香港ミステリについての覚書

黃仲鳴編『香港文學大系1919-1949 通俗文學卷』の「導言」は、香港における通俗文学の流れを王韜の小説から語り出している。香港最初の ”南来文人” の一人である王韜は、1870-80年代にかけて『遯窟讕言』『淞隠漫録』『淞浜瑣話』といった小説集を刊行しており(後の二つははじめ『点石斎画報』紙に連載)、魯迅『中国小説史略』などでしばしば蒲松齢『聊斎志異』に倣ったものとみなされる。高橋お伝の行跡を記す「紀日本女子阿傳事」が『淞隠漫録』の最初に置かれているのをはじめとして、超自然的な要素を含まず・犯罪が関わるエピソードも多い(女性絡みの題材が目立つ)。

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[香港とは同じ国際都市として姉妹のような関係にあった上海では、19世紀末にホームズ譚が輸入され、論者により分かれるが1900-10年代には創作探偵小説が興り、20年代に最初の隆盛を迎える。日本の統治下にあった台湾においても1898年に日本語の(さんぽん『小說・艋舺謀殺事件』)、1909年には文語中国語の(李逸濤「恨海」)創作探偵小説が生まれている。]

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香港における近代的な探偵小説の起源をどこに求めるべきかには辿りつけなかった。1905年にボアゴベの翻訳『紅茶花』("La Bande Rouge")が刊行、1900年代後半に現れた香港最初期の文学雑誌『中外小說林』『新小說叢』には翻訳探偵小説が掲載されており、同時期の『唯一趣報有所謂』紙や『少年報』紙にも "探偵小説" を謳う作品が出てくる。上海などで刊行された探偵小説が新聞の広告で言及されることも多く、中国語での西洋流探偵小説の流入は進んでいた(樽本照雄編『清末民初小説目録』)。『新小說叢』掲載作の原典はポー「盗まれた手紙」やガボリオ『書類百十三』、ボアゴベの作品が確認されている(大塚秀高「清末民初探偵小説管窺」中村忠行「清末探偵小説史稿 (三・完)」)。1924年創刊の『小說星期刊』誌には編集長を務めていた黃守一が『大紅寶石』を連載している(趙稀方『報刊香港:歷史語境與文學場域』)。

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30年代末に『先導報』紙を創刊した任護花がみずから周白蘋名義で連載した〈中國殺人王〉シリーズは、華僑の主人公が世界を股にかけて活躍する ”ジェームズ・ボンド型のスリラー” ”ピカレスク” で、戦後に始まった〈牛精良〉シリーズとともにベストセラーになった。戦後には馮嘉の〈奇俠司馬洛〉シリーズ、方龍驤(盧森葆)の〈貓頭鷹鄧雷〉シリーズなど同傾向のスリラーが多く書かれる。

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1942年連載の『第五號情報員』が評判になり、韶関や広州で諜報小説を書きつづけた仇章は、1952年に没する(まだ30代だったとも言われる)までの3年間を香港で過ごした。

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50年代に入ると、新中国や台湾に対して自由な言論環境だった香港では大量の新聞・雑誌が発行され、多くは連載の形で発表されていた大衆小説にも活況が訪れる。この時期の香港の探偵小説を扱った研究に、吳昊「暗夜都市:『另類社會小說』 - 試論五十年代香港偵探小說」(『孤城記』所収)がある。

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中国国民党が発行していた『香港時報』紙を対象にした研究では、同紙の副刊(文芸欄)に連載された小説のうち、半数近い93作が ”推理小説” に分類され、”言情(ロマンス)推理小説” を加えると半数を超える(一九五○年代香港文藝副刊連載小說研究 : 以《香港時報》副刊為對象)。

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『經紀日記』など大衆小説を大量に執筆した高雄(三蘇)は、40年代後半から許德名義で〈司馬夫奇案〉シリーズを、史得名義で『奸情』『新寡』などのミステリを書いている。

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[この時期では許德『司馬夫奇案』、史得『奸情』のほか、俊人『十三號情報員』、司空明『完璧』など映画化されるミステリ/スリラーも散見される。香港初の探偵映画とされるのは1932年の『夜半鎗聲』。曹達華が「探長」役を務める50-60年代の一連の映画、『十三號兇殺案』『999離奇三兇手』などは、70年代後半――"香港ニューウェーブ" 成立前後――に『廉政風暴』『跳灰』『香港極道 警察(サツ)』("點指兵兵") などの作品が現れる以前のミステリ/サスペンス映画の代表として言及される。]

