健康に兼近を推すために:認知のゆがみを学ぶ

あまりにも長くなったので最初に概要を。
兼近を追う以上、彼が誤解されることに心を痛める場面がたびたび訪れるので、「時間が経つのを待つ」以外の対処法がないかな~と思って、「認知のゆがみ」を勉強して、自分の気の持ちようを変えることにトライしてみます、というnoteです。

長い前置き:兼近を追うということ

EXITを追うようになって半年くらい経ったのですが、ビックリしたのが露出の多さに伴うネットニュースの多さです。
特に彼らはAbemaPrimeという報道リアリティーショーのレギュラーMC(MCといよりはコメンテーターに感じますが)をやっていることもあり、時事問題への発言でもネットニュースになるので、多く感じるのかもしれません。

特に兼近の発言は、独特の視点と言葉の強さで印象に残るのか、賛否両論となることがこの半年だけでも数回ありました。ドラゴンボール発言のときは、私自身noteを書いたくらい考えさせられました。

兼近はたびたび「見出ししか見ないで色々言われる」などと嘆いていますが、発信の仕方を変えるつもりは無いように見受けられます。
発信の仕方を変えるとは、こういう発信に変えるということです。

①強い言葉を使わない(当たり障りのないことを言う)
②誤解されそうなことに先回りして言及する(予防線を張る)
③主語を自分にしない(「私は」ではなく「みんなが」「世の中が」)

一般的には誤解を生まないよう発信しようとすると、こんな感じかと思います。こうして並べてみて思うのが、これらのテクニックを使えば使うほど、話の核心から遠ざかっていくということです。

真意はわかりませんが、私は兼近はあえて今の発信の仕方を選んでいると思います。つまり、端的に強い言葉で、予防線を張ることなく、自分の意見として喋るよう心掛けているように感じます。
そう思うようになったきっかけは、彼の最終目標が「揺らぎを起こすこと」だと知ったからでした。(↓開始位置合わせてあります)

この動画以前にもちょこちょこ言っていましたが、本気なのかイマイチ掴めず、この動画で初めて「あ、本気で言ってるんだ」と思って、そこで彼の言動とこの目標が繋がった感じがしたんです。最初に紹介した私のnoteも、兼近の起こした「揺らぎ」に感動したから書いたのだと、今更ながら気づきました。

そんなわけで、彼の目標が「揺らぎを起こす」である以上、彼はこれからもノーガードでパンチラインを繰り出し続けますし、誤解されたことを愚痴りながらも、一定数の誤解は仕方のないものとして突き進むでしょう。

長い導入:なぜ認知のゆがみを学ぼうと思ったか

前置きが長くなりました。ここからが本題です。

とすると、いちファンの私は、兼近を追っていくとたびたび、彼が誤解(*)される瞬間を目にすることになります。それはネットニュースであったり、記事へのコメントであったり、個人のツイートであったり、職場の世間話であったり。

(*)
誤解という言葉を使っているのは、今回のスコープを「私自身は兼近が間違っているとは思わないが、彼の発信がまずかったり、切り取られたりして、彼の真意がうまく伝わっていないと感じるとき」に限定しているからです。私が心を痛めるのはそういう時であり、彼自身の考えに誤りがあると思うときはこのように悩むことはありません。

まぁ、普通に、つらいです。
彼の真意はそこじゃないんだーとか、
それは今関係ないでしょ~とか、
あなたのような人を指して言っているわけじゃないんだーとか思います。

そこで誤解している人に直接アクションするという選択肢もありますし、そうしている方もいらっしゃるかと思いますが、私自身はそれこそ職場の人のように直接話せるならともかく、ネット上で文字でしかやりとりできず、しかも特にEXITを追っているわけでない人の誤解を解くのは困難だと思うので、そうしようとは思いません。
それで結局、そっとスマホを裏返したりしているわけですが、心のモヤモヤは数日間晴れなかったりします。
(そもそもパブサするなとか記事のコメントなんか見るなというご意見あるかと思いますが、ファンでない人のフラットな意見が大好物なもので…)

