筒美京平氏と小泉今日子さん
作曲家の筒美京平氏が逝去されたことに対し、小泉今日子さんが追悼コメントを出したというネットニュースを見て、「ああ、そうだった」と今更ながら思った。
私が初めて小泉さんを観たのは、たしか1984年のサマー・コンサートツアー「時計のいらない夏~Timeless Summer~」だった(あれから40年近く経つのか…)。
リリースしたての「迷宮のアンドローラ」を一曲目に持ってくる(ご丁寧に、コンサートパンフレットにセットリストが載っていた)という構成だった。で、当時、田舎で中学生をしていた私は、その1曲目に度肝を抜かれるのであった。
コンサートのことはあまり記憶にない(もう40年近く前のことだし)が、「迷宮のアンドローラ」は、今聞いても、抜群のイントロであることは間違いない。
その「迷宮のアンドローラ」の作曲家が筒美京平氏である。しかも作詞は、名コンビである松本隆氏だったりする。そりゃぁ、名曲になるってもんだ。
しかし、どうやら「迷宮のアンドローラ」は当初、筒美氏の作曲ではなかったようだ。
2017年にリリースした「コイズミクロニクル」というベストアルバム(「あんみつ姫」や「天野春子」名義でリリースしたものも含め、デビューから2017年までの全シングル50曲を収録)に付属の「コイズミシングル~小泉今日子と50のシングル物語」という書籍によると…
ちなみに私の大好きなイントロは、「アレンジャー船山基紀が導入したフェアライトCMI」などで作られているそうだ。
それはともかく、私と同い年のこの方も「迷宮のアンドローラ」が大好きだそうで。
出会いは「まっ赤な女の子」
「しょうがないねえ。駆け込み寺じゃないんだから」という言葉からもわかるとおり、筒美氏と小泉の出会いは「迷宮のアンドローラ」ではない。
最初に手掛けたのは、1983年5月5日リリースの4枚目のシングル「まっ赤な女の子」である。作詞は康珍化。
当時の小泉担当のディレクター田村氏によると、曲のいきさつはこうだ。
その結果、A面は康珍化に決まったのだが、康は筒美氏から返ってきた詞についてこう証言する。
「なってったってアイドル」
小泉今日子と筒美京平といえば、やっぱりこの曲ではないだろうか。
作詞は、「まっ赤な女の子」では採用されなかった秋元康。
当時の状況を考えると、秋元でなくても歌詞にNGが出るだろうという予測は容易に立つ。事実、会社からはNGが出た。しかし、ディレクターの田村は「このままの歌詞じゃないと、意味がない」と会社を押し切った。
筒美京平と小泉今日子
「コイズミクロニクル」に収録された、デビューから2017年までの小泉今日子のシングル 50曲のうち、筒美氏作曲のものは以下のとおり(タイトル、リリース日、作詞者の順で記載)。
まっ赤な女の子 1983.05.05 康珍化
半分少女 1983.07.21 橋本淳
迷宮のアンドローラ 1984.06.21 松本隆
DUNK 1984.06.21 松本隆 (「迷宮のアンドローラ」と両A面)
ヤマトナデシコ七変化 1984.09.21 康珍化
ヤマトナデシコ七変化(Long Version) 1984.11.07 松本隆 (Kyon2名義,12inch)
魔女 1985.07.25 松本隆
なんてったってアイドル 1985.11.21 秋元康
夜明けのMEW 1986.07.10 秋元康
水のルージュ 1987.02.25 松本隆
水のルージュ(Dancing Mix) 1987.05.01 松本隆 (12inch)
夏のタイムマシーン 1988.07.06 田口俊
BEAUTIFUL GIRLS 1995.11.01 小泉今日子
こうして挙げてみると、本当に名曲揃いだ。
小泉今日子は、「感謝、ただただ感謝」というコメントで追悼したという。
おまけ
この本、全部読んだはずなのだが、今回あらためて気がついたことがある。
なぜ、「時計のいらない夏~Timeless Summer~」が強烈な印象だったか。
もちろん、先に書いたように、田舎の中学生の、ほぼコンサート初体験だった、ということもあるが、コンサート自体の仕掛けも影響していたようだ。
つまり、あのコンサートは、ただ曲を並べただけではなく、「迷宮のアンドローラ」を軸としたコンセプチュアルな構成になっていた、ということだ。
確かに、パンフレットを見返すと、「構成・演出 康珍化/河合俊彦」とある…
きっと、ただ盛り上がるコンサートじゃなくて、「物語性」を持った「魅せる」ものだったに違いない(だから、「ただただ圧倒された」という記憶があるのか…)。
そりゃ、度肝を抜かれちゃうわな…
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