と戦えればいい。頭使うのは苦手でね」

 クワンダの隣で、プリメラの話を聞くエルルの脳裏には。巫女として彼女の後輩にあたると共に、百万の勇者のひとりでもあったミキの語る冒険譚が鮮明に思い出されていた。その結末はハッピーエンドとは呼べず、さらなるあてなき旅のはじまりとなる苦いものだ。

 地球から遠く離れた「はじまりの地」と呼ばれる異世界において。かつて世界を滅ぼす魔女「いばら姫」を打倒した「百万の勇者」たちは、その後に考えや目的の違いから、おおよそ三つの道に進路が分かれた。

「いばら姫との最終決戦で戦功1位の座を得て、トップランカーの名をほしいままにしても。あたいは満足できなかった」

 無数の異世界に散らばった災いの種を滅ぼすため「時の遺跡」にて不老の身体を得て、贖罪の旅に出る者。それは重い十字架を背負うに等しい。
 戦いから身を退き、一般人として余生を静かに過ごす者。
 そして…強者との戦いを欲するあまり、宿敵ガーデナーに与した者。プリメラはその中でも最強の戦士だ。

「たとえランキング首位でも、何かに振り回されてるうちは負け組だな」

 災いの種は地球にもすでに到達しており、人間社会につきものの差別や格差、貧困といった諸問題が生む憎悪や絶望を糧として育つ。そして、実った果実はさらに多くの世界に災いを撒き散らす。その過程でトヨアシハラは地獄と化し、アスガルティアは種が咲かせた花に相当する「喰らう者」の手によって、大地ごと喰われて崩壊した。
 それをガーデナーたちは「剪定」だとうそぶいた。自分たちは宇宙樹の繁栄のため、余分な枝を切り落とす庭師なのだと。

「あたいがトップを取ったランキング争いに、あんたは関わってなかった。ここで会ったが百年目、どちらが強いかハッキリさせようじゃないか」
「断る」

 真の武人は、己のチカラを無闇に誇示しない。相手と争うことなく、ことを収める。武者姫アリサは抜刀せず敵を制する術に長けているが、クワンダもまた自衛や不用意な戦いを止めるためだけに武を振るう者だった。
 対してプリメラは、ガーデナーに立ち向かう強者との戦いだけが目的の戦闘狂。闇市に現れた道化人形程度では、御し切れない危険人物。

 両者のにらみ合いに、闘技場に一触即発の空気が流れる。

「ちょおっと待ったぁ!」

 唐突に、クワンダの隣で話を聞いていたエルルが口を開いた。場の注目は自然と、彼女に集まる。プリメラもエルルに視線を向けた。

「クワンダ様ぁ、わたしぃにいい考えがありますぅ!」

 話の腰を折られたような雰囲気だが、努めて冷静を保つクワンダ。

「話を聞こう」
「ずばりぃ!プリメラさぁんにはぁ、女子プロレスラーかアスリートがオススメでしょおっ!!」

 耳慣れない言葉を聞いたプリメラが、あっけに取られて不思議なものを見たような顔になる。

「何だいそりゃ?」

 夢渡りで地球に来るのは初めてで、千里眼などの映像でも予備知識のない彼女のことだ。プロレスラーやアスリートといった職業を知らないのも無理はない。

「地球の人たちはぁ、殺し合いの代わりにスポーツでぇ鍛えた技を競ってるんですよぉ」

 多くの地球人プレイヤーと交流し、すっかりこの土地に馴染んだエルルがプリメラにいろいろ説明する。プロレスラーは原則、相手の技を受け切った上で勝つ必要があるとか。ベビーフェイスとヒールレスラーがいるとか。
 この闘技場でも様々なスタイルの試合が行われていて、古代ローマ風だけでなく現代の格闘技に則ったものもある。

「へぇ、面白そうじゃないか」

 異世界の物珍しい話に、プリメラの表情が変わる。

「それならあたいは、ヒールレスラーってとこか。何しろガーデナーに味方してるんだからな」
「そぉそぉ、ちょうどいいベビーフェイスちゃんがいますよぉ?」

 エルルが闘技場の貴賓席を見上げる。そこにいるのは主の山椒太夫と、彼が左右にはべらせている若草の娘カリンにお色気担当アンジュの姫たちだ。コロッセオができて以来、カリンも何度か闘技場で試合に参加していた。

「エルルさん、ちょうど私もお手合わせしてみたかったところです」
「ちょ、カリン大丈夫なの!?」

 興味を示すカリンに、アンジュが気は確かかと驚きあわてる。

「いいでしょう。面白そうな趣向ですね」

 山椒太夫も同意を示す。実のところ彼はセレブごっこがしたいだけの地球人プレイヤーであり、奴隷と称して女の子をはべらすのもどこぞのライトノベルで見たようなハーレムを再現したいから。エルルはそこまで理解して、彼を上手いことあしらっていた。ガーデナーが地球人を勧誘するため始めた「姫ガチャ」に巻き込まれた三人娘だが、主導権は彼女らが握っている。

「あたいは素手でやらせてもらうが、そっちは武器あり魔法ありでいいぞ。二人同時にかかってきな」

 鼻息を荒くして、プリメラがハンデを申し出ると。カリンが貴賓席から大きく跳躍して、戦いの舞台に降り立った。

「最強戦士の胸を借りられる、いい機会ですよ」
「しょうがないわね。あたしも夢見の技で得意の精霊魔法を再現できるようになったし、ちょっと試し撃ちさせてもらうわね」

 カリンの誘いに応じると、アンジュの姿が貴賓席からふっと消える。次の瞬間には、同じく戦いの舞台に姿を表していた。

「瞬間移動か。嬢ちゃんもやるな」

 短距離ながら、詠唱も無しにテレポートしたアンジュに興味を覚えるプリメラ。

「カリンさぁん、アンジュさぁんファイトですよぉ!」
「彼女らも異世界人か」

 エルルが声援を送る中、カリンとアンジュが夢見の技でそれぞれ槍と杖を具現化してプリメラに向き合う。手の内を見せずに済んだクワンダが、ほっと一息ついていると。

「クワンダ様、あとでお手合わせお願いしますね。私も槍使いですので」

 カリンから尊敬のまなざしを向けられた。ちゃっかりした物言いに、彼も苦笑いを浮かべるしかない。

「さあ、戦え奴隷ども!この山椒太夫様に最高のショウを見せるのです!」

 どこかで聞いた悪役のセリフと共に、闘技場がわあっと歓声に包まれた。

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