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〜真の場所〜 南インドより

(January 12, 2020のブログより引用)

現在、南インドのある街にいます。

それはサットサンに参加するため。去年参加したムージのサットサンの威力がすごすぎて、サットサンの波動にもう一度どっぷり浸かってみたくて…
ムージの愛弟子の元に現在滞在しています。

自分で決めているようで、実際のところ自分で決めれることは何もない。

エゴ(自分のアイデンティティ)は大いなる存在の中のちっぽけなマインドが支配する場所で、マインドは偉そうに「私が決めた」と主張します。

愛弟子のサンガはこじんまりしていて、参加者はインド人と時々西洋人がちらほら。そんな隠れた覚者のところに、宇宙は私を導いてくださいました。

インド初日から幸先の良いことが起こりました。

滞在先に到着した1時間後、何とムージもそこに到着されたのです。そしてその日の夜、ムージのシークレット・サットサンが行われました。

インドに来る直前の12月、引っ越しをしたり、風邪をひいたり、日々忙しすぎて「何でこんなに日々追われているんだろう?インド行きをもう少し遅らせれば良かった。」と後悔していました。
でも、ムージが現れた瞬間、何故こんなにも大急ぎにここに来なければいけなかったのか、わかったような気がしました。

ムージはこの夜のみサットサンをされ、次の目的地へと向かわれました。
ムージが愛弟子の自宅を訪れたのは8年前。
何という絶好のタイミングでここに来れたのだろう?
完全なる師の祝福!

(この日のサットサンの様子)

インドに初めて来たのは22歳の頃。霊的マスターと言われる方々にもお会いした事がありましたが、私に準備が整っていなかったのか何なのか、特にグルに盲目的に従おうと感じたことはありませんでした。そしてムージの事も何年も前から存在は知っていたけれど、特に気にかけていませんでしたし、時々Utubeを見ても、聞き流すように聞いていたように思います。
2年前ぐらい前のある日、ムージのビデオを見ていると、ムージのガイダンスがハートの奥底に響き、涙が止まらなくなったのです。
そのお呼びのサインを受け取り、サットサンに参加する流れとなったのです。
私は盲目的にムージを信望しているわけでもなく、「ムージに従う私」に酔いしれているわけでもありません。ただ、覚者のそばにいると、エゴの存在、エミという形を超えた本当の自分を思い出すのです。その時、私「エミ」は完全に消えます。
覚者のそばにいるだけで、色々な気づきや変化が起こり続けます。

愛弟子のサットサンに日々参加しているある女性は、サットサン中ずっと彼女のクンダリーニーが反応し、凄まじい勢いで、頭を小刻みに上下に振ったりぐるぐる回したりします。
彼女の動きを真似したら首の骨が折れるはずです。それだけに留まらず、腕をバキーンと伸ばして、美しいムドラの数々をこれも凄い勢いで次々と組んでいくのです。彼女の肉体は勝手に反応して様々な動きをするのです。

先日、愛弟子のサットサンでこんな質問をしました。

私:本当の自分がある時静寂を感じます。でも日常生活に戻ると、その静寂が消えるのはどうしてですか?

愛弟子:静寂を感じているのは「誰」ですか? それを明確にしなさい。私たちはすでに「大いなる存在」であり、静寂そのものである。故にその静寂が現れたり、消えたりすることはない。そういう風に感じさせるのは全てマインドの仕業である。
「マインド=エミというエゴの存在」が、「霊的修行」をし静寂を獲得する、という思い込み…
霊的修行をして、必死になって、勉強して、練習してその先に「悟り」というものを「獲得」するのではない。
大いなる存在は完全で無である。
リーラ(神の遊び)は、物質世界で肉体を通して起こり続ける。それらの活動はやって来ては、去って行く。それらの活動を自分だと思い込まない。
そこに気づくと、リーラに巻き込まれなくなる。例えば、気分を害することが起こったとしても、すぐにパーンと切り離せるようになる。いつも新しく、新鮮で居続けることができる。
『物質世界での利益や変化をサットサンから期待しないでください。
子供が遊びに来るような気分でサットサンに参加しなさい。ただ瞬間瞬間を、現れるものをただ楽しむのです。過去や未来、活動、原因や結果に全く縛られる事なく。
公園で子供はいちいち「私は十分に楽しんでる?」「効果が表れている?」「目的地に到着した?」など全く自分に質問したりしません。何にもすがりつこうとはしません。いつも新鮮で、オープンでいます。
このオープンさと新鮮さの中で、完全に自分が何者かを知ることができるのです。
真の場所では全ては完全に明確であり、何処が真の場所であるかも完全に明確であるのです。
しかし、頭を使って分析したり、概念化したりしようとすると、「遊び」ではなくなってしまうのです。』

by 愛弟子 2019年12月25日のサットサンより

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