お察しのとおり今もそういう状況でして、兼近がパンチしたつもりのない方々が痛みを感じて憤ってらっしゃるのを見て、歯がゆい思いをしています。兼近の発言が(ああいうV降りだったとはいえ)不用意だったなぁと思っていますが、どうしてこうも誤解を生んだんだろう?と。

これまで自分はこういうとき、こういった渦中から距離を取り、心のモヤモヤが時を経て薄れることで心の安定を図ってきたのですが、今回あえて、渦中のやりとりを理解しようとしてみました。そうして色々考えて、憤っている方の思考が分かると、少しスッキリしました。
つまり、「何で分かってもらえないんだろう」という漠然とした不満が、「こういう点ですれ違っているんだ」という気づきにより、「そりゃ分かり合えないわ」という納得に変わったのです。
目をそらして時が経つのを待つだけでなく、あえて凝視し解像度を上げることでモヤモヤが晴れることもあるのだと気づきました。

兼近が誤解されている状況に変わりはないので、変わったのは自分の心の中だけなのですが、心の健康を大事に推し活しようとするなら、これが意外と重要かもしれないなと思いました。

本題の導入も長くなってしまったのですが。
要するに、兼近を追う以上たびたびこういう事態になることが想定されるので、「時間が経つのを待つ」以外の対処法がないかな~と思って、「認知のゆがみ」を勉強して、自分の心のコントロールを学ぼうと思います、というnoteです。
私もこのnote書きながら学んでいるので、よくご存じの方からすると頓珍漢なこと言ってるかもしれませんので、その場合そっと教えてください。
以下、いくつかのHPから引用させていただいたり、参考にしたりしていますが、最後にまとめてURLを貼っています。

認知のゆがみとは

認知の歪みとは、「認知=物事の捉え方」に「歪み」があるとされていることをいいます。いま地球上で起きている「事実」とは、全て人間を通して「認知」されたものに過ぎません。
例えば、目の前にリンゴがあったとして、一般的な成人にとっては「リンゴがある」ことが事実として認知されるわけですが、リンゴを見たことがなければ、ただ「赤い丸いものがある」という事実にしか映りません。
つまり、同じ光景や出来事に遭遇しても、事実として得られるものは、認知の仕方によって異なります。出来事の受け止め方が人によって違うために、それに伴う感情や行動も、時として他人に理解されなかったり、常識外れとされてしまったりすることがあります。

「認知のゆがみ」という言葉は聞いたことがあったのですが、具体的な内容は知らず、それなのになぜか今回ぐるぐる考えている中でふと思い出されました。たぶん、「ものの見方が違うだけなんだよなぁ」と歯がゆい思いをしていたからなのかも。
この「認知のゆがみ」は言い換えると「思考の癖」であり、誰でも持ちうること、つまり、自分がこれから理解しようとしている相手の他に、私も、兼近も、持っている可能性があるということです。(唐突な兼近ウケる)
以下、その基本的なパターンを見ていきますが、これらは「欠点」ではなく「傾向」なのだと意識してみていく必要があります。

1.白黒思考(all-or-nothing thinking)

ものごとを白か黒かでしか考えられない、極端な “完璧主義” の思考パターン。このように考えると、他人にも自分にも満足することができなくなってしまう。
(例)・「彼はときどき失敗するので、能力がない人だ」と考える
   ・「敵か味方か」「善か悪か」のような極端な判断を下す

これ私、あるなぁ…。観劇が趣味なんですが、ある演出家の作品を1つ見て「自分には合わない」と断じてしまったり。他の作品見たらそっちは好きだったりする。
EXITを追うようになってから見るようになった漫才も、1つ見て好きなタイプじゃないって思っちゃったりしていた。他のネタ見たら面白かったり。何度同じことを繰り返しているんだ…。

2.過剰な一般化(overgeneralization)

1度や2度起こっただけの失敗・悪い出来事を、
常に当然のごとく起きるコトだと思いこむ思考パターン。
“いつも” “すべて”  “絶対” というような意味のコトバを含む場合が多い。
(例)・描いた絵を批判され、「自分には全く絵の才能がない」と失望する
   ・薬を飲んだのにすぐ病気が治らなかったため、
    「薬なんて絶対に効果がない」と思う

