『運転者』(喜多川泰)を読んで

来月末に、喜多川泰さんという作家さんを招いて講演会を企画します。
この方の著書は今までも何冊か読み、講演会にも2度参加していて、今回の講演会企画を機に全冊読んでしまう夏にしたいと思います。
この『運転者』は『福に憑かれた男』に並ぶ傑作だと思いましたので、読後感をまとめておきます。


【あらすじ】
主人公の修一は妻と娘の3人暮らしで、営業成績の上がらない保険営業マンです。
給料が上がらないばかりか、ある日大量の短期契約解除があり、それまでの保険金から得た給料を返金しなければならないという危機に見舞われます。
絶望の中タクシーに乗ったところ、メーターには7万円ほどの金額が記載してあり、このメーターが0になるまで乗り放題という不思議なタクシー。
そのタクシーの運転手は修一の身の上や今起きていることまで詳細に把握しているこれまた不思議な人です。
最初は訝しがる修一もその言葉には納得せざるを得ず、言われるがままに連れていかれた先で様々な人と出会うことで、修一は「運」の本当の意味を知ります。
「運」を貯める生き方を選んだ修一は前向きな力を得て、本当の幸せを掴みました。
修一はどのように「運を転じた」のでしょうか。

【上機嫌であること】
運が激変する場を察知するアンテナの感度は、上機嫌の時に最大になる。
逆に不機嫌だとアンテナが動かないから運が逃げていく。
不機嫌→運を逃す→良くないことが起きる→不機嫌になるの負の連鎖。
常に上機嫌はできなくても、基本姿勢が不機嫌ではいけない。
上機嫌でいるためには、損得で行動するのではなく、「楽しそう」「面白そう」で行動する。

【実は運に良いも悪いもない】
運はポイントカードと同じく「良い・悪い」ではなく「貯める・使う」。
頑張っても報われない時は、運が貯まっている。
努力してすぐに結果が出る人は運を小出しに使っているだけ。
だから報われない努力はない。

【ターニングポイントは後にならないと分からない】
後から考えれば「あそこが始まりだったな」と気付くのであって、その時にはちょっとした変化しか感じられない。
その幸せの種は上機嫌だから手に入れることができる。
野菜は種を蒔いて数カ月は実らないと知っているのに、仕事や努力の成果は「その日」に収穫したいというバカなことを期待する。

【運の貯め方】
・上機嫌でいる→チリツモで運が貯まる
・誰かの幸せのために時間を使う→一気に運が貯まる
運とは、してあげたこととしてもらったことの差である。

【全ての努力は報われる】
例えば、子供が勉強している姿は親に頑張ろうという力を与えてくれる。
努力の成果は出るまで時間がかかる。
だから全ての努力には意味がある。
その成果は自分に表れるとは限らず、周りの人とか、次世代に表れることだってある。
自分は連綿と続く命の一部であるからそれも大きな意味があるのに、そのことを自覚せず自分に表れることを求めるから、「自分は運が悪い」「努力は報われない」などと悲観的になる。
今一杯のお米を食べられるのも、宇宙の因果でありあらゆる人の努力の成果である。

【真のプラス思考】
「必ず上手くいく!」と前向きな気持ちであることはプラス思考ではない。
その出来事が良いか悪いかなんて、その時には誰も分からないから。
どんなことが起こっても、起こったことを自分の人生に必要な経験に変えて生きるという姿勢がプラス思考である。
連綿と続く命の中で、生まれてから貯めた運を少し残してこの世を去る、そういう人生を送ろうというのが真のプラス思考である。
誰よりも運を貯めて、その半分くらい使っても誰よりも得るものが多い、そういう生き方ができれば人として立派に役割を果たしている。


上機嫌でいるために

私のnoteでは見飽きるほどに書いてますが、自分のことを不幸だと感じる根本原因は他人との比較です。
ただ生きてるだけでも有難いことなのに、毎日ご飯を食べ、雨風を凌げる家に住んでいる。
こういう恵みへの感謝があれば、基本的な態度が不機嫌ということにはならないはずです。

