二兎社 舞台『鴎外の怪談』

これほどまでのジレンマがあるだろうか?
1910年の「大逆事件」において、政府高官として反政府思想家を弾圧する山縣有朋側にいながら、文学者の立場から言論・思想弾圧に反対し、事件の被告側の弁護人・平出修の相談にも乗っていたという、文学者・森鴎外。

劇団・二兎社『鴎外の怪談』(以下、本作)は、主人公・鴎外を媒介に「大逆事件」と、「言論が静かに弾圧されつつある」2021年現在の日本を重ねる。

劇団の主宰であり、本作の作演出家でもある永井愛は、鴎外について、2021年11月4日付朝日新聞夕刊のインタビューで、こう語っている。

「陸軍軍医総監であり大作家でもあった鴎外は生涯その矛盾した看板を背負い、色々な立場を生きた。日記には心の内をあまり記していないが、表現者として、思想や言葉を取り締まることは国が堕落することだと考えていたと思う」

(朝日新聞)

それから104年後の21世紀、本作の初演は2014年。

構想・執筆したのは安倍政権が特定秘密保護法の成立や集団的自衛権の行使容認の閣議決定を進めた時期だった。「秘密裁判への危機感など時代の空気は重なっている。鴎外が昔の人だとは思えませんでした」

(同上)

劇団40周年として再演された2021年、状況は悪化の一途をたどっている。
政府は「コロナ禍の緊急事態」を理由に、「要請と云う名の強制」で憲法で保障された「自由」に制限を掛けた。マスコミも国民も「コロナ禍の緊急事態」として、大きな批判もなく素直に受け入れただけでなく、「政府の要請」に従わない者を率先して吊し上げ続けた。

長引くコロナ禍の制限で、マスコミも国民もこの状況に慣れてゆき、やがて「自由が制限されている」ことを忘れてしまうだけでなく、「お上に逆らう者は批判しても良い」という風潮を作り上げてしまうかもしれない。

そんなことを考えさせられる舞台だったが、まずは「大逆事件」について、劇場で配布された資料を引用する。

1910年、明治天皇の暗殺を計画したとの容疑で数百人もの社会主義者・無政府主義者らが検挙され、うち26人が起訴された。厳しい報道規制が敷かれ、傍聴も許されない秘密裁判の末、幸徳秋水ら12名が死刑(無期懲役12名、有期懲役2名)になった。現代では、山縣有朋をはじめ明治政府の裁判への関与、拷問による予審調書の作成などが明らかにされ、政府が反体制運動を抑圧するため、大規模な陰謀事件を捏造したというのが定説である。遺族らによる再審請求は棄却されたが、今も真実を明らかにするための運動が続いている。

本作は、鴎外の書斎を舞台に、この「大逆事件」で幸徳秋水らが逮捕されてから死刑が執行されるまでの期間の鴎外の苦悩を描く。

主役の鴎外を演じるのは松尾貴史。飄々とした軽さの中にさりげない知性が覗く松尾が、政府と文学だけでなく、実母と妻の嫁姑バトルに翻弄される鴎外を程よい力加減で演じる。これにより観客は、テーマの重さに引き摺られ過ぎず、エンターテインメントとして楽しむことができる。

さて、秘密裡に裁かれた「大逆事件」の真相ははっきりわからないものの、現在の定説では山縣有朋の私的諮問機関「永錫会えいしゃくかい」が関与し、ここで「大逆事件」の処理方針が決められた可能性が高いとされている(劇中では、「逮捕者26人全員に一旦死刑宣告をし、『天皇自ら自分を暗殺しようとした犯罪者に恩赦を与える』ことで天皇の権威を保とうということが最初から決まっていた」とされている)。

本作を観ていると、21世紀の日本においては、このような秘密裡の計略が「私的機関」ではなく「官邸」で堂々と行われているという「噂」が、真実味を帯びて感じられてくる。

さらに、エスカレートする言論弾圧に耐えかねて山縣に直談判に乗り込もうと息巻く鴎外を、鴎外の親友であり彼を山縣に引き合わせた賀古鶴所(池田成志)が、阻止する場面。賀古は鴎外をこう諭す。
『あの方(山縣)が段々不機嫌になっていく時の、あの「嫌~な顔」。あの顔を見たくないから、我々は何も言わなかったのではないか
時の権力者の機嫌を損ねぬように慮る。まさに、官僚が官邸の顔色ばかり窺っているという、2010年代最大の流行語「忖度」そのものではないか。


本作は上述したような21世紀に通じる政治のあり様を一方のテーマとし、もう片方に「家制度」のテーマを持っていて、私はこちらに興味を持った。
教科書にも載っている『舞姫』で、鴎外がドイツ留学の際に現地の女性・エリスと激しい恋に落ちたことは何となく知っていたが(ちなみに、『舞姫』の主人公とエリスを引き離した友人のモデルが賀古だと言われている)、深いことは全く知らなかった(そもそも鴎外の作品自体に馴染みがない…)。

