恋人"は"サンタクロース?

夜、近所を散歩するのが日課(というほど勤勉ではないが)になっているのだが、まだ11月末だというのにクリスマスイルミネーションなるものが、あちこちのお宅で、煌びやかに光り始めていて驚いた。
気づくと、同時期に近所の大型スーパーなどでも、恒例の山下達郎の曲などが流れ始めていたようだ。
勤労感謝の日(2021年11月23日)の翌日(24日)の散歩の時に驚いた記憶から推察するに、世間が「クリスマス気分」になる(或いは、なっていい)時期は、「12月になってから」ではなく「12月24日の1ヶ月前」なのだろう。

ところで、クリスマス気分を盛り上げる曲といえば、先述の山下達郎氏のあの曲が筆頭に挙げられると思うのだが、ユーミン(松任谷由美氏)の『恋人がサンタクロース』も良く聞く曲である。
ちなみに上記タイトル、当初「恋人」と打ち込んで、念のため確認したところ、どうやら「恋人サンタクロース」が正解らしく、慌てて修正したのだが、何故「は」だと思い込んでいたのだろう?

同じ疑問に引っ掛かったのが、言語学者の川添愛氏である。
著書『言語学バーリ・トゥード』(東京大学出版会、2021年。以下、本書)にて、言語学者の立場から考察を試みている。

その根拠は(略)「AがB」という形をしたタイトルが、実はけっこう珍しいのではないかという漠然とした印象である。

言語学バーリ・トゥード「04 恋人{は/が}サンタクロース?」 以降の引用も同様

『サザンオールスターズ/高田みづえの『私はピアノ』(略)SHOW-YAの『私は嵐』など、「AはB」のタイトルはすぐに出てくるが、「AがB」のタイトルはなかなか出てこない』と『漠然とした印象』で考察していて、少し「大丈夫か(しかも例えが古いし)」と思わなくもないのだが…

本書によると『「A{は/が}B(だ)」という形で、かつAおよびBが「名詞(句)」であるような文は、言語学においては「コピュラ文」と呼ばれる』らしい。

ここでの問題は、端的に言えば「は」と「が」の違いである。「は」と「が」の違いというのは、言語学においては「そこに足を踏み入れたが最後、その後何十年も出られなくなる底なし沼」の一つだ。

それ故深入りしないよう警告している川添氏は、そうならない程度『「さらっ」と流す』感じで解説してくれている。

その一つが、「は」は旧情報に付き、「が」は新情報に付くという、「情報の流れ」に従った説明(略)。これを「A{は/が}B(だ)」にあてはめると、「AはB(だ)」の「A」は旧情報であるのに対し、「AがB(だ)」の「A」は新情報であるということになる。
(略)
もし、ここでサビの歌詞を「恋人サンタクロース」にすると「は」の性質上、「恋人」が旧情報として提示されることになり、そこまでの情報の流れから見て不自然である。文脈に合った情報の提示の仕方を考えるならば、「恋人サンタクロース」のように、「恋人」を新情報として提示する歌詞が選ばれてしかるべきなのである。
(※太字部、原文では傍線)

かなり納得できる解釈だが、川添氏はこれで納得しない。さすが言語学者。

そこには、当のユーミンが「歌詞を冒頭から順番に考えた上でサビ(兼タイトル)を決めた」という暗黙の仮定があるのだ。本当にその仮定は正しいのだろうか?たとえば、ユーミンが「先にサビ(タイトル)を決めた上で」、それが自然に聞こえるよう、後から冒頭部分の歌詞を決めたということは考えられないだろうか?

川添氏自身、可能性は『大いにあると思っている』。
『コピュラ文はきわめてシンプル』であるが故、『シンプルな構文を侮るなかれ』と警鐘を鳴らす。

コピュラ文も「AとBとの関係がどのように解釈されるか」という面において、実は相当複雑だということが知られている。代表的な研究としてよく挙げられる西山佑司の『日本語名詞句の意味論と語用論』では、「AはBだ」に対して五種類の解釈、「AがBだ」については四種類の解釈を区別している。

詳しい解釈等については引用しない(何せ例文が『佐山聡が初代タイガーマスクだ』とかで引用する気が失せるし、それ以上に、読む際に例文ばかりに気を取られて内容が頭に入ってこない)。

「恋人サンタクロース(だ)」という文で、「恋人」および「サンタクロース」が特定の人物を指すなら「同一のもの系」、すなわち「恋人本人とサンタクロース本人が同一人物である」という解釈になる。しかしながら当のユーミンは、このようにサンタクロース様ご本人が登場する解釈を意図してはいないはずだ。むしろユーミンは「役割担い系」の解釈、つまり「恋人」の指す特定の人物が「サンタクロースの役割」を担うという解釈を意図していると考えられる。
(※太字部、原文では傍線)

まぁ、そんな感じで「恋人サンタクロース」というタイトルになったのだろうが、それにしてもゴチャゴチャ考え過ぎではないか。

それは私も分かっているのだが、言語学者というのはこういう問題があるとつい、あれこれ考えてしまうものだ。もしこれを読んでおられるあなたの恋人が言語学者だったら、絶対にこの記事を読ませてはいけない。まさに十人中百人が、「こいつ(川添)は何も分かっていない」と憤り、頼んでもいないのに分析を始め、夜通しあなたに自説を語りかねないからだ。

そんな『頼んでもいないのに分析を始め』てしまう言語学者の性がモロに出た言語学についてのコラム集である本書は、専門的知識が無くても読めるというか、むしろ無い人向きだ。
何せ、本書のサブタイトルは『AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』である。『絶対に押すなよ』が何を意味しているか、言語学者より素人の方が察しがつきやすいだろう。

中でも、『SHOW-YAの『私は嵐』』がわかる、1973年生まれの川添氏と同世代の人にお勧めだ。
さらには、『佐山聡が初代タイガーマスクだ』がわかるプロレス好きの人なら、なおお勧めだ。
最初に考察するのが、1981年に新日本プロレスに殴り込みをかけた、国際プロレスのラッシャー木村がリング上で放った第一声『こんばんは』についてであり、ある時には、藤波辰爾の技に「ドラゴン」が付く理由を延々と考察したりもする。

私はというと、そういった例えにイチイチ引っかかってしまい、本文の意味が全く頭に入ってこなくて難儀した。なので、上記『恋人サンタクロース』についての考察について、適切な引用と説明ができているのか、イマイチ自身が無いのである。


ちなみに、別の章にはこう書かれている。

コロナ禍から生まれた新語も多かった。「三密」とか「新しい生活様式」などはその代表格だが、英語系の言葉も多い。私は「ソーシャルディスタンス」と聞くたびに、THE ALFEEの『星空のディスタンス』が脳内再生されて激しい風が心に舞うのだが

もちろん彼らは抜かりない。

星空の下のディスタンス
守ろうよ!ソーシャル・ディスタンス
さえぎるコロナ 乗り越えて
この胸にもう一度…Baby,Come Back!

THE ALFEE『星空のディスタンス(抗コロナ編)』 詞・曲 高見沢俊彦


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