私事ですが子供がサイゼリア好きで、今日も寺子屋帰りに行ってきました。
昔は安く腹を満たすために仕方なしに行ってたサイゼリアが、今では料理も美味しく感じ子供が楽しそうにしてるのを見て、心から幸せを感じることができています。
生きてるだけで有難いから修行僧のような生活をしようということではなく、ささやかなことに感謝を感じるアンテナを張って幸福感を受け取ることが、上機嫌でいる秘訣なのだろうと思います。

もう一つのポイントは、誰かに会う時に楽しみという気持ちを持って臨むことだと思います。
私は就活でも比較的早めに複数の内定をいただきましたが、それは就活を面倒と捉えず、色んな企業に飛び込んで率直に話ができる機会と前向きに捉えて望んでいたからだと思っています。
大学生当時今より人見知りだった私はそう振り切るしかなかったのですが、そう思い込むと不思議とそういう人間になるものです。
億劫な会合や飲み会でも、この出会いが未来から見たターニングポイントになるかもと思えば、楽しみという気持ちを持てるはずです。
これはガネーシャにも同じような話がありますが、人に会う前には「今から楽しもう!」と自分に言い聞かせるようにします。

損得ではなく相手に興味を持つ

損をする相手と自分からわざわざ会う必要はないと思いますが、得をするかしないかで会うのを決めるのは良くありません。
本著にもあったように、得かどうかすら今の時点では分かりません。
得にならないからとご縁の機会を避けるのは勿体ないです。

例えば子供と損得勘定で付き合うでしょうか?
損得勘定で判断すれば、子供と過ごすのは膨大な時間のムダです。
親は勿論そんなことは考えることもなく、子供の喜ぶ顔や成長した姿を思い描いて、一緒に遊んだり、時には厳しく指導する。
そうして子供が一歩でも成長するのが自分の何よりの喜びになります。

子供を道具のように扱う親も一部にはいますが、大抵の親はこのように相手の幸せを心から思って接する素養があります。
それは人間の本性であって、子供がいようがいまいがこのように接する能力があります。
だから、友達なら勿論、仕事相手だって同じように接することはできるはずです。
人に会うのを楽しみと思いながら、相手に興味を持って接すれば、相手にしてあげられることに思い当たる。
それが運を貯める第一歩だと思います。

次世代につなぐ

「努力の成果は自分ではなく周りの人や次世代に表れることもある」
これは普段道徳を学んでいれば違和感なく受けいれられますが、普通の人がこう聞いて素直に受け取れるものなのでしょうか?
仏教的に解釈しても「自分は宇宙の因果の一個であるから流れの中で生きていく」という当然の摂理で、古今東西を問わない真理ではありますが、無宗教無道徳の日本人がこの真理に則って実践できるのでしょうか。
現に今という時代は、戦中戦後に先人がひたすら貯めてくれた運を、戦争を知らない団塊を中心とする世代が使い尽くし、次世代に繋ぐこともなく同じような人間を再生産してきました。
私もそうして再生産された人間であり、人として正しく生きる道を見出すには人生の大半を費やしました。
そんな恩も感謝も感じず当たり前と思っている世代に、自分の努力が自分に実らなくても無駄ではないと言われて、納得できるのでしょうか。
それほどに忘恩の念は今の日本に根深く根付いていると思います。

この忘恩から脱却するには、戦中戦後の先人がいかに次世代のことを思って行動し続けてきたかを知る必要があります。
先生、日本ってすごいね』という本はとてもオススメです。

全てのできごとを経験に変える

私は昨年、コンピュータウィルスによって廃業の危機を迎えました。
まさに人生最大のピンチでした。
その時は勿論これを経験になどと思う余地もなかったですが、これを反省してウィルスに対して万全の体制を構築し、自社のサービスとして提供も始めました。
人生最大のピンチに陥ったという原体験があるからこそ、仲の良い経営者さん・仕事で繋がっている経営者さんであるほど同じ目に遭ってほしくないと、何としても導入してほしいという強い思いを持つことができます。
まだサービス提供を始めたばかりなのでこの事業が成功するかは分かりませんが、酷い出来事であるほど代えがたい経験に変えられると今では思います。
そういうピンチを経験に変えるためには、日頃から『運転者』のような本を読んだり、人と一緒に学ぶ必要があります。

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