3歳のいーちゃんへ

インナーチャイルドへの手紙。

幼いわたしがいーちゃん。今現在のわたしが、3歳の私に向けて書いた手紙。

どこまでが本当かわからないけど、今日思い出した限りでは、
本当にいろいろなことがあって、
3歳のいーちゃんはとっても我慢してきたんだよね。偉かったね。

お母さんには本当はもっと甘えたかったんじゃないかな?
ちょっと振り返ってみようね。

いーちゃんが大きくなって結婚して、旦那さんに求めていたことが、
3歳のいーちゃんがお母さんに求めていたことだと思うんだ。

あの時、旦那さんになんて言ってた?どうしてほしかった?

覚えているよね。

私のことを世界で一番好きで大事だよって言って欲しかったよね。

世界中の誰を敵にまわしても、お前の味方だって言わなくちゃダメだって、旦那さんにそう、泣きながら言い続けていたよね。

それ、3歳のいーちゃんはそのまま、お母さんに言いたかったよね。

それにね、私もお母さんの味方だよって言いたかった。

お母さんの力になりたかった。
でも3歳のいーちゃんは未熟すぎて、何の力もなくて、何もできなかった。

コップの水を持って行ってお母さんに歯磨きしてってお願いに行っても、「お母さん」て話しかけても、お母さんは1人で頭を抱えていて、いーちゃんのこと、見てもくれなかったよね。ひょっとしたら何か傷つくことを言われたかも知れない。覚えてないけど、悲しくて、寂しかったね。

だからいーちゃんは、1人で安全なところにいようと思ったし、1人で静かにしてるしかなかったよね。話しかけてもお母さんは返事ができないから、そうするしかなかった。

お母さんはどうしたらいつものお母さんに戻ってくれるのかなあ。
お母さんが元気がないのは私のせいなのかなあ。

そんなふうに考えていたよね。

いーちゃんは本当は、お母さんともっと遊びたかったし、自分だけみていてほしかったよね。2人きりで遊んでいる時のお母さんが大好きだった。

いつもその大好きな時間が欲しかった。大きくなってお姉ちゃんになっても抱っこして欲しかったし、甘えたかった。それがダメなら、いーちゃんはいい子だねって頭を撫でて欲しかった。そう、甘えられなくても、頭を撫でてもらえればそれで良かった。わたしが何をしていても怒らないで、否定しないで、認めてくれて、褒めてもらえればそれで満足だった。むしろそれが欲しかった。
出来れば一緒に歌ったり、絵を描いたり、いーちゃんの大事なものを一緒に見て、喜んでほしかった。

お母さんの時間の全てがほしかった。きっとお母さんもそうしたかったと思うよ。でも、お母さんにとっていーちゃんは初めての子だから、いーちゃんのためにいいお母さんにならなきゃって、頭の中は、いつもネバベキでいっぱいだったんだろうね。それがいーちゃんには、自分を見てないように感じて、寂し意図感じる時もあった。だから余計に、いい子になって褒めてもらうように、気を引きたくて一生懸命になった。

あのね、大丈夫。お母さんもいっぱい後悔してるし、ごめんねって思ってるよ。大好きで可愛いいーちゃんに話しかけられてもお返事もできないくらい、いーちゃんのこと、真剣に考えてたんだよ。お母さんもどうしていいのかわからなかったみたいで、1人で悩むしかなかったんだよ。自分のことを責めていたのかも知れない。
いーちゃんが生まれた時は、世界で一番可愛いくて、いーちゃんが世界で一番大切だったよ。いーちゃんの存在が新鮮で、驚きの連続で、でもわからないこともたくさんあったんだって。毎日楽しかったけど、不安でもあったみたい。ちゃんとしなきゃ、この子のために、自分のことは後においてもこの子を優先しなくちゃって思ってたし、お母さんおお母さんからもそう言われてたんじゃないかな。あの時代はそれが正しい母親像だったと思う。

