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第10夜 蟻の一穴

「あだだだだっ!!」

 アリサに思いきり耳を引っ張られ、オグマが思わず悲鳴をあげる。ふたりとも精神体ではなく、生身のようだ。

「おぬし、ユッフィーたちに『門』を開いたな?」
「わしは、何もしておらぬよ」

 暖炉の薪がパチパチ燃えるログハウスの一室で、アリサがオグマを問い詰めている。少年のなりをしているオグマの様子は、まるで母親にお説教される子供のようだ。アリサも年寄り口調の割には年齢不明の若い容姿なので、姉と弟だと言っても通じるかもしれない。

「無関係の者がうかつにトヨアシハラへ迷い込まぬよう、仮に門の存在を知られても勝手に入れぬよう、わらわが念入りに『戸締り』をしたのに」

 どうしてこんな、面倒なことになった。普段冷静なアリサがここまでイライラしているのは珍しい。

「考えうる原因があるとすれば…」

 オグマが木の床に座り込んで、あごに手を当てて思案する。彼の言う男の象徴のヒゲは失って久しいが、クセが抜けないのだ。子供に見えるオグマもこうしていると、アスガルティアの賢者と呼ばれた頃の風格がよみがえる。そして何か思いついた様子を見せると、アリサをちらと見た。

「なんじゃい、もったいぶるでない」
「いや、こう言うと語弊があるのじゃが…」

 渋るオグマに、発言を促すアリサ。浅黒い肌のショタじじいが仕方なく、口を開くと。

「わしとおぬしで協力してこしらえた我が子が、父の願いを叶えてくれた」
「ええい、やめんか!わらわは、おぬしと所帯を持った覚えはない!!」

 聞けば聞くほど、夫婦漫才のようなやりとりを。ひとりの幼い少女があきれた表情で見ていた。髪はカールした金髪で、つぶらな青い瞳が愛らしいが内面は大人であるらしく、目の前のふたりに向けるまなざしには明白な困惑の色があった。

「オグマしゃまに、アリサしゃま」

 少女の存在に気づいたふたりが、ばつが悪そうに視線をそらす。

「シャルロッテよ。わらわは今、この聞き分けの無いやんちゃ坊主に説教をしておるところなのじゃが」
「アウロラしゃまが、れ〜のちきゅ〜じんをみつけたでち」

 その言葉を聞いて、オグマの顔色が変わる。

「短い間ながら、ユッフィーには我が弟子として稽古をつけた。才能のある子じゃったよ」
「イロじかけのさいの〜がある、ワルいまじょしゃんでちゅね」

 シャルロッテと呼ばれた少女に図星を突かれて、オグマが泡を食ったように驚きあわてていると。

「事情は理解しました」

 一同の横に、半透明の人影がスッと浮かび上がった。その場にそぐわぬ、サイバーパンク風のゴーグルとタイトな衣装を身に付けたオペレーター。髪は虹色で、その背にはデジタル調な光のカーテンをまとっている。

「地球での戦力調達を目論むガーデナーが、あの子の願いを歪めようとしたとき起きた防御反応『ロックダウン』で、全ての夢を見る者は『夢渡り』による地球の内と外からの自由な往来を阻害されましたね」

 ユッフィーたちが巻き込まれた、悪夢のゲームの真相を地球規模の巨視的視点で語る女性。どこか人工知能めいた怜悧さと、包み込むような優しさを合わせ持った声色。

「それで、オグマしゃまがきたえた『うつわ』に、アリサしゃまがとうこんをだうんろ〜どして『あいかぎ』をつくり。『ふるきもん』をとおって、ちきゅ〜へようすをみにいったんでちたね、アウロラしゃま」

 シャルロッテの見かけは幼いが、暁の女神と呼ばれるアウロラの話に理解が追いついている。英才教育を受けられる立場の者なのだろう。

「そうです、シャルロッテ」

 聡明な少女に、女神のホログラムは慈しむような視線を向ける。それに気づいたシャルロッテは、満足げに微笑んだ。

「ドヴェルグの鍛えた神器には、製作者の念が宿るといいますね。それは、夢見の技で作られたアイテムでも同じ。愛しい人との再会を切望する気持ちが器に宿り、顕明連の機能に影響した可能性があります」
「『ういるす』に感染しておったのか、この刀」

 アリサが恨めしそうに腰の刀を見る。父祖が日本からトヨアシハラへ渡る際に使い、朝日にかざせば三千世界を見通すとの伝説を持つ霊剣・顕明連。その形代として「御霊をおろした」のに、器がけがれていた。

