芝居は時間も場所も超越する~ミュージカル『衛生』、音楽劇『GREAT PRETENDER』

小説が「時間と場所」を超越する世界なのは謂わば「常識」として理解されているが、読者の時間は作家・保坂和志氏によると「読んでいる間にしか流れない」。

舞台もまた然りである。
観ている舞台は「今ではない時間、ここではない場所」であるが、観客からすればその世界は「舞台を観ている間だけ現出する」のである。


ミュージカル『衛生 リズム&バキューム』

赤坂ACTシアターで上演されたミュージカル『衛生 リズム&バキューム』(福原充則作・演出)は、「昭和」の時代の「神奈川県平塚市」が舞台である。

まだ下水道が整備されていなかった昭和33年頃の平塚市。
汲み取り業者「諸星衛生」の社長・諸星良夫(古田新太)と息子・大(尾上右近)の親子が主人公。
花室麻子(咲妃みゆ)と代田禎吉(石田明(NON STYLE))という2人の社員、諸星親子のバックにいる地元の有力議員・長沼ハゼ一(六角精児)、ライバル会社社長・瀬田好恵(ともさかりえ)らが絡む。

これ以上は書けない。
書こうと思えば書けるのだが、舞台設定からも明らかなように、物語は終始、それこそバキュームカーで吸っても汲んでも、「下品」「下衆」しか出てこないのだ。
そんなものをネット上の文章で残すと、ちゃんと読まないでそのキーワードだけを採り上げて怒られたりしそうだし、それ以前に、何度もキーボードで入力したくない言葉だらけだ。
だから、下品なのは下記一文だけにしておく。

このミュージカルは「クソとクソ人間しか出てこない」。

そう、この芝居は「ミュージカル」(音楽・水野良樹(いきものがかり)、益田トッシュ)だ。
それも、ミュージカルナンバーだけを聞くと上質(「上品」ではない)な。
私は幕開けから恐々観ていたのだが、長沼ハゼ一を演じる六角精児のソロナンバーで一気に世界に引き込まれた(歌詞の内容はサイテーなのに)。
特に、二幕は全ナンバー名曲だ。
眼前で繰り広げられる物語は下品で下衆で、歌詞もそれに沿っているのに、全然ミスマッチではなく、逆に感動している自分に驚いてしまう。

昼の12時に開演した舞台は、休憩を挟み、15時過ぎに終演。
物語に没入した劇場を後にすると、梅雨の晴れ間の日差しと暑さで、何もかも忘れてしまった。
それでいいのだ。
舞台の時間は、観ている間だけに流れている」のだから。

自分の中の汚物をすっかりバキュームしてもらったような爽快感で電車に乗った後に、先の舞台が持った「時代への批判」に気づいた。

裏で悪事ばかりやっている昭和時代の議員・長沼ハゼ一だが、市民からの抗議の言葉を一旦受け入れ、それを利用しながら巧みに論理をすり替えていき、逆に市民を洗脳する。市民は、最終的にハゼ一の言葉に納得してしまう。それは「論破」とは全く違い、市民の側に「言い負けた」感は皆無だ。

令和の時代。
首相ですら、国民の抗議を「一旦受け入れる」だけの度量もなく、「国民が気づかないほど巧みなすり替え」どころか「論破」すらできない。

一方、好恵は市民側に立って尽力する。
ハゼ一と対照的な彼女は一見「良い人」だが、実は2人の根っこ部分は同じだ。
好恵が市民のために尽力するのは、彼ら/彼女らが「頭が悪い」からであり、「頭が良い自分が導く」という使命感からだ。それは、ハゼ一も同様だ。

これは『上級国民』の思想と重なる。
「頭が悪い国民を導く頭の良い我ら」と選民意識を持つ浅はかな『令和の役人たち』は、「頭の悪い国民はコロナに感染してしまうので、頭の良い我々の言うことを聞きなさい。だが、国民を指導する立場にある頭の良い我々はコロナに感染しないので、『会食』『パーティー』『送別会』という名の宴会をしても構わないのだ!」と、平然と「頭の悪い」行為に及ぶ。

昭和の好恵とハゼ一は、浅はかではなかった。
だから、市民は騙されていると知ってしまっても、その中での幸せに身を委ねる方を選択するのだ。
(2021年7月10日 マチネ。@TBS赤坂ACTシアター)


…おっと、下衆なミュージカルで世相を語ってしまった…

などと考えながら赤坂から地下鉄を乗り継いでやってきたのは池袋…のはずなのだが、そこは「現代のアメリカ・ハリウッド」だった。
わずか数十分で、「昭和の平塚」から時代と場所を大きく超えてしまったようだ…