だからいーちゃんの気持ちを知ったら、きっとごめん、て言うよ。お母さんね、いーちゃんが高校生になってから、謝ってくれたことあったよね。いーちゃんはお腹がぽっこり出てるのが悩みで、それはお母さんが小さい頃にちゃんと引っ込めるように腹巻きしてくれなかったからだって、理不尽なことで責めたら、ごめん、って言ってくれたよね。だからね、何の関係もないようなことでもそうやってね、謝ってしまうんだよ、可哀想だと思ってね。ちゃんと愛されていたから、大丈夫なんだよ。だからわたしは愛されないとか、わたしだけどうして、って寂しがって泣かないでね。愛されていたことを信じて欲しいの。いーちゃん、思い出して。

いーちゃんが2人目の赤ちゃんを産んだ時、里帰り出産したでしょう。
病院にお見舞いに来たお母さん、いーちゃんに言ったよね。
「親なんだから、自分のことは差し置いても子供優先にしなくちゃいけないね」って。
27歳のいーちゃんは、それがもやもやしたよね。
言ってることは分かるから言い返せなかったけど、本当はこう言いたかったよね。「生まれた赤ちゃんは私が見るから、お母さんは私のこと見てよ」って。「赤ちゃんより、私のこともっと見て」って。
小さい頃もっと見てほしかったし、妹ができた時にきっと同じこと、思ったよね。お母さんには、いーちゃんのことだけ見てほしかったのに、ちゃんとしなきゃって、お母さんの求めるいい子にならなきゃって思ってそうは言えなかったから、妹に優しくしたくてもできなかったのは、いーちゃんがまだまだ甘えたかったのに、妹が出来てからもっと我慢することが増えたからなんだよね。でもお母さんに喜んで欲しくて、褒めて欲しくて、好かれたくて、それにはお母さんの求めるいーちゃんでいなくちゃいけなかったから、甘えたい気持ち押さえてた。でも本当はいーちゃんは本当の気持ちを言っても、甘えたことを言っても、出来ないことがあってもお、いーちゃんはいい子だね、って言って欲しかった。
いいお姉ちゃんになりたい、いい子になりたい、のも本当だけど、本当はどんないーちゃんでもそれでいいよって言って欲しかったよね。それが出来ないから、妹なんて可愛いと思えなかった。だって偽物のいーちゃんじゃないと褒められないし、新しい赤ちゃん、自分より何も出来ない存在がいるせいで、いーちゃんは我慢することが増えた。だから憎たらしかった。思い出そうとしても思い出せないくらい、本音に蓋をして押さえ込んでしまった。理屈はわからないけど妹へ対する憎しみをずっと感じていたのはそのせいかも知れないって思うよ。
そうしていいお姉ちゃんになる訓練は積んできたから、今でもこの野郎と思う人がいても、笑顔で模範行動する優等生でいられるのはそのせい。それだけその頃、そうとういーちゃんは頑張ってた。

褒められればいいんだけど、褒められない、認められない気持ちだけが大きくなっていったよね。お母さんの求めるいーちゃんでいられない時は、出来ない自分がダメだと思い込んで。
だからいーちゃんにとっていいお姉ちゃんでいることは、自分を抑えることなんだよね。それはお母さんのために頑張ってしていたことだったから、自分を殺していたから、本当はだいぶ辛かったよね。お母さんのためが自分のためだった。でもそれをうまく言葉にできないし、自分を殺すことはその時自分にとっては当たり前すぎることで、そんなに我慢してるなんて思わなかったし、頑張ってるなんて思ってなかったし、求められている限りこなしていかなくちゃいけないって思ってたよね。

まだ3歳で、そこまで我慢してたんだね。自分を殺して自分を出さないことがこの世の平和で理想郷だと思い込んで生きてきた。それがいーちゃんの世界の全てだった。

でも、どうして妹を可愛いと思えなかったんだろうね。
本当にいいお姉ちゃんでいる自分に納得していたら、それで満足していたはずだよね。
納得してなかったから、不満なまま。満たされてないから、自分より弱い存在だからって優しくなんて出来ない。理屈じゃない。妹なんて、赤ちゃんなんて、3歳のいーちゃんにとって邪魔でしかなかった。

