1996年5月31日 @日本武道館

「PRINCESS PRINCESS」が解散した。
今日が2021年5月31日だから、ちょうど四半世紀前ということになる。

「PRINCESS PRINCESS PANIC TOUR '96~解散を遊ぼう」は、同年1月24日にスタートし、「FINAL」を含め全国46道府県を回る全県ツアー47公演を終え、5月29日~31日の3日間の武道館公演を残すのみだった。
そして、この3日目のライブをもって、バンドは解散することになっていた。

私は、この3日間のうち、初日と最終日を観た。
さすがに、社会人としては3日連続は無理だった(とはいえ、1996年のライブは、恒例だった正月の武道館公演「吉例 謹賀新年 PRINCESS PRINCESS '96」を皮切りに、高松、松山、大宮と、計6公演観ている。ちなみに記録によると、初めて観た1988年3月19日のラフォーレ原宿・松山から、1996年5月31日の解散までの8年間で、27公演観ているらしい)。

手元にあるチケットによると、武道館公演は両日とも2階スタンド席で、初日が南ブロック、解散当日が北東ブロックになっている。北東ブロックは、ステージ上手(かみて。ステージ向かって右側)斜め後ろにあたり、通常の公演では観客は入れない(奥居香(現・岸谷香)は「バックスタンド」と呼んでいた)。
3日間ともだったのか記憶が定かではないが、とにかく解散当日はステージ真後ろを除き、観客を入れていた。
ステージ斜め後ろの席の私は、ほとんどステージが見えない状態だったが、武道館初日を観ているのもあり、「観る」ことよりも「解散に立ち会いたい」気持ちの方が大きかった。


18時半を過ぎた頃、客電が消え、ステージ前に吊るされた白い幕に、過去のツアーのバックステージ映像がモノクロで映し出される。
やがて映像は武道館のバックステージになり、このライブ衣装を着たメンバーがステージへ上がるスローモーション映像の後、スクリーンにこう映し出される。

「We are PRINCESS PRINCESS」

そして、1曲目の「SEVEN YEARS AFTER」の演奏開始とともに幕が下され、詰めかけたファンの前にメンバーが現れる。

1曲目が終わり、ボーカルの奥居香が叫ぶ。

「こんばんは!PRINCESS PRINCESSです

間髪入れずに、2曲目「OH YEAH!」が始まる。
そこから「GO AWAY BOY」を経て「世界でいちばん熱い夏」へなだれ込む。

コンパスは いつも ほら 南を指してる

奥居香が「南ブロック」を小さく指さす。
きっと、私が「南ブロック」にいた初日も同じように指してくれただろう。

「インフォメーション」を告知しがてら(衣装チェンジもしつつ)の、メンバー全員のMCを挟み、最後に奥居香が次の曲を紹介する。
「解散に当たり1曲でも多くみんなに聞いて欲しいけど、120曲ものオリジナルがあって選曲に悩んだ」と言い、「普段こういう企画的なものはやらない」と前置きし、「PRINCESS PRINCESSの歴史が一目でわかる、すご~いメドレー」を披露する。

メドレーは、デビューシングルの「恋はバランス」ではなく、「Kissで犯罪~キッスでクライム~」の収録曲で始まる。
「Kissで犯罪」は、「恋はバランス」の前に出した、ある時期までは「幻」とされていたアルバムで、奥居香曰く「プリプリというバンドが今後どんな音楽性でいくのか、試行錯誤している時期のもので、今とは少し雰囲気が違うので、最近はずっとやってなかった」。

「あの時のプリプリだって確かにPRINCESS PRINCESSの一部だった」思いもあり、当時の振り付けを再現しつつの「TOKYO彼女」からメドレーが始まり、「相棒」まで19曲を一気に演奏した。
そして、椅子に座っての20分以上の長いMC(生中継していたWOWOWは、その間、別収録したメンバーの座談会を放送)で会場が落ち着いた雰囲気になった後、「M」で演奏が再開される。

「ROMANCIN' BLUE」「ガールズ・ナイト」とスリリングな曲を経て、「ROCK ME」「GUITAR MAN」とハードな曲へ移る。

そして「へっちゃら」へ。

ずっと黙ってた事がある 誰も知らない スゴイものが 5つだけあって

大盛り上がりの後、「パイロットになりたくて」へ。

いっぱい泣いた恋も 最高の夏の日も 全部 私を 組み立てた 部品だ

メインのラストは、解散発表前にリリースされた「Fly Baby Fly」。
イントロの間にメンバー紹介した奥居香が、想いを噛みしめるように言う。

「私たちは、5人で、PRINCESS PRINCESS…でした


「GET CRAZY!」で始まった1回目のアンコールは、リーダー渡辺敦子の挨拶を経て、「DIAMONDS<ダイアモンド>」で終わる。

「PRINCESS PRINCESSの運命を大きく変えた1曲。今日までたくさんの『ダイアモンド』を、みんな、どうもありがとう」


最後を締めくくる2回目のアンコールは、ただ1曲。
「19 GROWING UP~ode to my buddy~」。

この曲が終わると、メンバー、ファン、もちろん私にとっても、

たった一つの『冴えたやり方』

を胸に突き進んできた、一つの「歴史」が終わってしまう。

「このまま時が止まればいいのに」とセンチメンタルになれるほど若くなかった私だが、それでも、本当に名残惜しかった、切なかった。


メンバーそれぞれが最後の挨拶をしてステージを去った後、ステージ左右にある大型スクリーンに、デビューからの全ライブスケジュールが映し出される。
アンコールの声は、やがてファン全員の「ダイアモンド」の大合唱になり、そして再びアンコールの声に戻る。


延々とスクロールするかに思えたスケジュールは、1996年5月31日 日本武道館で終わった。
スケジュールが上方にスクロールしきって黒くなったスクリーンに、メッセージが映し出された。

「We were PRINCESS PRINCESS」

それをきっかけに客電がついた。
アンコールの声は止むどころか、益々大きくなった。

私もその中の一人だったが、どの時点で諦めて会場を後にしたのか、どうやって帰宅したのか、覚えていない。


その後、彼女たちは別々の活動を始め、東日本大震災のチャリティーとして2012年に限定的に再結成し、2016年再び眠りについた。


解散の日、「M」を演奏する前に、奥居香が「ツアーの先々で1つだけお願いしてきました」と切り出した。
「プリプリは解散するけど、作品は残る。その作品たちを大切にしてほしい。子どもができたら、その子たちに教えてほしい。そうやって音楽が受け継がれていくのが、今後の私たちの幸せだと思っています」

コロナ禍にある25年後の今日、私は自宅で、あの日のライブビデオを見ている。

この記事が参加している募集

#思い出の曲

11,332件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?