2023年11月23日~11月25日 酒。読書。観劇。それだけ~広島・今治・横浜~

私の「note」のプロフィールは、『酒。読書。観劇。それだけ』とそっけない、というか投げやりな一文だが、それで充分説明に足りている。

たとえば、2023年11月23日から25日にかけて……

2023年11月23日

朝6時33分発ののぞみ号に乗って、東京から広島に向かう。

こんな早朝なのに、自由席には多くの乗客が。

東京?の朝
こんな早朝なのに、すでにビール……

早起きしたのと早朝ビールで眠気が襲う。気がつくと、自由席の通路は立っている乗客で溢れている!
新幹線で岡山まではよく行くが、それより西はほとんど未知の世界。
景色を堪能しようと3列シート(つまり瀬戸内海側)の窓側に座ったのに、予想に反して、山とトンネルだらけ……

新幹線はMAZDAスタジアムの横を通過する。朝10時過ぎだというのに、スタンドには多くの人が座っている。
何があるのだろう?と思っている間に、広島駅に到着。

路面電車に乗る

紙屋町東の電停で降り、「そごう」の3階にあるバスターミナルで翌日今治へ渡るバスのチケットを購入(「そごう」の最寄り駅は紙屋町西らしいが、紙屋町東から行き先が二手に分かれていて、土地勘がなく、乗った電車が紙屋町西に行くか不安だった私は手前で降りた)。
その後歩いてホテルに向かい、荷物を預け(「そちらに無料のコインロッカーがあります」と案内された)、広島の繁華街を散策。
広島市内の繁華街は、広島駅を出たすぐに渡る京橋川の西側薬研堀やげんぼり通りから中央通りあたりのようで、その中に「歓楽街」もあるようだ。

仏壇通り
「KIRIN BEER」のゲートの向こう側には「広島アサヒビール」の看板

ちょうどお昼時でランチ酒(©原田ひ香)でもと思ったが、酔って平和祈念公園に行くのはどうか、と思い直し、まずはそちらに行くことに。

平和大通りを歩く。
そこには原爆被害者を慰霊する多くの石灯籠が建ち、その中に「移動演劇 さくら隊原爆殉難碑」を見つける。

……自分に嫌気が差すのはこういう時だ。
「観劇が趣味」と言いながら、普段、如何に私は何も考えず、何も学習せず、ただ漫然と芝居を観ているのか。
私が「紙屋町東」で市電を降りた時、いや、その前に気づくべきだった。
それはつまり、井上ひさしの名作『紙屋町さくらホテル』(1997年初演)だ。

戦争中、広島で活動した移動演劇隊「さくら隊」をモデルにした井上ひさしの「紙屋町さくらホテル」(演出・鵜山仁)を、こまつ座が(2016年)7月5日から東京・新宿駅南口の紀伊国屋サザンシアターで上演する。新国立劇場のこけら落としだった初演から19年。こまつ座としても9年ぶり。一新したキャストの一人、七瀬なつみは「私たち自身が、劇中で公演を目指すさくら隊になったように、一から作品を積み上げています」と語る。
(略)
戦後71年。遠くなる戦争をそこに生きてきた人々を通して改めて知る舞台でもある。「重い、難しそうと思われるかもしれませんが、井上ひさしさんの喜劇です。明日死ぬとしても今日これをやりたいと思ったことを思い切ってやったすごいエネルギーを持った人たちのお話を、楽しんでほしいです」と語る。

2016年6月23日付朝日新聞夕刊
七瀬なつみインタビュー記事

さらに平和大通りを西へ歩く。
それにしても広島には川が多い。
そういえば劇作家・演出家の蓬莱竜太氏の作品に、広島に流れる川の源流を堰き止めて、市民に高額な水を売りつける悪徳市長が出てくるものがあった。

そんなことを思い出しているうちに、平和祈念公園に到着。

広島は、2022年の米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した、映画『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督)の舞台でもある。

「軸線」という用語が唐突に登場するのは、広島で演劇指導する家福とみさきが清掃工場を訪ねたときだ。工場の吹き抜けには、原爆ドームと原爆死没者慰霊碑を結ぶ「平和の軸線」を海の向こうに伸ばす狙いがある、とみさきが説明するのだ。
これはほぼ事実。ロケ地の広島市環境局中工場は、美術館建築の名手、谷口吉生の作品だ。一方、家福が稽古をつける場は広島国際会議場で、軸線上にある隣の広島平和祈念資料館とともに、丹下健三の設計だ。慰霊碑も彼の作品で、「軸線」重視は丹下建築の肝なのだ。弟子の谷口は広島でそれを継承した形で、師弟の軸線の表れでもある。
同時に、海に向かう軸線は人間の多面性や複雑さに向き合う登場人物たちが、人生の方向性や光を探っていることと重なって見える。

