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人生は繰り返されないが、韻は踏んでいる

来年の手帳を買って、今年1年の振り返りをしたり、来年の目標を立てたりする方も、そうでない方も。

私ごとですが、先日は住居であるシェアハウスで、住人のみなさんと一緒に1年の振り返りを行いました。

今年、取り組めたこと、続けることができたことなど、どのようにこの1年を過ごしてきたのか。
何をがんばり、何を大切にして日々を重ねてきたのか。

そのようなお話を聴かせていただくだけでも、とても有意義で考えさせられる時間でした。

今回は、そうした1年の振り返りや、目標を設定するうえで参考になるかもしれない「節目を設ける」のお話です。

1年を振り返り目標を立てるのが、なぜ年末年始なのか

1年の振り返りや来年の目標を立てるなど、特にそういうのはやらない人でも、「今年もあっという間に終わっちゃったな〜」「来年は、あんな年にしたいな」「来年こそは◯◯に行きたいな、アレをやりたいな」などと、ぼんやりと思うことはあるかもしれません。

そして、そのタイミングが1年の終わりと始まりの年末年始だ、という人は結構いらっしゃるのではと思います。

そうであってもなくても、あるいは3月〜4月の年度末・年度初めだったり、節分や春節(旧正月)だったり、春分だったり、ご自身の誕生日だったりと、年末年始に限らず様々な節目があることでしょう。

もしも、私たちが時計もカレンダーも持たずに暮らしていたら、上記に書いたような節目も、年の終わりと始まりいう節目の違いもわからないまま、日々を過ごしていたかもしれません。

仮に、時計もカレンダーもない、スマホもテレビもない、新年を祝う人も誰もいない、たとえば無人島などで、12月31日〜1月1日を1人で過ごしていたら?

私なら、きっと年末年始の違いなど全く気づかず、いつもの1日の終わりと始まりだと思って、変わらない日々を過ごしてしまう気がします。

何が言いたいかというと、暦は人間が社会生活を送るようになってから、便宜上設定した節目だということ。

実は、1年の終わりと始まりを区切るものは、はじめは存在しなかったのです。

だけど、人は1年の切り替わりを、太陽や月や地球の運行から定めました。

私の推察ですが、人間は文明社会が発達するにつれ、あるいは寿命が伸びるにつれ、節目が必要になったのだろうと思っています。

節目は呼吸。韻を踏むためにある

年の終わりと始まり。
年度の終わりと始まり。
二至二分(春分・夏至・秋分・冬至)。

人は自然の営みなどからヒントを得て、変わらぬ日々の繰り返しの中に節目を設けました。

そして、なんの疑いもなく、私たちは遥か先人たちが決めた節目にのっとって、お祝いをしたり、日々を振り返ったり、新しい計画や目標を立てたりしています。

私たちは一生のどこかで、立ち止まって過去の歩みを振り返り、未来の試みを計画することが必要になりました。

それはきっと、人生の呼吸。
息継ぎであり、韻を踏むようなものなのでしょう。

節目を設ける役割を果たしているのは、暦だけではありません。
占いも、それを担っているところがあります。

最近、私が聞いて面白いな〜と思ったのは、五星三心占いで有名なゲッターズ飯田さんのお話でした。

「来年の運勢は、今年の10〜12月の過ごし方でわかる」のだそうで。

ちょうど、私の誕生日が10月ということもあってか、誕生月から年末までの過ごし方で、翌年の運勢がわかるというのは、節目として意識しやすく、採用しやすいと感じました。

歴史は繰り返さないが、韻を踏む

全く同じではないが、似たようなことはよく起きる、という意味で「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という言葉があります。

「トム・ソーヤーの冒険」で有名なアメリカの作家マーク・トウェインの言葉だそう。

私は、世界や社会の歴史だけでなく、人間にもこれが当てはまると考えています。

さしずめ「人生は繰り返さないが、韻を踏む」といったところでしょうか。

それを裏づけるのが、占星術、タロットカード、数秘術、マヤ暦などの占いの存在だと、私は考えます。

太陽暦、太陰暦などの暦もそうですが、占いが発達したのは、未知なる未来の流れを予測し、見極めるために生み出されたのだろうなと。

私たちの社会の流れ・人生の流れが、どの周期、リズムで韻を踏んでいるのか。過去の情報をなにかに照らし合わせる手段として、占術が発達したのだと思うんですよね。韻を踏む流れが未来に見えたら、予め備えも可能ですから。

人生で同じ出来事は繰り返されないが、韻は踏んでいる

当然なのですが、用いる占術によって、あるいは暦によって、時間の区切りかたが変わり、節目が変わります。

ハッキリ言って、どこをどう切り取ったとしても、バーナム効果と言いますか、なんとなく自分に当てはまっているような気がするかもしれません。

それでも、占いがインチキだとは思わないんですよね。極論、占いがインチキならば、暦もまがい物であると言っちゃっていいと思うくらい。

どの占いが優れているとか劣っているとかではなく、正しい間違いでもありません。

どの時間の区切りかた、節目のつけかたが、自分の人生の呼吸に合っているか。節目として共感できるか。

それを見つけるのが、占いの、あるいは1年の節目をつける暦の面白いところだと思います。

人生の韻を踏むのに、いい塩梅の区切りを見つけることができたら、新しい視点でご自身の人生を眺めることができるのではないでしょうか。

運命の流れに上手く乗る人は、人生の呼吸のリズム、韻を踏むリズムをつかむ人なのかもしれません。

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