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江戸川乱歩が購読していたことで一部で有名な『藍皮書』誌は、1946年に上海で探偵小説誌として創刊され、版元の環球出版社が香港に移ってくるとともに1950年に再創刊。創作探偵小説のほか翻訳探偵小説、武侠小説、SFなど幅広く掲載し、のちに編集方針を大きく変えながら長く存続した(藍皮書 - 潘宙)。看板作品だったのが上海時代から継続していた小平の〈女飛賊黃鶯〉(あるいは”女俠盜黃鶯”)シリーズで、この作品を源流にもつ一連の小説や映像作品の傾向は "珍姐邦"(ジェーン・ボンド)ものと称される。

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50年代に流行した大衆小説の出版形態に ”三毫子小説” がある。雑誌の流通形態だが一号につき中篇一篇を収録するもので、虹霓出版社の『小説報』、環球出版社の『環球小説叢』などが刊行された。香港を代表する作家の一人である劉以鬯も『藍色星期六』など数作を執筆しており、作風はミステリに近接している(劉以鬯與「三毫子小說」)。彼が初期に執筆した短篇をまとめた『天堂與地獄』には、ミステリの構造を持つ作品が複数ある(天堂地獄反轉再反轉)。

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[上記の劉以鬯の例はどちらかといえばキャリア初期の下積みや模索過程に分類されそうだが、大陸の余華に「河辺的错误」「アクシデント」があるように、純文学作家による犯罪/推理小説は一定数存在するのではないか。]

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武侠小説/技撃小説は戦前にはすでに大衆小説の一分野として広まっていたが、金庸や梁羽生は50年代以降発表した一連の作品でいわゆる "新武侠" を確立し、中華圏を席巻する。ミステリの愛読者で、クリスティの作品はほとんど読んだと語った(林以亮他「金庸訪問記」)金庸は、『射鵰英雄伝』『笑傲江湖』『雪山飛狐』など多くの作品でミステリの手法を取り入れている。これは金庸に限ったことではなく、彼らに続く世代の代表格である温瑞安は、代表作である〈四大名捕〉シリーズで事件捜査にあたる役職の主人公たちを描いたほか、台湾の『推理』雑誌に複数作を発表し、"現代派推理小說" と銘打たれた単行本も数冊刊行している。

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倪匡は『貓 NINE LIVES』の邦訳もあるSF冒険小説の〈衛斯理〉シリーズや〈女黑俠木蘭花〉シリーズで知られる作家だが、幅広いジャンルに大量の作品を残しており、ミステリの分野でも〈神探高斯〉シリーズがある。金庸と同様のミステリ好きで、他ジャンルでもSF短篇「標本」のようにミステリの技法や形式を導入することは珍しくない。

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[前述の『藍皮書』には江戸川乱歩はじめ多数の日本ミステリが掲載されていたのが確認されているが(江戸川乱歩の台湾での受容)、香港における海外ミステリの中国語訳については調査がまとまっておらず不明点が多い。許定銘『亂翻書・樂無窮』によると、70年代には天地圖書から出版されていた松本清張以外にミステリの翻訳は少なく、台湾から輸入した本を読んでいたという。80年代に入ると、香港における村上春樹の出版元でもあった博益出版社が夏樹静子、連城三紀彦、赤川次郎などの出版を始める。多くの地域でミステリ輸入の先駆けになるホームズ譚やクリスティ作品についても、英語では当然読まれていたが体系的に翻訳が出版されたのは80年代以降と思われる。]

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[香港が重要な舞台になる英語ミステリとしてはル・カレ『スクールボーイ閣下』、ラドラム『殺戮のオデッセイ』、ウィンズロウ『仏陀の鏡への道』、ローザン『天を映す早瀬』、コナリー『ナイン・ドラゴンズ』などが思い浮かぶ。香港で執筆されたかは不明だが、香港に在住経験のある英語作家によるミステリとしては『銀行は死体だらけ』が邦訳されたウィリアム・マーシャルの〈黄線街〉(Yellowthread Street) シリーズがある。]

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[80年代、台湾では林佛児が創設した林白出版社と『推理』雑誌を軸にミステリの紹介が進んで創作も勃興する。『推理』雑誌上で開催された第一回林仏児推理文学賞の受賞者である思婷は受賞当時香港在住だった。大陸でも文革終息後まもなく日本を含む西側の小説が流入し、ミステリはとくに人気を博す。政府公安部の管轄下にある "公安文学" / "法制文学"誌『啄木鳥』は80年創刊。]