2022年3月25日付朝刊「ドライブ・マイ・カー 衣食住を深読み」

慰霊碑に手を合わせ、原爆ドームを見て、平和祈念資料館へ。
と思ったら、建物入口から外に向かって長蛇の列。「ここより30分」の札も見える。
一瞬諦めようかという考えが過ったが、次にいつ広島に来られるかはわからない。日本人として、平和祈念資料館を訪れないという選択肢はあり得ないと思い直し、列に並ぶ。

感想は書かない。言葉では言い表せない。何を言っても、使い古された誰かの言葉であり、それは私の気持ちではない。
映画『夕凪の街 桜の国』(佐々部清監督、2007年)で、祈念館を出た中越典子演じる利根東子の気分が悪くなるシーンがあったが、50歳を超えた私はさすがにそこまでにはならなかったが、それでも彼女の気持ちは痛いほど良くわかった(もちろん、彼女には凪生との関係が大いに影響しているだろう)。

言葉を失うとはこういうことなのか。
打ちのめされた気持ちで祈念館を後にした私の前を小さな男の子が走っている。その子が突然、「バタン!」という音と共に派手に転んだ。
その音と泣き声で私は言葉(大袈裟に言えば"世界")を取り戻した。

時刻は14時を過ぎている。繁華街まで戻ろうと思ったが、祈念館から遠いし、行きたい場所もあったので、まずはそこへ向かうことにする。

広島に来た目的は、このホールにある。
場所を確認したあと、ここまでの道すがら見つけた広島風お好み焼きのお店「みっちゃん 横川店分家」に戻り、入店。
ビールとお好み焼きを注文。
お店のテレビでは広島カープのファン感謝祭を生中継している。朝、新幹線から見たのは、この観客たちだったのだろう。

おたふくソース

広島風お好み焼きは、薄くひいた皮の上に麺やらキャベツやらを乗せて焼いたもので、関西のお好み焼きとは全く違う。
塩崎省吾著『ソース焼きそばの謎』(ハヤカワ新書、2023年)によると……

広島のお好み焼きは、焼きそば用の中華麺が入った重ね焼きで全国に知られている。その始まりはいつだろう?
(略)広島に住む著者のシャオヘイ氏が県内のお好み焼き店を徹底的に食べ歩き、綿密な聞き取り調査を行った。それを系統立てて整理し、細かく分析してまとめたのが『熱狂のお好み焼き』(ザメディアジョン、2019年)だ。
同書によると現在の広島で主流なのは、「みっちゃん総本店」の会長・井畝いせ満男みつお氏が考案したスタイル(広島スタンダードスタイル)である。井畝氏が中華麺を入れることを思いついたのは昭和30年で、広島スタンダードスタイルを確立したのは昭和32年頃。ただし麺を焼かずに生地に重ねるスタイル(広島オールドスタイル)ならば、それ以前に存在していたようだ。

食べ方に不安があったが、チラチラと周囲の人を見ると、ヘラで上手に切り分けて平然と食べている。
意外と簡単なのかと安心したが、いざやってみると全然できない。ヘラを入れるだけで、形が崩れてしまい、皿に移すことさえままならない。
仕方なく、グチャグチャになったそれを、お箸で食べる。
恥ずかしい気持ちになったが、アルコールの魅力に勝てず、レモンサワーを追加注文してしまう。

お店を出てホテルにチェックイン。
改めて軽く飲もうかとも思ったが、この後の予定を考えて、部屋で休憩。

向かったのは、さっき下見をした「広島文化学園HBGホール」。

約2時間、たっぷりと堪能し、ホテルで軽く汗を流して繁華街へ向かう。
といっても、広島に全く土地勘がないのに加え、普段からSNSやネット検索をしない私は、どのお店に入ればいいかわからず、1時間弱、夜の広島を徘徊するハメになる。
折角、酒蔵さんが多い広島に来たのだから日本酒をと思うが、外観からは私の希望が叶うお店かどうか判別できない。
結局、入口の前に広島より他地方のお酒が多く書かれたメニューが置かれていた「小池商店」というお店に入る。

21時の店内には男女3人組の若者がいたが、彼らもすぐに退店してしまい、カウンター席の私一人が取り残される格好になった。
目の前に大きな鉄板があるということは、ここは鉄板焼きのお店のようだ。
「すいません、日本酒のメニューに気を取られて、何のお店かわからずに入ってきました」
店主なのか、まだ若そうな男性が「いいんですよ」と笑ってくれる。
男性の他に、奥の厨房に料理人らしき男性1人と、ホールの若い女性が1人。
ライブの後にシャワーを浴びてきた私は、日本酒の前に当然ビールを注文。
飲みながら、広島に観光に来たと告げ、広島風お好み焼きに苦戦したと話す。
「箸を使って食べるのは、たいてい県外から来た人だから、見てわかりますよ」
ホールの女性は、ヘラだけで食べるらしい。
「慣れたら簡単ですよ」と笑うが、私には絶対にできそうにない。