「人の純情を、ウイルス呼ばわりするでない!」

 アリサの物言いに、オグマが声を荒げる。シャルロッテはどっちもどっちとでも言いたげに、肩をすくめて手のひらを上に向けていた。

「フリングホルニで眠るエルルも、導いていたのかもしれません。会いたいという想いを、無下にすることはできません」

 アウロラの話が、エルルの件に及ぶと。アリサも仕方ないと矛を収めた。

「おそらく、トヨアシハラを支配する邪暴鬼は、彼女らの動きをすでに察知しているでしょう」
「フリズスキャルヴと比べれば精度は悪く限定的ながら、奴は千里眼を使うからのう。わらわがかつて奴におくれをとったのも、そのためじゃ」

 アウロラが虚空に投影するユッフィーたちの中継映像を見ながら、アリサが忌々しげに過去を振り返る。三人は人目につかないよう行動しているが、相手が千里眼の使い手では意味がない。
 しばらく様子を見ていると、小規模な襲撃があった。短期間ながらオグマに鍛えられたユッフィーは雑魚妖怪を難なく退けており、他のふたりも善戦している。とはいえ達人のアリサから見れば素人同然で、小手調べを受けているのは明らかだった。

「トヨアシハラの魔物は、本来あれほど弱くない。ガーデナーの送り込んだ妖怪もどきの悪夢獣といったところかの。油断と増長を誘うための」

 災いの種を使う者同士、邪暴鬼とガーデナーは手を組んでいるだろうと、アリサが推測を述べた。

「人々の恐怖や憎しみ、負の感情を糧に実る『災いの種』のもたらすチカラに心奪われし者を『奪い合う者』という。その名の通り、同じ穴のムジナで奪い合いをしておるが、利害が一致する部分では組むことも珍しくない」

 話を聞いていたシャルロッテが、ぽんと手を打った。

「おじ〜ちゃんのおてぃすしょ〜かいとが〜でな〜って、らいばるきぎょ〜みたいなもんでちね」
「いわば、地球市場における人材の争奪戦。ですがヴェネローンとオティス商会は、地球人への差別意識から大きく後れを取ってしまいました」

 苦々しげに、アウロラがシャルロッテに語った。女神と崇められても政治には干渉しない。ただひたすら世の平安を願って、分け隔てない博愛を説く己の立場。それと相反する現実。

「その上、フリングホルニは転移門狙いのガーデナーどもに攻め入られ、雪の街を奪われた。わしらは今、町長ニコラス殿の隠れ家に逃れておるが」
「このままでは、あやつらがここまでの道案内に使われる。蟻の一穴天下の破れともなりかねん。この機を逆に利用し、奴に一泡吹かせてやらねばな」

 意を決したアリサが、オグマを見る。

「フリングホルニの転移門を動かし、トヨアシハラとの接続経路を変える。おぬしの作った船なのじゃからな、嫌とは言わせぬぞ」
「敵を迷わせるなら、バルドルの玄室を使うか。向こうに同じような場所はあるか?」

 オグマもまた、賢者のたたずまいに変わる。スケベで変人だがやるときはやるタイプなのだろう。

「それなら、ちょうどいい場所があるぞい」

★ ★ ★

「生存者はいませんの!?」

 ユッフィーの柔らかな肉を貪らんと、餓鬼どもが殺到する。飢えに苦しみ理性を失った彼らに生身と精神体の区別などつかないが、あるいは彼らこそが魂まで喰らう魔物なのか。昔の人は36種類もの餓鬼を想像し、中には妖術か神通力の類まで備えたものがいるから油断できない。
 鳥肌が立つような寒気を覚えたユッフィーは夢見の技で武器を取り出すと魔法のほうきを光らせ斧型のオーラを形成してなぎ払った。続いて、チビ竜のボルクスがすうっと息を吸い込み、炎の吐息を扇状に吹きかける。

 敵はぎゃあっと悲鳴をあげると、炎に包まれて霧散した。血を流さず屍を残さない不自然さに、微妙な違和感を感じる。ここは悪夢のゲームではなく本物の異世界なのに。

「もう全滅したか、どこかへ逃げたみたいだね」

 銑十郎がユッフィーから託された青いメモリアと一体化し、青肌に二対の腕を追加で生やした「青面金剛」の姿で二対の弓矢を引き絞り、それぞれ別方向から押し寄せる二体の餓鬼を同時に射抜く。なお髪はピンクのまま。
 銑十郎本人の腕は狙撃銃を構えており、上空から飛来する生首の妖怪や骨の鳥を散弾で撃ち落としていた。夢見の技ならリアルの銃と違って、弾種を変えるのもお手の物。

