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最後は、どうせ、ありがとう。

23時前にいつのまにか寝落ちしてて、3時半に目が覚めた。これ書いたらたぶん寝る。なんでもいいか、頭の中を全部だそう。


View of life and death

ほんと極たまにだけど、死から考えて人生を逆算することがある。それは、ネガティブなことではなくて、自分の内側にいる、穏やかですべてを知ってる自分と対話するかのような時間。「あと、○○年でどこまでやれるかな、おれたち」のような。


生まれる前の記憶もないし、視えないものも視えないし、声も聴こえない。波動とかよくわからない極普通の人間だけど、たぶん視える人よりも、感じる人よりも視えない世界のことを信じていると思う。

すべての出逢い、出来事、すべての別れには意味がある。でもその意味に気づくのは、今じゃなく後だったりする。たとえ、今に全力で生きていたとしても。


「あぁ、あのときのあれは、こういう意味だったんだ」。人知では計り知れない奇跡のような必然。全ては生まれる前に、できあがっているシナリオのように、ぼくたちは愛し合いされ、生かし生かされているんだ。

1年以上前に出版が決定していて、20万文字以上も原稿書いているのに、まだカタチになっていない。なぜか、途中で小説を書き始めたり、その意味が当初はよくわからず、もがき苦しみまくったけれど、今思えば「タイミングの神」が、起こしてくれた停滞だったように思える。同じように出版が決まり、同じような境遇でもがいていた、パートナーと、そんな話をしていた。


人生を卒業するとき、一瞬ですべてを振り返るときがくるらしい。それが走馬灯と言われるものなんだろうけど、記憶に残っている出来事すべてが、1分1秒間違わずに、必然的に起きていたものだと気づいたとき、最後は感謝で終えるのではないかなと思う。最後に発する言葉は、今の俺には一つしか思い浮かばなくて、それは「ありがとう」なんだ。


今でも十分に幸せだ。でも新しい出会いは挑戦を通じて、さらにその幸せは自分を中心に全方位に広がっている。


楽しいことも、嬉しいことも、きついことも、感動することも、泣きたいことも・・・

誰かに気遣ってもらえることも、誰かを愛することも。

起きる出来事すべて、ぼくたちは、それを望んできたんだとしたなら、それらはすべて幸せなことなんだと思う。

喜びは僕らの気持ちを高揚させ、感動・感謝は僕らの心を癒やしてくれる。

絶望的な出来事や肉体的疲労は、乗り越えた時は強さを、乗り越えている最中は、他者の愛情を与えてくれる。

そうした一連の流れで気づくんだ。自分で自分を守ること、愛することを。


なーんてね。まだ4時台じゃん笑。目が覚めちゃったけど、目を閉じよう。

今月残り数日は超・スクランブル体制。5月1日にはまた新しい、オンラインサロンが生まれる。奇跡が日常になるそんな場所をサロンオーナーと一緒につくっていくんだ。

お披露目楽しみに。


P.S.

あ、そうだ。4月22日はアースデイ(地球の日)。この日に合わせて、ぼくが理事として関わる、NPO法人BRIGHT HONUA JAPAN発のオンラインサロンができました!

ハワイ島にある4万年前からの原生林が生える「カロコの森」を守るために生まれたNPO。今は飛行機も飛ばず、ハワイいけないけど、

with the earthという言葉をメインメッセージに、活動している、いかしたメンバーが集まるチーム。

with the earthサロンの中では、毎日、理事がコラムを書くんだけど、僕もかきます。(何曜日だったかはわすれたw)

こちらはすこーしずつ育てる感じになるとおもう。まだまだ課題もたくさんあるし、いろんなものを手放し、再接続したときに大きく広がる気がする。

まあ、繰り返すけどメンバーは濃いから面白いと思います笑い

こんな時期に、自分のことだけじゃなく社会貢献とか考えちゃう人は、例外なく、純度高いよね😆

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