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90年代前半から数冊の推理小説を刊行していた鄭炳南(鄭宜迅)は、1996年に自ら編集長を務める雑誌『推理小說』(英題:Reasoning Novel)を創刊。96-97年にかけて4号、2000年に6号の計10号を刊行した。執筆者には鄭炳南はもちろんのこと、同じく90年代前半から推理小説を刊行していた青谷彥(楊毅)がいたほか、純文学作家として出発したのち大衆文化にも積極的に関わった崑南、奇情小説(大衆小説の一ラベルで、sensation novelとも訳される)で人気を博していた林蔭、倪匡についての評論や数々の大衆小説で知られる沈西城、様々な媒体で活躍した文壇の重鎮の慕容羽軍などがいた。公募や持ち込みによるものか新人作家も現れ、翻訳作品(創刊号では江戸川乱歩、結城昌治、西村京太郎など日本作家の作品と、複数の欧米作品が翻訳されている)も掲載された。

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『推理小說』誌の停刊後、同誌の収録作から選ばれた『2000年香港最佳推理小說選』が鄧玉嬋(鄧玉嬋介紹)の編纂で同じ科華圖書から刊行された。翌年には公募作を含む新作を集めた(作家的理性光芒、獨特魅力和智慧思維 - 談香港的推理偵探小說創作歷程)『2001-2002年香港最佳推理小說選』を刊行、その後このシリーズは『2003年』『2004-2005』『2006-2009』と計5巻刊行され、実質的に『推理小說』誌の後継の役割を果たすことになる。

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(承前)散文の著作がある鄧玉嬋がミステリアンソロジーの編纂に関わることになった経緯はよくわからないが、上で触れた文章に記されたミステリ史観がのちの鄭炳南の文章(從香港的偵探推理小說說起)と一字一句違わないところを見ると、鄭炳南と近しい人物ではないかと思われる。『推理小說』誌でコラムを書いていた鄧滔や対談記事のまとめなどに関わっていた鄧仲文との関係も不明。

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鄭炳南は現在、科華圖書の経営者という立場だが(どの時点からかは不明)、同社以外からも作品を発表しており、福建省公安庁が運営する『警壇風雲』誌が初出の『聰明反被聰明誤』や、科華圖書と南昌の百花洲文芸出版社から同時期に刊行された『謀殺方程式』などがある。鄭炳南の中篇『局中人』は1997年に大陸の『啄木鳥』誌に発表され、同誌の文学賞の佳作賞に選ばれたほか、中国通俗文芸研究会法制文芸委員会が主催する1998年の第一回 "全国偵探小説大賽" で新作賞の三等に選ばれる(第一届(宏业杯)侦探小说大赛获奖作品名单)。

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(承前)同委員会はのちに北京偵探推理文芸協会と名前を変え、賞は "全国偵探推理小説大賽" として数年に一度のペースで存続する。2001年の第二回では鄭炳南「不招人忌是庸才」が最佳中篇賞、青谷彥「神經殺手」が最佳短篇賞、于東輝「金田二之神秘網絡世界」が新人賞に選ばれ、第三回では鄭炳南『謀殺方程式』が最佳長篇賞、鍾源「被竊的答題簿」が新人賞に選ばれるなど、科華圖書周辺の作家は高い評価を与えられている。

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(承前)任翔編の全十巻のアンソロジー『百年中国偵探小説精選』では、香港の作品として、1977-1999年を対象にする第六巻に鄭炳南(『推理小說』誌の初出時は石勒名義)「刑偵隊長之死」が、2000-2011年をカバーする第八巻に鄭炳南『聰明反被聰明誤』、青谷彥「十二猴子」(『推理小說』初出)、司馬翰「天国之子」(『2001-2002年香港最佳推理小說選』初出)が収録されている。

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[2000年前後、台湾と大陸でそれぞれ新しいミステリ読者・創作者の流れが生まれ、特に台湾のそれは ”本格復興” のタームで歴史化されている。若い世代の割合が大きかったこと、ネットが重要な拠点となりその後商業媒体での活動を拡大していったこと、日本の "新本格" との題材の類似など、二つの動きは共通項が多い。]

