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人は神化するのかな。

2時半から起きてるんだがw、このままnote書いてしまおう。


家族でも恋人でも仲間でもいいけど、大好きな人、大切な人がいればいるほど、行動範囲は狭くなるのが人間だと思う。若い頃なんかそうだったけど、付き合いたての恋愛なんて、彼女がいれば他に何もいらないとか思ってた。

でもさ、それをずっと続けるとマンネリ化するんだよね。で、遊び人気質のやつなんかは、浮気とかはじめる。おれはその典型的タイプだった。15年以上前の話だけど。


何事もなく、特定の人と静かに慎ましく過ごすのが幸せ。そういう人もいるし、それでいいと思う。一方で、毎日がアメリカドラマ「24」のような(古い?w)目まぐるしい日常であることを望む人がいてもいいと思う。おれはどっちかというとそのハイブリッドな人生を歩みたいと思ってる。


If you are reborn, while you are alive.

人生は一度っきりだから、生まれ変わるなら生きてるうちに。
                        長渕剛

無宗教だけど、なんか10代の頃からずっと思ってるのは、もう生まれ変わることはないかもな、ということだった。

今、生きている人たちで特に深く付き合っている仲間はみんなそんな人たちなのかもなとか思ったりする。

それだけに、最後の地球でやることはたくさんあって、だからこそ自分ひとりでは到底乗り越えられないものを、生まれる前に設定してきている気がする。

今は、分離から統合の真っ最中。いろんなものをみせられ、体験させられ、感じることを通じて、行動変容を強制的にやらされている感じがする。正直、この変化に耐えられない人もいるだろうし、アップデートしないまま、現実世界ではベーシックインカムでなんとか生きている、そんな人もでてくるのかもしれないと思う。

じゃあ、それがわるいかと言えばそんなのはわからないし、自分で選んだものがいいならそれでいいと思うだけだ。冷たいようだけど、時代がどう変わっても、人生の創造主は自分であること、主人公は自分であることはかわらない。変わったのは自分であり、変わらなかったのもまた自分なんだ。


肉体のある人生でできること、感情を味わうためにこの地球に生まれてきたのだから、色々あるのは当たり前だ。何もなければ、わざわざ生まれる必要もなく、今まで通り意識体でほわーんとしていればいいんだから。

絶望的な状況になったとき、人の真価が問われるのはまちがいなく、また絶望的になったときほど、人が今までどうやって生きてきたかがわかる。

応援される人はこれまで誰かを応援してきた人だし、助けられる人は、誰かを助けてきた人なんだ。


いつも美しく、純度高く生きたいね。暗闇を突き進み光を掴むまでは、多少強引なチカラも必要だけど、心はいつも穏やかに、澄み切ったエネルギーを波紋のようにまわりに落とせる自分でいたい。

まだまだ進化できるし、深化できる。

毎日、新化してるけどもっといけるなと思う。

そうやってこの現実世界で、娑婆でいろんな経験をしながら、かわりたい!アップデートしたい!をのぞみ、行動し、実際変わっていく中で、いずれ本当の意味でこだわりや執着がなくなったとき、人は神化するのかな。


「いいから寝なよ、明日、ZOOMmtg三昧だよ・・・」

内側から、几帳面な秘書モードのトミーの声がきこえる。。。

さて、寝よう。寝れるかな?てかもう4時半じゃんwww


おやすみ。おはよう。


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