本作では、鴎外の母・峰(木野花)と妻・しげ(瀬戸さおり)の激しい嫁姑バトルも見ものの一つとなっているが、しげは後妻であり、その経緯については、「家柄」を重視し過ぎる峰の思惑が大きく関与しており、そんな母の言いなりになった鴎外は、それ故不幸になった、とパンフレットに寄稿した作家の森まゆみ氏が指摘している。

母親峰が決めた家柄重視の結婚で鴎外は不幸になった。榎本武揚や林董の門閥につながろうと、男爵赤松則良の長女登志子を迎えたものの、器量好みの鴎外には気に入らず、また実家から連れてきた女中たちと赤松家の家作に住んだことも鴎外のプライドを傷つけた。(略)
40間近の鴎外にずっと若い大審院判事の令嬢しげ、二度目の結婚を画策したのも母親の峰である。この母親は息子の世話を焼きすぎる。鴎外は多忙を理由にまたもや母任せにした。嫁いできたしげも手に負えない悍馬であって、おとなしく姑の言うことなど聞かない。千駄木の森家は峰と前妻の子於蒐、しげとその産んだ子供たちとみごとに二つに割れてしまう。

このため現在では、しげは「悪妻」ということになっているのだが、本作においては、鴎外としげは愛し合っており、二人のシーンは結構微笑ましい。
実際にも、鴎外はしげのことが好きだったらしく、パンフレットに掲載された永井愛と作家・伊藤比呂美氏の対談で、伊藤氏がこう発言している。

日露戦争中の出征先から鴎外がしげに書いた手紙をまとめた本(『妻への手紙』小堀杏奴編集)を読んだら、もうベタベタの甘々で(略)

ちなみに、小堀杏奴氏は、しげが産んだ2人目の子供にあたる(鴎外にとっては3人目の子供)。


言論弾圧が深まる政治と嫁姑バトルの緊張感の中、物語にホッと一息入れてくれるのが、本作唯一の架空の人物である、新米女中・スエ(木下愛華)だ。新米で間が悪く、鴎外らが秘密の話をしているところに、タイミング悪く入ってきて「ハッ」と息を呑むシーンが繰り返され、その度に観客はドジっ子の愛らしさに頬を緩める。
その愛らしい彼女が1幕の終盤に見せた心の奥の切実さが、鴎外と観客の胸を突き、物語を最後まで牽引することになる。


本稿、どうもまとまりに欠けるのは、私自身が鴎外について不案内だからなのだが、それ故、『鴎外の怪談』という本作のタイトルの意味も掴めなかった。
そんなわけでここは、著名な演劇評論家・扇田昭彦氏の劇評にすがることにする(ものすごく他力本願)。

鴎外がついに単独で大逆事件の被告たちの救出に動き出す(ただし、決行は挫折)、という予想外の展開が私たち観客を驚かせる。「誰にも心の内を見せない」鴎外の別の面が浮上するのだ。彼のこうした動きの背後に、彼が少年時代に故郷の津和野で見聞きした事件や、彼が捨てたドイツ人の恋人エリスからの「裏切り者!」という無言の叫びがあったという解釈も説得力がある。いわば、鴎外を責める過去の亡霊たちの逆襲。それが『鴎外の怪談』という題名の由来だろう。

(扇田昭彦劇評集『こんな舞台を観てきた 扇田昭彦の日本現代演劇五〇年史』
(河出書房新社、2015年)所収)


おまけ

本作で、賀古役の池田成志と永井荷風役の味方良介が口論するシーンがあるのだが、何だか『熱海殺人事件』(つかこうへい作)の「つか演出版木村伝兵衛(池田)」VS.「岡村俊一演出版木村伝兵衛(味方)」の口論に見えてしまった…。まぁ、それだけのことだが…。

二兎社と松尾貴史の相性は良いと思う。
『鴎外の怪談』を始め、『書く女』(2006年初演)の樋口一葉、『わたしたちは何も知らない』(2019年初演)の平塚らいてうなどの評伝物を通じて時代を描くのを得意とし、近年では『ザ・空気』三部作で現在のマスコミを批判して話題となった。そういった、時代の批判/批評に彼は適していると思う。
『ザ・空気ver.2 誰も書いてはならぬ』(2019年)で松尾演じる飯塚が、当時の首相の声真似を使い、自身への疑惑をはぐらかし煙に巻こうとする姿に、AGAPE storeの『BIZシリーズ』(後藤ひとひと脚本・G2演出)で彼が演じた主役・健三を思い出して嬉しくなってしまったのを覚えている(松尾は、飯塚役で、読売演劇大賞優秀男優賞を受賞している)。

あ、そういえば…
ここまで書いてきて、ようやく気づいたのだが、作家の森茉莉(1903-1987)は鴎外としげの娘だった…。
不勉強にも程があるというものだが、もちろん森茉莉も読んだことはない(威張って言うことではない)が、確か、笙野頼子著『幽界森娘異聞』(講談社、2001年)に書かれているのが、森茉莉だったと記憶している。
時間があったら改めて読み直してみたい。

(2021年11月13日 ソワレ。@池袋・東京芸術劇場 シアターウエスト)


(2021.12.17 追記)
松尾貴史氏は、本作の演技において、「第56回 紀伊國屋演劇賞」の「個人賞」を受賞されました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?