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境界線と宗教

こんばんは、ジョティです!
先日、家のインターネットが使えなくなった上に
スマホまで実は調子悪かったことが発覚(家でWi-Fi使ってたから気づかなかったw)し、
しばらく世間と断絶しておりました!(おおげさ)

昨日から復旧して無事こうやって書ける喜びを感じています。

さて、今日は、心の境界線と宗教について書いてみようと思います。

何だろう、このホワホワした植物。誰かご存じないですか?


宗教が境界線の形成に影響する


境界線の話をしようと思ったら、
避けては通れないのが、この話。

なぜこの記事を書こうかと思ったのかというと、
私が今まで関わってきたクライエントさんの中で、

宗教に深く関わっている人
もしくは、
親や養育者が宗教に深く関わっている人

の多くが、
境界線についての葛藤を抱えていらっしゃいました。

そして私もその一人でした。

もちろん全ての宗教がそうだとは思っていませんし、
全ての人がそうだとは限らないと思います。

ですが、私自身のプロセスを含め、
少なくとも深いところで関係していると感じました。

特に、
宗教の教えの中に登場する
<他者との関わり方>にまつわるもの

つまり人を大切にするという質のものが

勘違いされていたり、
適切なタイミングでなかったり、
間違って解釈されたことで、

内なる子供がとても傷ついてしまっているということでした。

さらに、

とても傷ついた状態にいながら、
それが良いことなんだと認められたりして、
その人の一部のようになっていくことで

苦しみとセットで人に奉仕したり、
それが喜びだと思い込ませていたりしていて

二重苦、三重苦、苦しみの連鎖が起こっている

そんな感じを受け取ってきました。

わたし自身、母親の仕事にまつわる宗教と、
祖父母の宗教からくる影響は大きく、
それが幼少期の私を傷つけたり、
不適切な状態を肯定するような勘違いが起こったりしていました。

その時は、何が起こってるのか
全然わかりませんでした。

ただ、
・得体の知れない苦しさ
・自分を鏡で見た時の目の奥の怖さ
・必死に押さえつけていないと、自我が保てない感じ
・頭を麻痺させて自分を切り捨てているような感じ

こんなことを感じてたように思います。
これは30過ぎて、自我のトレーニングを始めてからの話なので、
それまでは、アイデンティティそのものが、傷ついた状態と同一化していて
自覚がなかったかも知れません。

そして、関係性について学び、
そして成長の過程で境界線を持ちたいと切望した時、
私の内側に現れた感情がありました。

それは、強烈な罪悪感でした。

長くなってきたので、
続きは明日書くことにします。

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