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2003年から年一回開催されている公募の短篇賞である台湾推理作家協会賞は、応募資格を特に限定していない。このため、2008年の第六回で最終候補に残った4人のうち3人が香港出身だったのをはじめとして、香港の作家が評価されることもさほど珍しくない。このとき最終候補だった陳浩基は候補作「ジャックと豆の木殺人事件」が初めての公刊作品となり、つぎの第七回では同時に2作を最終候補に送り込み「青髭公の密室」で受賞している。これを機に陳浩基は、協会賞の最終候補作の出版元だった台湾の明日工作室から数冊の単行本を出版し、作家としてのキャリアを積んでいく。

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同様に台湾で開催される、2009年以来の隔年開催の公募長篇賞である島田荘司推理小説賞も応募資格を限定しておらず、過去七回のうち陳浩基、文善(カナダ在住)、黑貓Cと三人の香港出身の受賞者を生んでいる。ほかには途中選考に残った顧日凡、有馬二、子謙、柏菲思なども作品を出版し活動を続けている。これらの賞をはじめ台湾で評価された作者は、より出版の市場規模が大きい台湾をそのまま作品発表の拠点にする傾向がある。

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全球華語科幻星雲賞の受賞歴など主にSFの方面で言及される譚剣は、しばしばミステリの手法を作品に導入するほか、第一回島田賞に投じた長篇『輪廻家族』(未刊)や『光柵謀殺案』といった(SF)ミステリを書いている。譚剣もおもに台湾で作品を発表しており、陳浩基や文善と同様に海外会員として台湾推理作家協会に入会している。

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第二回島田賞を『世界を売った男』で受賞した陳浩基は、3年後に台湾の皇冠文化から中篇集『13・67』を発表し、香港の作家としてはじめて台北国際ブックフェア大賞を受賞したほか、各言語に翻訳され国際的な評価を受ける。2017年の長篇『網内人』も各言語に翻訳が進んでおり、彼は華文ミステリ界でも屈指の注目を集める作家となった。

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00年代から10年代前半にかけての、科華圖書と台湾のミステリ出版どちらの文脈にも属しないミステリ作家としては、〈女法醫宋雨日〉シリーズで倪匡の賞賛を受けた李敏・阿圖說力コンビや、香港を題材にした "社会派推理小説" の『大豐收』『傾城』を書いた陳電鋸、香港の文化を取り入れたジュブナイルミステリを書く徐焯賢がいる。

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陳浩基はデビュー以来ほぼすべての作品を台湾で出版していたが、『13・67』の成功によって香港の重要な作家の一人とみなされるようになった結果、2018年には『13・67』の細部の言葉遣いをいくつか原型に戻した改訂版、いわば香港版が香港の皇冠出版社(台湾の皇冠文化と同系列)から刊行され、翌2019年頭には短篇集『ディオゲネス変奏曲』が香港の格子盒作室と台湾の皇冠文化からほぼ同時に刊行された。2019年刊の『世界を売った男』改訂版、2020年の中長篇集『魔笛:童話推理事件簿』も香港の皇冠出版社から刊行されている。

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香港の星夜出版は、島田賞受賞前の黑貓Cのライトノベルなどエンターテインメント小説を継続的に出版していたが、(数ヵ月以上前から進行していた企画の結果として)2019年7月に、香港出身の作家による香港を題材にしたミステリの書き下ろしアンソロジー『偵探冰室』を刊行した。その後も一年に一冊のペースで『偵探冰室・靈』『偵探冰室・疫』とシリーズ化され、台湾でも注目されて蓋亞文化から台湾版が刊行されている。参加している作家は陳浩基、文善、譚剣、黑貓Cと、台湾推理作家協会賞で陳浩基以来二度目の香港からの受賞者となった冒業、星夜出版の経営者で作家でもある望日、清末の香港を舞台にしたホームズパロディ『神探福邇,字摩斯』でデビューした莫理斯、という顔ぶれ。

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デビューから10年を超えた陳浩基はすでに新しい作家を送り出す側に回っている。台湾推理作家協会賞では数度選考委員を務め、そうでないときには応募作すべてに個人ブログでコメントする試みを行っていたほか、現在は香港の出版社、天行者出版が主催する天行小説賞の選考委員を務める。2017年から開催されているこの賞は香港とマカオの市民のみを対象とし、エンターテインメント小説全般を扱っており、いままでに嚴邊、東南、雨田明、傅真、The Storyteller R がミステリに分類される作品を刊行している。