自分ごとで言うと、義務教育の体育でやったスポーツがことごとく苦手で「私はスポーツ全般ダメなんだ」と思ってたけど、大人になって全然違うスポーツをやってみたら意外とできて後悔したりした。
あと、芸能人やそのファンに対する印象の持ち方はこの傾向があるなぁ。たまたま目に入った2~3ツイートを見て「〇〇ファンっていつも△△を叩いてばっかだな」と思ったりとか。気を付けよう…。

3.選択的抽出(selective abstraction)

物事全体のうち、悪い部分のほうへ目が行ってしまい、良い部分が除外されてしまうこと。目の前にキレイな景色が広がっていても、ほんの小さなゴミが落ちていたら、それしか目に入らなくなる…というような状態。
(例)・友達と旅行を満喫していたはずなのに、「ホテルの人に
    嫌な対応をされた」ことで、最悪な旅行だったと思う
   ・いつも賛成してくれる人が一度反対しただけで、敵とみなす

よく休日に「今日何もしなかったなぁ、クソみたいな1日だった」とか思ってる。実際には多少のことはしてるのに、思い出になるようなことが無いとそう思ってしまう。
あと、芸能人に対しても、好ましいと思う部分があるのにひとつのシーンを見て嫌い!ってなったりもしていた。

4.マイナス化思考(disqualifying the positive)

選択的抽出は悪い部分に着目することで良い部分を遮断するが、”マイナス化思考” は遮断する代わりに良いことを良いと考えられなくしたり、良いことを悪いことに置き換えてしまう。
(例)・テストで90点を取ったとしても「どうしてあと10点が取れない
    のか」と自分を責める
   ・上手くいったら「これはまぐれだ」と思い、上手くいかなかったら
    「やっぱりそうなんだ」と考える

楽観的な人間なので、これはあまりないかも。あ~でも、職場で嫌いな人の仕事がうまく行った時ちゃんと認めることが出来なかったりするな…。

5.結論への飛躍(jumping to conclusions)

根拠もなく誰にも分からないような将来を決めつけてしまったり、人のちょっとした言動で、その人の考えていることを決めつけてしまったりすること。
(例)・「どうせうまくいかない」と予想して決めてしまう
   ・「上司は私を嫌っている」と勝手に思い込む

前者は単なる予測を確定した事実のように考えてしまうことを言うようなのですが、それはあんまり自分の傾向には無いかなぁ。
後者はあるかも、空気を読んで気を遣ったつもりが裏目に出たりとか。芸能人に対しても、そうなりがち。ていうか私のnoteでも散々兼近の言動を勝手に解釈してる。一応、断定に見えないよう書き方気を付けてはいますが…。

6.拡大解釈と縮小解釈(magnification and minimization)

少し良くないことが起こると、連想できる最悪の事態まで結び付けたり、大げさにものごとをとらえたりすること。
逆に、良かったことに関しては、別に大したことがないと感じる。
そうした自分の普段の認識と比べてしまうため、他人を評価する場合は、良いところが大きく見えて、欠点や失敗は小さく見える。
(例)・受験に失敗し、この世の終わりのように考える
   ・TOEIC900点を取ったが「こんなの誰でも取れる」と考える

他人の芝生は青く見えるというやつでしょうか。これもあるなぁ、EXITを追っていても、〇〇はああいう仕事があっていいなぁと思ったり、FCがあること自体がすごいことなのに、〇〇はああいう特典があるのに…と思ってしまったり。

7.感情的決め付け(emotional reasoning)

自分の感情を根拠にものごとを決めつけてしまうこと。「自分がそう感じるならば、そのことが事実でなければならない」という考え方。
(例)・あいつはなんてムカつくヤツだ。これだけ腹が立つのは、
    あいつが腐っていることの証明だ。
   ・この映画はつまらない、面白いと言っている人は嘘つきだ。

