大人びたという言葉、良くないかも

適してないかもしれない。

 人を形容するとき、特に比較的幼い子供に対して「大人びている」という言葉が使われることがある。体格や所作、精神面について同年代に比べ成熟していることを意味していて、基本的には誉め言葉にあたるだろう。身体は年を重ねるごとにそれ相応に成長していき、精神に関してもある程度は比例していく傾向にあると思うが、当然どこかで打ち止めがある。その成長が停滞するタイミングについて、とりわけ精神名においては、一般的には20代前半あたりだと考えている人が多いと個人的には感じている。4大卒だとぼちぼち仕事にも慣れ始め、若気から生じる言動や思考にも落ち着きが見え始める年齢、ということかもしれない。なのでこの「大人びている」という誉め言葉は高校生や大学2年次あたりの年齢までの人に対しても、そこそこ使われている印象があった。
 ただ、最近この「大人びている」という言葉は高校生くらいの人に使うべきではないのかなと思うようになっている。そのきっかけは単純で、「自分、高校生の頃からまったく成長していない」ということに気付いたことであった。

 明確にそのことを理解したのはある配信者の雑談配信を視聴していた際で、その配信者は「年をとれば考え方が成長するというわけでもなく、〇〇歳になった今でも特に大人になったという感覚がない」というような趣旨の発言をしていた。確かに自分も成長していない気がすると思い立ち、これまでの経緯を惟ると、ちょうど高校生である17歳あたりからあまり変化がないように思えた。わりと似たようなことを考えて、似たようなことを話して、良いところも悪いところも今と大して変わらない。

 n=1のデータで傲慢に一般論として語ると、高校生くらいになってしまえば、それ以降大きな成長・変化は起こりにくいのではないかと感じる。(みなさんはどう感じるか教えてほしい。)
 これ前提とすると、高校生付近の人に対して「大人びている」という言葉は適切でないのではいのかなと考える。
 高校生から変わらないならばそれ以上成長し得ないので、大人に近いという表現は正しくなく、大人びているか幼いかに関係なく、その性質を明確に褒めるべきではないだろうか。
 例えば、その高校生が他の同学年より物静かであるならば、「大人びている」ではなく「落ち着いている」と評価するべきである。思慮が深い、丁寧である、責任感がある、という場合でも、そのままの言葉で伝えるべきなのではないだろうか。

 自分は無口で動きも少ないタイプのガキだったので、幼少期より「大人びている」という言葉をかけられ続けていた。実際にそれは高校生くらいまで言われていた記憶があり、それくらいの年齢からは、人間はいずれ全員大人になる運命なので、自分が持つ他人に比べ「大人びている」という性質はいずれ優位性をなくすんだろうな、と感じていた。正直あまり嬉しくなかった。
 大人か子どもか、という不明瞭な指標をもって評価されることで、自分と同じ感情を抱く人は少なからず存在すると思う。なので、ぼちぼち大きな変化が起こらなくなる年齢の人に対しては、今後も変化ないあなた自身の性質として評価するべきである。実際に成人してから長らくした人に大人びているという表現は使わず、落ち着いた人、といったように形容するだろう。
 そしてその「大人びた」という表現が適切でなくなる年齢は、一般的な考えより、もっと若い。未成年だからと侮るな!という感じだ。

 とはいえ自分は教員職でもないので、特に活かす場はありません。ありがとうございました。
 

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