音楽劇『GREAT PRETENDER』

音楽劇『GREAT PRETENDER』(古沢良太・監修、斎藤栄作・脚本、河原雅彦・演出)は、Kis-My-Ft2の宮田俊哉氏主演の「コンゲーム」物語だった。

「コンゲーム」って何だ?
知識がない私は、パンフレットを開く。

"confidence game"(コンフィデンス・ゲーム)を略した映画や小説などのジャンルの名称。"confidence man"(信用詐欺師)たちによる、頭を使った心理戦を描いた作品

…なるほど、「コンフィデンスマン」なのか…

この音楽劇の原作は、2020年に放送された全23話のテレビアニメで、アニメの脚本を書き、この音楽劇の監修を務めた古沢氏は、人気テレビドラマで映画化もされた『コンフィデンスマンJP』の脚本も手掛けている。

とわかったように書いている私は、アニメどころかドラマも映画も、全く観たことがない。

では、何故チケットを取ったのか?
映画『太秦ライムライト』(落合賢監督、2014年)の大ファンである私は、山本千尋さんのアクションを生で観たかったのだ(この芝居ではちょっとのシーンだったが、満足した。やっぱり、キレが凄い)。

と、これ以上は書けない。

だが書けない理由は、「衛生」とは異なる。
ドラマでおなじみの『コンフィデンスマンJP』のフォーマットどおり、単なる「謎解き」「犯人捜し」ではないので、あらすじを書くだけで、それが即「ネタバレ」に通じてしまうからだ。

この音楽劇、主役が前述の宮田俊哉氏であり、元宝塚歌劇団の美弥るりかさんが宝塚同様男役で出演していて(元宝塚歌劇団の娘役・仙名彩世さんも出演)、観客の大多数は女性だった。その中でオヤジ一人は肩身が狭いなぁと思ってしまったのだが、開演したら舞台に没頭して感じなくなった。

目の前で繰り広げられる心理戦をあれこれ推理しワクワクし、それが裏切られてガッカリし、混乱を深め、でも懲りずに次の展開を推理し…と翻弄されているうちに、いつしか物語に没頭し、時間はアッという間に過ぎて行った。
だから、私にとっては『コンフィデンスマンJP』自体を知らなかったことが幸いしたようだ。

没頭できた理由は、ストーリー展開だけではない。
私にとっては見慣れた俳優たちが脇を固めていたのも、一助あった。
ラッパ屋の福本伸一氏、元劇団壱組の大谷亮介氏、劇団M.O.Pの三上市朗氏。そして、平田敦子さん。
(アメリカが舞台でああいう格好だったので、三上市朗氏がAGAPE STORE「BIZシリーズ」の川島の影がチラついてしまったのは、少し困った…。同様に、加藤諒氏を見ると『人間風車』のサムに…は見えなかった…)。

『衛生』が昭和33年から断続的に進んでいくのに対し、『GREAT PRETENDER』では「現在の取調室」での自白という形で「過去のハリウッド」が回想され、時間は現在と過去を往還する。
しかし、どちらも観客の時間は「観ている時間」で流れている。
舞台の時間は、観ている間だけに流れている」のだから。

19時過ぎ、全ての謎が明らかになって(これを約2時間で破綻なく凝縮できるのは凄い!)、スッキリ満足して劇場を出ると、そこは2021年7月10日、昼間の晴れを引きずった本格的な夏の到来を予感させる蒸し暑い、東京・池袋だった(この後、凄い通り雨に遭ったのだが…)。
(2021年7月10日 ソワレ。@東京建物Brillia HALL)


おまけ

『GREAT PRETENDER』について知らなかった私は、劇場に吸い込まれていく若い女性たちを観て、「この芝居は2.5次元なのか?」と思ってしまった。パンフレットで上記の見慣れた俳優たちの名前を見て「どうやら違うらしい」と思ったのだが、そのくらい何も知らなかった。

演出は「リーダー」こと河原雅彦氏。
ふと、昼間に観たミュージカルを思い出す。
古田新太氏とは「ねずみの三銃士」繋がりであり、ともさかりえさんとは…

それにしても、元宝塚歌劇団の方々はあらゆる舞台で活躍している。
『GREAT PRETENDER』も先述のとおりで、『衛生』には咲妃みゆさんが出演していた。
『衛生』で彼女の歌を聴きながら、「もし折口佳代が上京していなかったら、こんな暮らしをしていたかも…」とふと思ってしまったのだった。

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