慈雲尊者『十善法語』⓪:尊者の生涯と十善戒

慈雲尊者

慈雲尊者とは

慈雲尊者(1718~1804)
真言宗の僧籍ですが、「釈迦の時代に宗派なし」と語り、超宗派の釈尊(お釈迦様)の仏法を再現しようとしたお坊さんです。
仏法に限らず、日本の道徳の基盤となっている中国哲学(儒教・道教など)や神道も含めて教えを説いており、日本独特の仏法の特徴が現れています。

慈雲尊者と言えば『十善法語』です。
これはお釈迦様の時代から伝わる「十善戒」を世俗の人にも分かるよう説いた書物で、私が頻繁に訪問している高野山でも、「授戒」として十善戒が説かれています。
このシリーズでは十善法語についてひとつの戒ごとに掘り下げながら、世俗に生きる私たちがどのように日々を送るべきかを落とし込んでいきたいと思っています。

尊者の幼少期

尊者は7男1女の7男として生まれました。
13歳の時に父の命で出家しましたが、幼少の頃より儒者を志していた尊者は、いずれ仏教が異端であることを証明しようと考えていました。
このエピソードからも、非常に剛毅で負けず嫌いで正義感の強い性格であることが見て取れます。
ところが15歳の時、密教の瞑想により深い宗教的感応を得て、これまでの考えを悔い改めます。
この経験を経て、元々の性格もあってかえって仏道の修行に徹底的に取り組むことになりました。

宗派を越えた修法

修法尊者は密教の修行に取り組みますが、心の根源までは観えてこず、密教を離れて禅の修行に取り組みました。
しかし禅の修行を経ても思いを達成できず、一時は仏教に失望して山奥に隠棲しようと考えます。
失意の中やむなく故郷の寺に戻りますが、そこで禅を行う中で突然光明が差し、尊者は悟りを得ました。

十善法語の完成

皇室の女性が十善戒を受け、詳しい説法を願い出たので、尊者はそれに応えて十善戒を説きました。
これを尊者自ら筆録し推敲を重ねて出来上がったのが『十善法語』です。

神道の研究

尊者は晩年になって、神道説を説きます。
それは、万民が安らかにあるのは皇室のおかげと思い、その恩に報いるために神道の正しい道を示そうと思ったからです。

十善戒総論

十善戒とは以下の10項目です。
〇身(身体)の三善業
①不殺生(他の命を奪わず、慈悲の心で救う)
②不偸盗(他の持ち物を自分のものとしない)
③不邪淫(男女の守るべき道を乱さない)
〇口(言葉)の四善業
④不妄語(嘘を言わない)
⑤不綺語(無駄な、軽々しいことを言わない)
⑥不悪口(荒々しい言葉を使わない)
⑦不両舌(両人・両家・両国などの親好を破らない)
〇意(心)の三善業
⑧不貪欲(衣食・冥利に執着しない)
⑨不瞋恚(怒らず、慈しみの心を持つ)
⑩不邪見(道理のままに正しく世界を見る)

これらを一言で言い換えれば、仏性(命が生まれながらに持つ仏の性質)そのもののことです。
また、法性(真実の道理)そのものです。
なのでこの十善の実践がそのまま仏を目指す道となります。
仏性を具えて生まれたはずの人間ですが、成長するにつれて「我」が表れ、十善を十分に発揮ができなくなります。

慈雲尊者の十善法語を学ぶ意義

十善戒総論の部分は仏教にゆかりのない人には難しいかもしれません。
しかし、十善は人として当たり前の道で、この通りに生きれば心が清らかになり、逸脱すれば心が汚れていく、という感覚は分かるかと思います。
生まれながらに持つ心の美しさを十分に発揮できるよう、心を磨いて、幸せな気持ちで生きていきましょう、というのが十善法語です。

私が仏教に興味を持ったのは昨年の4月頃ですが、それから僧侶の方と話す際にはどうしても「宗派の壁」を感じてしまっていました。
お釈迦様の時代には宗派などなかったはずなのに、同じ仏教について話すのになぜそうなってしまうのか。
そんな時に、月に一度開催している読書会で慈雲尊者に触れた時、この十善法語は研究する意義があるのではないかと感じました。

そして十善法語を一通り読んで、その内容には大変感銘を受けました。
勿論仏教的な内容も含んでいて観念としての教えもあるのですが、本質的には自らの行動をどう律するかの修身学です。
一方で世俗に生きる自分たちが全て落とし込んで行動できるかというと難しい面もあると感じました。
ですので再度ひとつの戒ごとに掘り下げ、これからどのように行動変容していくかを具体的にイメージしていきたいと思います。

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