これは普段からやらないように気を付けてるかもしれない。いわゆる、「自分が正義だ」と思った瞬間に起こりやすいように思う。

8.すべき思考(should statements)

自分で考えた基準が当然であるとする思考パターン。
「~すべき」「~でなくてはならない」というようなフレーズが特徴。
「常識的に考えて」「まともな人間なら皆~だ」というようなフレーズも、すべき思考の変形。
(例)・管理職たるもの、少々の熱では休むべきではない
   ・学校の先生だったら、生徒のことは全て解決すべきだ

これもやらないように気を付けてるなぁ、自分の物差しを常識に置き換えないように。でもやっぱり、言っちゃうときもある…。
あとは、EXITを追うようになって思わなくなったけど、昔は「芸能人がエゴサしたり一般人にリプすべきでない」と思っていました。今はメリットデメリットを勘案してやる方が良いからやっているんだな、と理解しましたが、これもすべき思考だったな。

9.レッテル貼り(labeling and mislabeling)

自分や他人に柔軟性のないイメージを創り上げて、
そのイメージを固定してしまう思考パターン。「2.過剰な一般化」が極端に行き過ぎている状態とも言える。
(例)・大企業勤務者を「勝ち組」そうでない人を「負け組」と決めつける
   ・あの人は恋人を泣かせた、冷徹な人間に違いない

自分の話でいくと、無意識にやっちゃってることの方が多いかも。「この人はこういう人だから」と諦めていたけど、良いことがあって認識を改めることがある。
芸能人でいうと、あえてラベリングして売り出すわけで、難しいですね…。ただまぁ、「事務所がここだからこうなんだ」みたいなのはよく見るかな。あとは、特定の番組に出ている人・出ていない人でラベリングしていることも見かける。(キャスティングの話ではなく、「ネタに自信がないから出てないんだ」みたいなの)

10.個人化(personalization)

自分に一見関係のないことであっても、自分の責任に結び付けること。
(例)・家族の仲があまりよくないのは、私が仲を取り持てないからだ
   ・友人が落ち込んでいるのは、自分が励まさなかったからだ

これはあまり無いかな…むしろ逆の責任転嫁の方が傾向としてあるかも。あとはまぁ、仕事が上手くいかなかったときに、どうすればよかったかを考えながらこういう思考に陥りがちかなぁ。「どちらとも取れるメールを送ってしまった」とか。

この学びを何に活かすか

ここまで「認知のゆがみ」の基本パターンをひととおり見て、私自身「こういうことあったかも」と、悪いほうのニュアンスで書いてしまいましたが、これらのゆがみをゼロにしなければならないわけではありません。
何かうまくいかなかったり、すれ違いがあったときに、こういった思考の偏りが自分や相手や兼近にあると理解することが大事なのだと思います。(唐突に出てくる兼近ウケる)
これらのパターンは、思考の偏りを知るためのツールに過ぎないのです。

重ねてになりますが、今回このnoteを書いたのは、SNS時代に注目されがちな人のファンを続けていくうえで、「自分の心の持ちよう」を変えることで快適な推し活が出来るのではないかと考えてのことです。

したがって、この学びを誰かに押し付けたり、ましてや攻撃に使ってはならないと私は思っています。
誰かと話している時に唐突に「それって過剰な一般化だから辞めた方がいいよ」と言ったり、自分が気にくわないツイートに「あなたのやっていることは感情的決めつけです」とリプしても、自分が気持ちいいだけで何も解決されません。
「この人はこの点で過剰な一般化をしてしまっているな」と思うだけで、案外心のモヤは晴れ、それで十分と思います。

あとは、このツールで兼近のすべてを正当化すべきとも思っていません。物事は考えようだから、彼の言動に理由づけしようとしたら、いくらでもできてしまいます。でも、彼も誤るときはある。そう認識しておくことは大事ですよね。

推し活していて思わぬことで推しが注目されてしまい、心がモヤモヤして歯がゆく思う、けど直接アクションを取っても悪化することが目に見えている…そんなとき、目を背けることもできるし、認知のゆがみに気付いて腹落ちすることもできるという話でした。

(参考にさせていただきました)


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