兼近大樹「むき出し」ー理解するのに共感はいらない

EXITファンで普通の人生を生きてきた私の感想文です。1〜3は大きなネタバレありませんが、4はネタバレどころか引用しまくりなので、お気を付け下さい。

1.共感なき理解の体験

私は長いこと、共感=理解だと考えていたように思う。
「自分がやられて嫌なことは人にしてはいけない」
「この映画はきっと、誰でもどれかのキャラクターに共感できるはず」
「痴漢は、被害者の女性にも自分のような父親がいると想像できないのか」
こういった言葉に囲まれて生きてきた。

この考えの先にあるのは、共感できないものは理解できないということ。
若い頃はそれでいいと思っていたし、理解できないで終わっても何も問題なかった。共感も理解もできない人とは、自然と疎遠になったし、そうでなければ友達をやめればよかった。

ただ、成長してアルバイトや就職を通じてさまざまな人間関係の中に放り出されると、共感も理解もできない人から簡単に逃げられないことに気付く。また、自分の身の回りのほか社会問題などに興味が出てくると、理解のために共感に訴えるのは何か違うような気持ちもしてきた。
こうした背景もあり、この本を読んで一番強く感じたのが、「共感できなくても理解できるんだ!」という発見だった。

私はEXITのファンだし、兼近さんのファンだ。
この本の発売を本当に心待ちにしていた。
それでも、ほんの少し、読むのが怖い気持ちがあった。
彼の過去は文春報道でも出ていたし、雑誌CUTやTOKYODOTでも垣間見えてはいたが、小説という形でより詳細に言葉を尽くして表現された彼のストーリーが自分にとってとうてい共感できないものだったら、理解できないものだったら、嫌悪感を抱くだけのものだったら、どうしようと思っていた。

蓋を開けてみれば、読み終えた今でも彼のことが好きだし、何ならもっと好きになってしまった。

危惧していたとおり、共感できることは少なかった。
私は、同級生と比べるとあの子の家よりは裕福でないけどあの子の家よりは余裕がありそうだという平均的な家庭に生まれ、常識はずれの人に出会うまでは常識を意識したことがなかったくらい普通の中を生きてきたので、主人公の石山の境遇、ものの考え方、やっていること、動機について、「私もそうだ」と思うことはあまりなかった。

それにもかかわらず、石山のことが不思議と理解できた。
こういう家庭に生まれ、こういう言葉の中で育ち、こういう経験をしているからこうなっていくんだと、理解をもって読み進めることができた。
これは前述のとおり共感=理解だと思っていた私にとって、初めての感覚だった。

共感なくして理解できた最大の要因は、この本において石山のすべてがむき出しに描かれているからこそ、彼のことを「知る」ことが出来て、理解につながったのだと思う。
「共感できる」ということは「知っている」ということなのだ。少ない表現でも、自分の経験から補完することが出来る。だから「共感できる」時点で「ある程度知っている」ので「理解がたやすい」のだ。

知らないことを理解するのは難しい。自分にその引き出しが無いから、分からない。分からないのはストレスだ。
今まで私は、理解できないものは自分の人生に必要ないと思い、切り捨ててきた。理解できる誰かのものだと思っていた。
でも、「むき出し」を読んで、理解するためには、知ろうとすればよいだけなのだと知った。興味を持って、目を凝らしてみればよいだけなのだと。

今の私は、前よりも多くのことを理解する術を知っている。
そして多くのことを理解しようという気持ちになっている。
兼近さんはTOKYODOTで叶えたい夢として「優しい人をふやす」と挙げたが、この本でひとり、やさしくなれるかもしれない人が増えましたと伝えたい。

2.届かないラジオの金言

作中ではときおり時空がねじれ、芸人になって成功した石山と相方の中島さんのラジオが流れる。
主に、石山少年が辛い思いをしている時、今の自分ならこう言葉をかけるだろうという内容になっていて、確かにその場面にぴったりなのだけど、その言葉は一貫して石山少年には届かず、BGMと化している。兼近さん自身、成功した今の自分が当時の自分にアドバイスをしたとしても、聞き入れられることはないと考えているのだろう。

思えば、兼近さんは貧困や教育、少年犯罪について強い問題意識を持っているが、渦中の当事者に何かをしたいというよりも、その周囲の人に当事者の境遇や思考を分かってもらって、身近な人から声を掛けてほしいと発信し続けている。

直接当事者と関わる救い方を否定するわけではないが、かつての自分を振り返った結果の解決方法が「知っている人を増やすことで当事者を救う」なのが、興味深かった。
そういう意味でも、この本が私のような人間にとって共感できずとも理解に繋がるものになっていることが、ひとつの成果のように感じる。