「サブアームのほうは半自動で狙ってくれるから、助かるよ」

 SF小説でサイボーグが六本腕を生やしても、人間の脳にそれを動かすOSが備わってないから容易に扱えないとする設定を見たことがある。実際に、タコの触手は脳からの指令を受けずに独立した意思決定ができるらしい。
 その便利さをチラ見して、ミカは少し恨めしそうに武器を振るっていた。

「私、なんでコレなの!?」

 ミカも王女と仰ぐユッフィーの背中を守るように、丸盾の内側に収納された奇妙な鎌剣を抜いていた。派手さはないが、西洋ファンタジーの世界ならゴブリンに相当するだろう小柄な餓鬼相手には取り回しのいい武器だ。
 何体かの敵を倒すうちに戦いの勘が戻ってきたようで、盾を構えながらのミカの立ち回りはタンク役として自然なものになっていく。忘れてはいても自分は確かに、夢渡りで異世界を冒険していたのか。倒れると霧散する敵に違和感を覚えながらも、ミカの脳裏にはふと、名を思い出せない友の顔が浮かんでいた。

「私にもまだ、忘れてる技があるみたいね」

 気付けば、劣勢を悟った敵が一目散に逃げていく。手応えが薄いようにも感じられたが、三人は小さな勝利に満足して武器を収めた。
 住民が皆殺しにされたのか、あるいは難民として逃れたのか。荒れ果てた農村へたどり着いたついた一行は、生存者に情報収集の望みをかけるも。すでに亡者と化したかつての村人に襲われるだけだった。

「そろそろ夜明けでしょうか。いったん撤退しましょう」

 村外れの鳥居を潜り地球側へ戻ると、木の鳥居の脇を電車が走っていく。もう始発の時間かとあたりを見回せば、松戸新田の駅前にある寂れたお稲荷様だった。
 どういう理屈か知らないが、帰りの「門」は必ずユッフィーの地元につながっていた。銑十郎やミカの地元に出ないのは、夢の中でユッフィーから召喚されて仲間に加わっていることと関係があるのか。

「今晩もどうにか、命がありましたの」

 ユッフィーが銑十郎やミカと顔を見合わせて、安堵の息を吐いた。

「異世界ってのは、そこらのラノベよりハードだね」
「私たちには、チートスキルもないし」

 身の丈に合わない場所へ来てしまった。たとえるなら駆け出しの冒険者が魔王城のある魔界のフィールドへ迷い込んでしまったような。それが三人の共通した感想だ。さっきの襲撃は楽なほうだった。
 見通しの良い、遮蔽物のない原野には山のような巨大骸骨が闊歩していて見つかればひとたまりもない。必然的に身を隠せる森や林を伝っての移動となるが、妖怪でない狼などの野生動物さえこちらに気付いて威嚇してきた。

「こちらは精神体なのに、姿を見られてたわね」
「猫には霊が見えるという話もあります。現代人は霊的なものを信じなくなってしまいましたから、幽霊が見えないのも仕方ありませんわね」

 バーサーカーに追われて地下道に身を隠したとき、深夜に通りかかった人がこちらに全く気づかなかったのをミカが思い出す。

「そうなると、今までほとんど敵に見つからなかったのが不自然だね」
「いい指摘ですわ、銑十郎さま」

 猿田彦のメモリアに助けられて、避けられる戦闘は極力回避して進んでいたユッフィーたちだったが。だとしても敵地の割に魔物の襲撃が少ないし、あっても手応えのない相手ばかり。むしろその違和感が、一行に絶え間ない緊張感をもたらしていた。

「アリサ様たちが通り道に使っているなら、もっと警戒厳重なはずですの」「僕たちは、泳がされている…?」

 銑十郎が疑問を口にすると、ミカの表情から血の気が引いた。もし自分たちの一挙手一投足まで、敵に見られているとしたら。追われる恐怖は誰よりハッキリと想像できる。

「せっかく帰ってこれたのですから、肩のチカラを抜きましょう。お二人とも、とりあえずはごゆっくりお休みくださいませ」

 ふたりの姿が、朝日に溶けてゆくのを見送りながら。ユッフィーもまた、心地良い休息の眠りに落ちていった。目指す場所は、まだ遠い。

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