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はじめまして

はじめまして。

唐突にセンシティブな話だが
私は25歳で結婚、29歳で離婚をした。

私も元夫も、いわゆる"毒親"育ちで、元夫は仕事一筋の父親と繊細で完璧主義な専業主婦の母親の元に育ち、身体的な虐待も少なからずあったようだ。
私も似たように、家庭のことには無関心の仕事一筋の父親と完璧主義で承認欲求の強い母親の元に育ち、私は過干渉でいきすぎたコントロールを受けていたように思う。
「あの友達とは遊んではいけない」
「大きな街に遊びに行ってはいけない」
「あの高校に行かなくてはならない」
「就職先は、将来(結婚をして子供を産み育てること)を考えて事務職の方が良い」
実際に、中学時代は友達と遊びに行くことを禁じられ、遊びに出かけようとしたら髪を掴み引きずり戻された。
就職の時には、平日日勤の企業に勤めることを前提とするとやりたいものが定まらず(本当は飲食業界に進みたかった)、母親から勧められる"事務職"はどうしても気持ちが乗らずESの志望動機が書けず、悩んだ末に夜勤のあるサービス業を選んだ。母親に報告をすると「もう知りません、勝手にしてください。」と言う言葉を吐かれ、電話を切った後に一人で泣いた記憶がある。

そんな子供をコントロールしたがる母親の元で育った私は、何でもかんでも母親の理解や応援、励ましが欲しかったし、何より認めて欲しい気持ちが強かった。

そして、元夫と出会い、自分たちの育ちに共感する部分が多く、また繊細で承認欲求がお互いに強い為、盛り上がるのは至極当然なことであったように思う。
何でも母親に報告する私は、彼氏が出来たことを報告した。すると、すぐに上京し彼に会いにきた。
「私たちの田舎へ来る気持ちはありますか」
「家業を継ぐつもりはありますか」
付き合って間もないのにも関わらず、元夫を大層気に入った母親が彼に聞いた。
元夫は私との歳の差もあり、結婚するのであればと覚悟を決めたようだった。
そして、私は私の選んだ相手が母親に認められたんだととても嬉しく思ったのを覚えている。

そんな経緯でスピード婚に至ったが、私の実家と私たち夫婦、また、私たち夫婦の間での問題が多々あり、4年弱の結婚生活を終えた。

この結婚生活を通して、私の実家の異様さ、母娘の関係性、自分がACであり依存体質であること、たくさんのことに気がついた。
そして今、依存体質の原因である自分軸のなさや自己受容ができない部分を克服するために日々勉強をしている。
それらをまとめることで、学んだことや気がついたことを再認識すること。
また、同じようなことで悩んでいる人や辛い想いをしている人と、情報を共有したり励ましあえたらと思ったのが、発信していこうと思った経緯である。
少しでも誰かの目に留まり、読んでもらえたら、誰かの拠り所となれたら嬉しい。

まずは、自分のために強く、そして、素直になっていきたい。

最後に、私にとって生まれ育った家庭での経験も、元夫と結婚し離婚したことも、全て今の自分であるためになくてはならない経験だったと思う。
そう思うに至るまでに出会った人支えてくれた人たちには、本当に感謝している。
何も言わないけどそっとそばに居て見守ってくれる人に気が付けるようになれたことが、離婚してから一番ありがたく大切な気付きであったと思う。

長く纏まらない話ですが、そんな経緯と気持ちで、これから拙いながらも色んな話を発信していけたらと思います。

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