3.罪とは?法が裁くか人が裁くか

このテーマは本書を読んで強く感じたが、私の中で結論がついておらず、思ったことを書き連ねるだけになる。

本書を読んで事前の想像と大きく異なったのが、罪の捉え方だった。
私はこの本で主に描かれるのは前科となった売春防止法違反のことかと思っていたが、本書のメッセージはそれはむしろ重要ではなく、法に裁かれない沢山の罪をむき出しにして、それを背負って生きていくということだった。
兼近さんは犯罪に関する話題に触れるとき、必ず「一生背負うべきもの」と話していて、それは「法律違反」に関してだと思っていたが、この本を読んで、結果が法律違反でなくとも背負うべき罪があり、それも含めているのだと思った。

とすると、本の中で石山青年も混乱していたが、法律って何だろう?となってくる。
国家は人が人を裁く危うさを懸念して法が人を裁くことを選択しているが、法をすり抜ける罪もあれば、法に従って罪を償い前科が消えても人に裁かれることもあるし、罪を犯していなくても人に裁かれることもある。
報道が出た石山に寄せられた心ない言葉たちは人が人を裁いたものに他ならないが、この人たちの言葉は果たして罪にはならないのか?
考えれば考えるほど分からなくなってくる。

今漠然と思っている解決策は、「人が人を裁くべきでないと理解しながら人が裁く」ということだが、まるで人に説明出来る気がしない。
少なくとも、罪=法律違反としている限りは、他人を勝手に裁いたもん勝ちの世の中が続くような気がしていて、そんな世の中を生きて行くのは嫌だなぁと思う。

4.好きなシーンや一文について(ネタバレしまくり)

ここからは、ひたすら好きなシーンや一文についてネチネチ語る。引用もするし、ネタバレしかないので、未読の方は読まない方がいいです。
あと、ひとさまのお気に入りシーンとかも知りたいので、コメントで教えて下さったらうれしいです。

冬は、屋根から落ちる雪が入り込むせいで、靴はうさぎみたいになる。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕9頁)

少年期の始まりのこの一文、子ども目線なのでシンプルなんだけど「うさぎみたい」っていう表現がかわいくてリアルですごい好き。どんな風になってるのか目に浮かぶ。

洗濯機が壊れてるせいで洗濯物がいっぱいたまってて、その上で寝てるネズミをビビらせるつもりだったけど動かない。
「死んでんのか……」
ムカムカする。なんでだ。なんでなんだ。ネズミのせいじゃないのはわかる。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕22頁)

石山少年の散々な一日の締めくくりがこれで、何もかも思い通りにならないままならさへのいら立ちと、それでもネズミのせいじゃないことは分かる賢さが悲しい。

結婚したから子供が生まれた。子供が生まれたら貧乏になる。貧乏になったら死ぬんだ。貧乏なのは、おれらが生まれたから。
死ななきゃいけないのはおれらのせいじゃん。だから結婚ってものはダメなんだね。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕40頁)

石山少年なりに考えてたどり着いた結論が悲しい。でも彼の境遇ならこう考えてしまうことは分かる。
いまだに「結婚しない」と公言している兼近さんと重ねてしまうけど、結婚した知り合いたちが20年後でも幸せな姿を見てようやく「結婚してもよかったかもな」と思うのかもしれないな。

当然だけど、学校でうんこは、出来ない。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕43頁)

分かりみ。

2人で歩く家までの道のりは、めんどくさいけど、頭の中がじわじわしてきて、胸がトロける。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕56頁)

石山少年が母が働くスナックに遊びに行った帰りの一文。
このシーン一連を読みながら、なぜかめちゃくちゃ泣いてしまった。
10歳そこらの息子がスナックで歌ってお金を稼ぐことも、母親の給料を預かることも、深夜に母子が出歩いていることも、信号が赤になってもふざけ続けることも、普通ではない。普通ではないのに、そこには確かに幸せがあって、見たことのない幸せの形に感動したのかも。

勉強も出来ないし、運動だって出来ない。
でも気づいちゃだめだ。
鈍感じゃないと狂ってしまう。だから不幸に気づかないフリをして、俺には特別な何かがあると信じて、俺はスゲェんだって、大樹のように逞しく生きていくしかない。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕84頁)

プロ野球を目指していた小学校時代から中学に進み、人間関係に悩んだり自分の将来に悩んだりしていた石山少年が、祖父の死を通じて内省する。
兼近さんがアベプラで反出生主義に触れたときに言っていたこと(生きている以上ほかの命を犠牲にしていて、それを知りながら気づかないふりをして生きていくしかない)がふと思い出された。

観客席には、チームメイトの親が何人かきていて、皆で楽しそうに観戦している。
誰かに何かを見てもらうこと、これもまた最後になるんだろうな。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕104頁)