観光に来たから広島のお酒を飲みたいと告げると、「うちの店は地元のお客さんがメインなので、広島以外のお酒を多く置いているんですよ」と言いながらも、メニューに載っていない広島のお酒(しかも口開け!)を惜しげもなく出してくれる。

居酒屋探訪家の太田和彦氏は、『ニッポン居酒屋放浪記』(新潮社、1997年)でこう記している。

広島は歴代藩主が酒造業を保護し、凶作の年は御用米を提供するなどして酒造りを奨励し、早くから酒どころとなった。明治の中頃、安芸津の三浦仙三郎は灘の硬水に対し、広島の水に合わせた軟水醸造法をあみ出し広島の酒を一気に向上させた。それはやわらかな濃醇甘口を特徴とし、灘の辛口男酒に対し広島の女酒として人気となった。今でも広島の酒は全国一、二位の甘口である。

「広島のカキに演歌がしみる」

三浦仙三郎の功績については、映画『吟ずる者たち』(油谷誠至監督、2022年)に詳しい。

土地勘のない広島で、何の情報もなく飛び込みで入ったお店が大当たり。
気分良く酔い、お店を後にするが、土地勘のなさと酔いとで、帰り道に迷う。しばらく辺り(といっても、どこだか全くわかっていない)をウロウロしているうち、パルコのイルミネーションを見つけ、何とかホテルへ帰ることができた。

2023年11月24日

朝6時に起床。
シャワーを浴びホテルをチェックアウト。
7時50分に広島バスターミナルを出発する「しまなみライナー」で四国・愛媛県今治市へ向かう。

瀬戸内の海を期待していたが、バスは山道を走り続ける。
考えてみれば、しまなみ海道は広島市ではなく尾道市と今治市を結んでいるのであって、そこまでは山中の高速道路を走るのである。
しまなみ海道に入ってようやく海が見えてきた。
島と島を結ぶ橋には自転車を漕ぐ人だけでなく、歩いている人までいる。
岡山と香川を結ぶ瀬戸大橋は何度となく通っているが、それとしまなみ海道との違いは、ドック(造船所)の多さにあるのではないか。
今治市に入ったことが明確にわかったのは、そこに造船首位である今治造船の大きなクレーンが何機も見えたからだ。

今治市西部の海岸線を車で走ると、林立するクレーンが目に入る。市内には14の造船所が集まり、日本の年間建造隻数の約2割を占める。
瀬戸内海では、江戸時代後期から「入り浜塩田」が盛んになり、塩や燃料の石炭などを運ぶ船が増えた。今治は、難所と恐れられる来島海峡の「潮待ち」の場所。待つ間に船の修理が行われ、造船業の礎ができた。
日本の造船業は80年代まで、建造量で世界シェアの半分ほどを占めた。しかし2000年代までに、国の後ろ盾と積極的な投資で韓国や中国が台頭した。22年の新造船竣工量の世界シェアは首位の中国が約46%、韓国が約29%、日本は約17%だ。
今後はどうなるとみるか。(略)「安かろう悪かろう」とされた中国の造船所の多くで整理が進んだ。世界で1億トンほどあった建造能力は6千万~7千万トンに減った。船の寿命は約15~20年で、今後は造り替えの需要が次々と出てくる。

2023年8月8日付朝日新聞夕刊「今治の海事産業② 時代の荒波 負けぬ造船業」

今治在住の親戚の家で一泊。

2023年11月25日

今治駅を朝6時50分に出る岡山行きの特急に乗る。
朝が早いため、親戚には迷惑を掛けてしまった(「もう年だから朝早いのは大丈夫」と快く駅まで送ってくれた。感謝)。
こんなに朝早い便なのにも拘わらず指定席は満席だというが、今治駅は始発の松山駅の次のため、自由席にもそれなりの余裕がある(途中で満席になった)。
海側の席に座り、行きにあまり見られなかった瀬戸内海をぼんやり眺めているうちに岡山駅に到着。

上りの新幹線は、広島駅で急病人の対応を行ったとかで、少し遅延している。おかげで、岡山始発ののぞみ号に乗れ、ちゃんと座って新横浜に到着。乗り換えて関内駅で下車。
近くの横浜スタジアムでは、横浜DeNAベイスターズのファン感謝祭が行われている様子。

山下公園近くのKAAT 神奈川芸術劇場まで歩き、舞台『SHELL』を観劇。

終演後、渋谷経由で三軒茶屋に行き、舞台『モモンバのくくり罠』を観劇。

19時45分終演。さすがに疲れ果て、まっすぐ帰宅。



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