でもそれは言っちゃいけないことだから、自分の本音を殺している方がお母さんが、世界が喜ぶことだから、そうして来た。

ずっと許せない存在だったよね。いーちゃんは頑張ってお姉さんになったのに、妹は何もしなくても抱っこされて甘えて、いつでも優先してもらってた。いーちゃんは頑張らないと褒めてもらえないのに、妹はただいるだけで愛されてた。認められてた。それを目の前で見てたし、肌で感じた。なんで?って思ったけど、うまく言葉にできなかった。だってまだ3歳で、こんなこと言っていいのかなって肌で感じてたし、言うとお母さんに褒めてもらえなくなるみたいだったし、いつもお姉ちゃんなんだからって言われて、そうしなくちゃいけないみたいな世界だったから。だから自分が愛される行動をする方に必死になった。そうしないと自分は認めてもらえないから。生きている価値がないくらいだったよ、お母さんのためにならない自分なんて。誰かに認めてもらえない自分は価値がないって思って落ち込んでしまうのは、この頃の思い込みかもしれないよね。

いーちゃんはいつの間にか、理想が高い頑張り屋さんになった。
それ、すごく素敵なことだよ。
だって誰かのために自分が変わろうなんて、なかなかできることじゃないよ。本当に心から愛している人のためならなんだってできるし、やれる力を持っているってことだよ。
3歳でお母さんのためにわたし変わろうって思ってそうして来たんだから。

でもね、本当は苦しかったから、これからは自分のために生きていいよ。
それは変われない自分の足りないところを埋めようとするやり方じゃなくていいの。
今まで足りないと思ってたくさんのこと、して来たよね。いっぱいお金をかけたし、人も頼った。
全部、誰かの求める自分になるためで、認めてもらうためだった。そのままでいいのに、既に愛されているのに愛されたい、もっと何かをしてあげないと愛されない、と思っていたから。

これだけの時間とお金をかけるくらい、真剣に自分の人生に向き合おうとしてきた。今度はそこで培ったもので、本当に人が求めていることをしてあげたらいいよ。

お母さんは、いい子になろうとすることを喜んでいたけど、いーちゃんはわがままな本当のわたしを見て欲しかったよね。
生命力のままに生きたかったよね。やりたいことをやりたいって叫びたいし、お母さんからは愛されていたってわかったんだから、もうそうしても大丈夫。

本当のわたしを間違えないで出していく方法を考えようね。
それには、コップの水を差し出すことじゃないかも知れないよね。
人によって、喜ぶことって違うから。
コップの中身が水じゃなくてジュースがいいって人もいるし、コップだけが欲しい人もいる。
そこにいてくれるだけでいいのかも知れないし。
話を聞いて欲しいだけかも知れない。

50年近く、誰かの求める自分で生きて来たから、本当に自分が何を求めているのか、本当はどうしたいのかすっかりわからなくなっちゃった。いい子を演じすぎたね。わたしはここにずっといたのに、迷子になってた。
そうして生きてきてわかったことは、

いーちゃんは誰かのために全力になれる人ってこと。
そこには間違いなく、「あなたが好き」って気持ちが原動力になってる。
お母さんが大好きだから、人生をかけてお母さんの求めるいーちゃんでいたかったように、好きな人、自分が助けたいと思った人のために全力になれる人なの。それだけで幸せを感じられる。でもそれは、無償の愛を届けたいと思った人にだけでいいよ。

それでね、我慢はしなくていいよ。自分を抑えていい子ちゃんになるのは辛いから、それはしなくていい。
本当はどうしたいの?っていつも自分に聞いてあげることと、自分に嘘つかないことだよ。
好きだから何かしてあげたい。
でも本当は、いるだけでいい。
存在自体が愛されていたから。
自分が何も役に立たないなんて思わないでいい。

それはいいけど、本当に相手が喜んでくれることをしないと、一方通行で辛くなってくるよ。求めても求めても得られないから、いつも追いかけていることになる。それって辛いよね。
いーちゃんは本当はね、自分で思ってるより愛されていたよ。
だから落ち込んでいるお母さんのために何もできなくても、それでよかったんだよ。
いーちゃんはいーちゃんのままでよかったんだよ。空気読んで静かにしてなくても、お外で1人で遊ばなくても、お母さんに抱っこしてって言ってもよかったんだよ。お母さんに抱っこしてもらって、大好きって言うだけで良かったよ。大好きって言葉が当たり前すぎて出て来なかっただろうから、抱っこされてね、お顔すりすりして甘えるだけでも良かったんだよ。時々機嫌悪くなっても、気分のムラはあってもお母さんはいーちゃんの存在に癒されていたよ。