中学最後の野球の試合、皆にとってこのチームは最後だけど、中卒で働くとひとり意思を固める石山少年にとっては別の最後も上乗せになっている。誰かに何かを見てもらうことを覚悟をもって諦めることって、無いよなぁ。いつの間にかそういう機会って無くなったなと思うくらいで。
それを覚悟してしまうくらい、石山少年は中学卒業後の孤独を予感していて、事実そうなってしまうこともつらい。
親に見てほしいという気持ちは小学生の頃に尽きたのだろうと察せられるのも切ない。

俺は、今日あった嫌なこと、楽しかったこと、自分の身に起きたこと、何一つ誰かと共有することが出来ない。分かり合える人が側にいない。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕125頁)

予感していた孤独を実感する石山少年。物理的に話す相手はいても、心を開ける人がいない。家族はまた違う。
このあたりになってくると、自分よりも貧困の人や孤独な人も出てきて、自分より裕福な人を羨む苦しみに加え、自分より苦しい人がいるのにという葛藤がみられ、よりつらい。

足の悪いお母さんの助けになりながらも、ヤンキーぶって生きている若者が主人公の物語があった。
助けられながら笑って生きる、心優しい主婦が主人公の物語もあった。
そこへ現れた悪者が、理不尽な暴力で破壊活動。
何が正義だ?何がヒーローだ?
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕160頁)

正義は自分にあると思って暴力を振るってきた石山少年の視点がグルンと変わった瞬間。自分の方が悪者なんだとようやく痛感する心境が、あまりにもわかりやすい。
TOKYODOTの対談でも語られていたので心の準備は出来ていたし、どこまでがリアルでどこからが脚色か分からないが、彼の考えが変わった瞬間が想像と違っていてビックリした。謝罪で訪れた相手の境遇が自分と似ていることで共感して反省したのだと思っていたが、相手を知ることで相手には相手の人生があると理解したのがきっかけだったとは。

この時間は(中略)といった出会い系サイトを使い、女の子のフリをして作ったアカウントで次の客を探してあげるのだが、もう朝方3時。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕172頁)

以前、文春報道から実際にどの条文違反になったのか考えたけれど分からなかったが、これを読んで何となく、第十条なのかな?と思った。

第十条 売春をさせる契約
人に売春をさせることを内容とする契約をした者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。
2 前項の未遂罪は、罰する。

勝手に悩んで勝手にスッキリしました。

俺の思い出は、都合よく書き換えられている可能性がある。
全て過去の映像として残されていない。
1秒前の思い出は、事実ではなく、不確かな記憶の一部でしかないんだ。
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕212頁)

留置場で同室のおじさんもいなくなり、独り人生を振り返る20歳になった石山青年。(ここまでの人生の濃さでまだ20歳なのか…)
今になって自分が酷くいじめた少女のことを思い出し、自分の記憶を疑う。
数少ない私が共感した場面のひとつがここで、石山青年が法で裁かれない自分の罪を振り返っている時、自分はどうだったかな…と一緒に思い返し、小学生の時に自分の動作がきっかけで友達の歯を折ってしまったことを久しぶりに思い出した。その子とは大人になってからも会っていたのに、すっかり忘れていた。
何か自分ではありえないことをしている人を見たとき、反射的に拒絶するのではなく、本当に自分はしたことがないか?といったん考えられる人間になりたいと思った。

「そんなバカな!それで起訴できるんですか!?弁護士をつけて!怖い!検事さぁーん!わかんない!べんごしぃーーー!」
「すまんけど、全国指名手配してるから犯人が捕まるまで待ってくれ。すぐ出すから!」
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕232頁)

こちらも私の勝手にスッキリシーンなのですが…
文春報道の後にファンになったので当時の報道について調べていた時、窃盗罪の方を兼近さん本人は記事中で否定したものの、10日近くも勾留されて不起訴はありえない、というような言説を見かけて、確かになぁと不思議に思っていたので、この部分を読んでなるほどな~と思ったという。
あと、この窃盗罪で逮捕された時の新聞記事が未だにネットで出回っており、本で言及してくれるといいなと思っていたので、良かった。

「(前略)俺はお前の過去も背負うよ」
(兼近大樹『むき出し』〔文藝春秋、初版、2021年〕251頁)

(言葉にならない)

5.最後に

この本を読んで不思議だったのが、全体的には重苦しい内容だと思うのだが、読んでいてずーっと、強いパワーというか…生命力みたいなものを感じたことだ。
ふと本を閉じ、表紙の「兼近大樹」の文字の下にある太陽のようなものを見つめる。
感じたのはきっと、兼近さんのパワーなのだ。そのパワーがいったい何なのか、今の私には分からない。分からないから、知りたいと思う。
知りたいからこれからも彼を追い続けようと思うが、ずっと分からないままでもいいや。

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