いーちゃんが自分の子供たちに癒されていたのと同じだよ。生まれた子供たちは無条件で可愛かったよね。お兄ちゃんが優勝するためになんでもしてあげたいって思ったよね。下の子は、女の子だから可愛い服たくさん着せてあげて、身につけるものは苦労しないようにとか、お小遣いたくさんあげようとか、あなたは可愛いってことをたくさん教えてあげたよね。

いつでも愛する人のために何かをしようとしてきたよね。それが喜びだった。でもね本当はね、いーちゃんが心から笑って元気でいるだけで、それが何より大切な人たちへのプレゼントだってこと、分かるかな。大好きな人の前で、あなたが大好きですっていう在り方だけでいい。本当に、それ以上のものはいらないよ。気心知れている関係なら尚更、本当にそれ以外いらないの。
心も体も健康で、自分のことをもっと考えてあげていい。自分の心と体を大切にしてね。いーちゃんの心と体は、いーちゃんが大切にするために生まれてきたんだよ。自分を好きでいてね。愛される価値なんて最初からあって、それはお父さんとお母さんの所に生まれてくる前から自分で決めてきていたんだよ。だからいーちゃんは、愛されて当然なんだ。本当はそのままで大丈夫なの。

お母さんは、生まれてきた時にいーちゃんのこと、驚いたし、可愛かったし、大切だって思ってたんだよ。すごく幸せだったよ。それっていーちゃんの存在自体が喜びだってことだよね。人はそこが原点、誰だって。いーちゃんも、いーちゃんのお母さんもそうだよ。

生まれたあとはお姉ちゃんにならなきゃいけないって思うことが多くて、それがちょっと辛かったね。いつでもいい子じゃないといけないって思ってしまって、そうじゃないと認めてもらえないって思って、それが辛かったね。

迷ってもいいよ。何が本当に欲しいものなのか、本当にこれだと思えるものに出会える日が来るから。

今、お金で苦労してきているのは自分がわからなくて迷ってしまって、足りないことにばかり目を向けて来たからだよね。
それって、いーちゃんがお母さんの力になりたいのになれなかった後悔があるから。
いつも自分はこのままじゃいけないって自分に課してきたから。お母さんの求める私じゃないといけないって思ってきたから。
完璧主義を選んできたよね。それは向上心の表れでもあるんだ。

でも頑張りすぎると疲れちゃって力が出なくなっちゃうから、自分を大切にしてほしいよ。そろそろ自分を大切にしたいって気づき始めているから、できるよね。
好きな人は、うんと大事にして、その人と同じくらい、自分のことも大事にしてあげて欲しいよ。

いーちゃん、お母さんはね、いーちゃんのこと大好きだって!いてくれるだけで良かったって。たくさんこうすれば良かったのに、とかああすれば良かったのに、って言うのも、お母さんが自分んでできなかったことをしてほしかったからだよ。お母さんはそれくらい、自分の人生でも寂しい思いや悔しい思いをしてきてる。だからいーちゃんにはそうなって欲しくなかったんだよね。その思いが強くて、そういうの。それだけ愛されている、大事に思ってくれてるってことだよ。

ねえいーちゃん、もういいかな?時々、泣きたくなったら泣いていいよ。
自分の気持ち、わからない?そうしたら、また日記を書けばいいよ。
否定されたり認められないって言うことが辛いのは当たり前だよ。
だってそれっていーちゃんが生きるために必死で避けて来たことだから。そんな人はもう現れない。そう言う人がいたってそう感じさせる自分を見せてくれているだけだよ。
そう思ったら、まだ自分はこういう思いがあるんだな、思い癖だなって思えばいいよ。

これからは前を向いていこうね。
過去にひきづられそうになったら思い出して、また泣けばいいよ。

どんなことをしても誰といても
この身はあなたと共にある

わたしの心の中にあなたがいる
いついかなる時も。

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